ヘッドライン

■日生協健保組合解散検討・日本郵政住宅手当廃止の報に見る「日本型福祉社会」の終焉

 かつて、自民党は「日本型福祉社会」なるものを構想し、ある程度は現実のものになっていた。自民党が構想した日本型福祉社会なるものは、政府の社会保障機能を小さく抑え、その代わりに企業や家庭が福祉を提供するという仕組みであった。政府が住宅政策を行うのではなく、企業が従業員に対して住宅手当を出す。医療保障にしても、企業が健康保険組合を結成して政府の代わりに医療保障を行う。教育費にしても、企業が従業員に安定した所得を保障して給料から教育費を支出できるようにする。そんな社会を自民党は構想し、現実にある程度までは成功していた。自民党の政策研究叢書「日本型福祉社会」は次のように述べた。

 企業はまず第一に安定した所得を保障してくれるほか、「企業内福祉」といわれる各種のサービスも用意してくれる。第二に、医療保険、失業保険、年金などのシステムは、企業による保険料の一部負担という形で企業の存在を重要な支柱としている。…こうしてみると、日本型福祉社会の柱として企業がいかに重要な役割を負っているかがわかるであろう。

 ところが、この4月になって、そんな日本型福祉社会の終焉を象徴するかのような二つのニュースに接した。ひとつは日本郵政グループが住宅手当を廃止するとのニュース。もう一つは全国の生活協同組合の従業員が加入する巨大健康保険組合である日生協健康保険組合が解散を検討しているというニュース。いずれも、企業が福祉を担うことはもはやできなくなってしまったことの象徴に見えた。
 さて、一部の労働運動家は特に日本郵政グループの住宅手当廃止について、労働者を分断するものだと反発しているが、そもそもが住宅手当などの福祉を企業が提供する責任はどこにもないわけで、いわゆる非正規社員は企業福祉から排除されてきたことを考えると正規社員だけが恩恵に与れる企業福祉をこのまま温存するのは不公正と言える。今や企業福祉に与れない非正規労働者がかなりの数に及んでいることを考えればなおさらだ。
 住宅手当や医療保障などの福祉の提供は、本来は政府の役割で、だからこそ「福祉社会」ではなく「福祉国家」が必要になるわけだ。ところが今なお企業が提供する福祉、企業を通じて提供される福祉は数多い。これらを政府の役割に移管していくことが必要であろう。

【個人的な心情】
 以下、単純に個人的な心情である。そもそも企業福祉を受けるにあたってはかなりの個人情報を企業に提供することが前提になる。企業が従業員の生活も何もかも丸抱えするという仕組みがそこにある。企業に生活のすべてを丸抱えされるのは、私はとても気持ち悪いことだと思うのだけれどいかが考えるであろうか。

テーマ:福祉政策 - ジャンル:政治・経済

■看護師がいる現場で警察官がAEDを使用することは医師法違反

 大相撲の春巡業で土俵の上に女性看護師が上がったのを見て、「女性の方は降りてください」などと行司がアナウンスしたことが巷間話題になっている。その後を警察官が引き継いではいた。しかし、そもそも看護師から警察官に救命措置を引き継ぐのが珍妙な感はある。ただ、今回の場合は救急救命士が待機していて、救急救命士が警察官から救命措置をさらに引き継いで自動体外式除細動器(AED)を使用したようには見える。ここらで一度、AEDの使用と医師法をめぐる関係を整理しておく。
 さて、厚生労働省の通達「非医療従事者による自動体外式除細動器(AED)の使用について(平成16年7月1日医政発第0701001号各都道府県知事あて厚生労働省医政局長通知)」は、まず次のように示している。

 心室細動及び無脈性心室頻拍による心停止者(以下「心停止者」という。)に対するAEDの使用については、医行為に該当するものであり、医師でない者が反復継続する意思をもって行えば、基本的には医師法(昭和23年法律第201号)第17条違反となるものであること。

