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■「生活保護利用者はパチンコをするな」論は、それを言っている者はリスクも責任もほとんど取ることはないのだから有害無益

※このエントリは、松尾匡氏の「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』」(http://synodos.jp/economy/6279)を参考に記した。

 生活保護利用者がパチンコをすることをチェックすると別府市が発表したことをきっかけに、「健康で文化的な生活」にパチンコは含まれるか、ひいては生活保護を利用している方がパチンコをすることの是非の議論が一部で巻き起こっている。togetterを見ていると優勢なのは「生活保護を利用しているものがパチンコをすることは許されない」「パチンコをすることによって不健康になることもあるのだから行政がしっかり抑えるべき」といった意見だ。
 ただ、私はそこで大いなる疑問を感じるのである。生活保護利用者のパチンコを問題視する人は、ではどれだけのリスクと責任を負うのだろうかと。生活保護利用者のパチンコを制限し、結果QOLが大きく低下して健康を害するリスクをいちばん大きくかぶるのはもちろん生活保護利用者だ。その逆にパチンコをやりすぎて不健康になるリスクをかぶるのも生活保護利用者だ。そして、そのことによる責任を負うのももちろん生活保護利用者だ。一般国民など、税金が少々増える程度のリスクしかかぶらない。責任にいたってはまったくかぶることはない。ここで、一種のモラルハザードが起きる。生活保護利用者の暮らしぶりに注文をつけても、そのリスクと責任はどうせ生活保護利用者がかぶるんだ、俺様は何を言ってもリスクも責任もかぶらないと開き直って言いたい放題言い始めるわけだ。
 であるから、生活保護利用者のお金の使い道に他人があれこれ口を出すことは、基本的に有害そのものである。なぜならリスクと責任をその他人が取るわけではないからだ。QOLが下がろうと、結果自死しようとも口を出した他人は痛くも痒くもない。これではやりたい放題、生活保護利用者をサンドバッグにして犠牲にし、生活保護利用者の暮らしを破壊するだけに終わる。
 もちろん、一般納税者も、生活保護制度の運営が上手くいかないときは納税額が増えるというリスクは背負うことになる。そのリスクに応じた発言権はあってしかるべきであるが、しかし生活保護利用者が現に抱える「生活を破壊される」リスクに比べれば微々たるものであるから、発言権もそれ相応に小さくしてしかるべきである。
 なお、みわよしこ氏は「あなたは自分の「貧しくとも人間らしい生活」に何が必要ですか?」と書いているが(「『健康で文化的な最低限度の生活』にギャンブルは含まれうるか否か」という議論の不毛(http://bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20160126-00053836/)、生活保護利用しているものがパチンコなどけしからんと述べている人間はどうせ他人事だ、リスクも責任も負わなくていいんだと開き直って言っているんであろうから、彼らが耳を傾けるかどうかは疑わしい気がする。

【余談】
 スキーバス事故が発生したのも、まさにリスクと責任を負う側と決定する側が違っていたためのように見える。バス会社の経営陣はどうせ死ぬこともないし、賠償だって保険で填補される。旅行会社だって同じだ。リスクと責任を負っていたのは乗客と運転手であるが、彼らは安全対策を削減する決定に参画する術もなかった。結果として、バス会社経営陣と旅行会社はコスト削減を第一に安全を削る決断を無責任にも行い、事故を引き起こしたわけである。
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テーマ:生活保護 - ジャンル:政治・経済

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