 その上で、非医療従事者によるAEDの使用について次のように示している。

救命の現場に居合わせた一般市民(報告書第3の3の(4)「講習対象者の活動領域等に応じた講習内容の創意工夫」にいう「業務の内容や活動領域の性格から一定の頻度で心停止者に対し応急の対応をすることが期待・想定されている者」に該当しない者をいうものとする。以下同じ。)がAEDを用いることには、一般的に反復継続性が認められず、同条違反にはならないものと考えられること。
一方、業務の内容や活動領域の性格から一定の頻度で心停止者に対し応急の対応をすることが期待、想定されている者については、平成15年9月12日構造改革特区推進本部の決定として示された、非医療従事者がAEDを用いても医師法違反とならないものとされるための4つの条件、すなわち、
1) 医師等を探す努力をしても見つからない等、医師等による速やかな対応を得ることが困難であること
2) 使用者が、対象者の意識、呼吸がないことを確認していること
3) 使用者が、AED使用に必要な講習を受けていること
4) 使用されるAEDが医療用具として薬事法上の承認を得ていること
については、報告書第2に示す考え方に沿って、報告書第3の通り具体化されたものであり、これによるものとすること。

 としている。報告書第2を以下に引用する。

[第2 非医療従事者が自動体外式除細動器を使用する条件についての考え方]
1 非医療従事者の参画による救命の体制強化
○ 前述のとおり、救急医療体制や病院前救護体制は、これまで、関係者の努力により充実・強化が図られてきている。これをより一層推進するためには、救急隊員の現場到着を早める努力と並んで、「救命の連鎖」をその出発点において、より多くの人々の参画により強化することが必要である。一般市民を含めた幅広い非医療従事者が参画し、救急救命士を始め救急搬送に従事する者に適切に引き継ぐことにより、「時間の壁」を乗り越えることに資するものであるべきである。
2 傷病者の安全の確保
○ 時間を争う救急蘇生の局面にあっても、何にもまして、傷病者の安全が優先されなければならないことは論をまたない。非医療従事者が自動体外式除細動器を使用方法に則り適正に使用する場合の救命率向上に資するものとし、使用に伴う傷病者の不利益をゼロに近づけるとの方向にかなうものであるべきである。
3 使用者の安心の確保による積極的対応
○ 救命の現場に居合わせた一般市民を始めとする非医療従事者が、安心感・自信をもって、積極的に救命に取り組むことを促すようにするものであるべきである。
○ 上記の4条件は、業務の内容や活動領域の性格から一定の頻度で心停止者に対し応急の対応を行うことがあらかじめ想定される者が自動体外式除細動器を用いたときに医師法第17条との関係で示されたものである。一方、救命の現場に居合わせた一般市民が自動体外式除細動器を用いることは一般的に反復継続性が認められず、医師法違反にはならないものと考えられる。医師法違反の問題に限らず、刑事・民事の責任についても、人命救助の観点からやむを得ず行った場合には、関係法令の規定に照らし、免責されるべきであろう。
○ 当検討会が示す条件は「法違反に問われない」、「損害賠償責任を問われない」という、言わば消極的な安心感を与えるものにとどまらず、医学的知識を含め救命についての理解に立って、自信を持って救命に積極的に取り組むことを促すものであるべきである。

 これらの文書をまとめよう。
1)基本的に、反復継続して行う意思をもってAEDを使用すれば、医師法違反に当たる。
2)一般市民がAEDを使用することは反復継続性が認められず、医師法違反には当たらない
3)一定の頻度で心停止者に対し救命処置を行うことが想定される者(例えば警察官)がAEDを使用するときは(反復継続性が認められるので医師法違反に当たるが)、医師等が見つからないなど一定の条件を満たした時には免責されるべきである。
 ということである。そして、医師等の「等」には何が該当するかと言えば、看護師などのいわゆるコメディカルが該当する(厚生労働省医政局医事課に照会済み)。舞鶴の現場では看護師がいたのだから警察官がAEDを使用するのは医師法違反に当たることになる。
 一方、看護師が医師の指示なくAEDを使用することは医師法違反に当たるかどうかについては、保健師助産師看護師法37条が次の通り明文で認めている。

 保健師、助産師、看護師又は准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。ただし、臨時応急の手当をし、又は助産師がへその緒を切り、浣腸を施しその他助産師の業務に当然に付随する行為をする場合は、この限りでない。

 このように、保健師助産師看護師は臨時応急の処置に関しては医師の指示がなくても行える。また、救急救命士も一般に医師の指示がなくても救命救急処置が行えるとされており(救急救命士法43条、ただし特定の行為については医師の具体的指示が必要【同法44条】)、厚生労働省の通達によれば救命救急処置の範囲にAEDの使用が含まれる。
 よって、看護師や救命救急士は救命処置として医師の指示がなくてもAEDを使用することができることになる。

 さて、舞鶴の件である。看護師から警察官に救命処置を引き継ぐのは、果たして適切で適法な行為だったのだろうか?日本相撲協会の連中の感情を満たすためだけのものではなかったか。

■終戦直後の公的扶助に関する壮絶なGHQ覚書

 終戦直後の極度の混乱期、GHQは実に壮絶な決意を日本政府に迫る覚書を日本政府に対して出していた。その全文をここに紹介しておく。なお私の英語力の事情から日本政府が和訳したもののみの掲載になるのはご容赦いただきたい。

救済ならびに福祉計画に関する件
(1)日本帝国政府は1945年12月31日までに、1946年1月より6月に至る期間の失業者及びその他貧困者に対する食糧、衣料、住宅、医療、金融的援助、厚生措置を与えるべき詳細且つ包括的計画を最高司令部に提出すること
(2)該計画は次の諸項を含むべきこと
 1.計算の為使用された基礎に関する説明
 2.失業、肉体的欠陥乃至他の理由により毎日直接の援護を要するものの府県別推定数
 3.調査及救済実施に使用さるべき地方行政機関の記述、併せて人事政策に関する説明
 4.日本経済の全源泉から補給品、資材及び家屋を確保する方法
 5.救済費用の県別推定月額
(3)この覚書の趣旨は家計その他収入源泉が規定された期間中最低生活を維持するに不十分な国民を救済する適当な措置を展開させる必要に基くものである。日本政府は日本における個人もしくは集団が労働能力の欠如、失業あるいは政治的宗教的並に経済的諸理由により諸種の供給の配給に差別待遇を受けることを防止する適当な措置を即時講ずべきである。
(4)現在の救済法令、経費並に行政機関が入手できる物資の配給に関して失業者やその他の貧困な人々に対し差別待遇を防止するに不適当であると信ぜられる場合には、この覚書に対する回答には新しい法令、経費並に改善された救済機関の設置を明示しまた救済実施の開始予定期日をも明記すべきである。もし日本政府が上記の期間中、現在の法令、経費、救済機関で十分に救済できると考えるときには、かかる判断に対する証拠をあげ更に現行法令救済規定並に関係資材に関する適当な参考資料を列記すべきである

 「日本経済の全源泉から救済福祉に必要な物資をかき集める計画を立てろ」とGHQは迫ったわけである。なかなかに壮絶な覚書ではないか。それに対して日本政府は種々の経緯を経たのち、1946年9月7日に旧生活保護法を公布している。預金封鎖が行われるなど経済は大混乱だった時代である。
 今ではその頃の先人たちの気概はすっかり薄れ、低所得者叩きに精を出す国民が多くなってしまったのは嘆かわしいことである。

■人を生かすための大義が人を押しつぶすとき

 鹿砦社「カウンターと暴力の病理」をとある方からご献本いただく。ヲ茶会氏の手記のほかは斜め読み程度しかしていないところであるが、それでも書いておかなければと考えたことがあるのでつらつらと書いておく。
 レイシストに対する反対運動を行う団体、レイシストをしばき隊内部で暴行事件が起きた。本書は、その事件およびその事件に対する関係者の反応などを取りまとめたもので、事件の詳細は本書に譲る。
 私が一読して思ったこと。あとがきで松岡利康氏が「連合赤軍事件の再来ではないか」などと痛烈に批判しているが、私はもう少し違う感想を抱いた。そもそもレイシストをしばき隊は、在特会などのヘイトスピーチに対抗するために結成された団体だと私は認識している。そこには、生身の人間の痛みが確実に存在した。その生身の人間の痛みをなんとかしようと結成されたのがしばき隊であった。たしかに、大いなる成果をもたらしたことは否定できない。現実に新大久保からレイシストデモを排除した功績は十分に称えられてしかるべきである。ところが、その団体の内部で暴行事件が起きた。被害者という生身の人間は、まさに身をもって痛みを感じたわけである。ところが、しばき隊関係者はその生身の人間の痛みについに向き合おうとしていない。私は、ここに、生身の人間の都合のために作られただけのツールのはずの団体や大義が、生身の人間の痛みを押しつぶす疎外の構図を見て取る。もはや、生身の人間の痛みを感じることを捨て去ってしまい、ただ団体の存続、自分の無謬性を傷つけないことのみを目的として、行動しているように見える。あとがきで松岡利康氏は連合赤軍事件との共通点を指摘しているが、私はさらに相模原事件との共通点も指摘しておきたい。ご存知の通り、相模原事件の犯人は、社会経済の負担になる障碍者を殺害することによって社会経済の負担を軽くしようという動機で大量殺戮に走った。ここで振り返って考えてもらいたいのだけれど、そもそも社会経済なるものも、生身の人間の都合のために作られた道具でしかないのである。その本来の目的を完全に忘れ去って、相模原事件の犯人は生身の人間の都合を無視して殺戮に至っているわけである。ここに、生身の人間の都合のために作られた大義が生身の人間を押しつぶすという構図を見る。そして、それはしばき隊内部の暴行事件とその事後処理に共通している構図である。
 最近、私はこの手の構図を至る所で見ていて、その意味ではもう見慣れた構図ではある。ということは、アナタ自身も私自身も鹿砦社でさえも実は他人事ではないのである。生身の人間の都合のために作ったものを振りかざして、生身の人間の都合を無視する。マルクスはこれを疎外論としてまとめたところであるが、その疎外論が今もって役立つ状況が、それも左派の間から生まれているのは実に皮肉としか言いようがない。そのような状況に陥る落とし穴は、至る所にある。私たちも気をつけなければ簡単にその落とし穴に落ちてしまう。実は鹿砦社もその落とし穴に落ちていやしないかと思ったりもする。「カウンターと暴力の病理」の口絵、一部に誹謗的な表現が見られた。正当な批判はされるべきだが、「体臭がタバコ臭かったぞ」というのは誹謗であろう。このように、大義というものに一回コミットメントすると、その大義を必要とした「人間を生かす」という目的を往々にして忘れてしまうのだ。それは、どのような社会運動でさえもである。この構図に陥る危険性からは逃れられないのである。であるからこそ、この醜い現実をよく見て、他山の石としなければならないのである。

テーマ:人権 - ジャンル:政治・経済

■企業の過剰サービスと大阪府立高校の黒染め強要問題は、根っこは同じだ

 日本のサービス業の過剰サービス https://togetter.com/li/1166066 と大阪府立高校の黒染め強要問題は、根っこは同じだと思ってるですよ。労働者のプライバシーなどの人権を無視してこき使うだけこき使うために、学校で訓練していると。そんなことをやってるから日本の生活者はどんどん暮らしにくくなる。
 季刊労働法184号から186号に掲載された「労働者のプライバシー権の保護について フランスの現状と課題」(砂押以久子著)を日本の人が読んだら、ひっくり返るんじゃないの?フランス民法典には、何人も私生活を尊重することができるみたいな規定が盛り込まれている。日本の民法とは大違い。そもそも自由権に関する規定を民法典に盛り込むという発想が、日本にはないよね。これとは別に憲法にも規定があってね。
 憲法によって共和国政府に対して人権の尊重を義務付け、人権の尊重を義務付けられた共和国政府は法律で自由権を尊重せよと国民に命じる。なんとまあ人権に厚い国だこと。さすがフランス革命を起こした国。
「憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。」「私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。」「企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れるこ
とを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。」(昭和48年12月12日最高裁大法廷判決、民集第27巻11号1536頁)などという判例が生きている日本国とは大違い。

テーマ:人権 - ジャンル:政治・経済

プロフィール

資料屋

Author:資料屋
ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム