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■痴漢冤罪を心配する人のほとんどはゼロリスク症候群患者かミソジニーのような気がするねぃ

 昨日まで女性専用車両の外は痴漢天国? - Togetterまとめのコメント欄でまあ泥仕合をしていた。痴漢の話をしているところだとどうして痴漢冤罪の話になるのかねと疑問を投げかけたところから始まった泥仕合、それでもやってるうちに争点は見えてきて少しは見通しもはっきりするというものだ。というわけでいくつか書いておく。

1.ゼロリスクはありえない
 痴漢の話をしているところでだけ痴漢冤罪の話を始める理由の第一として痴漢冤罪を問題視する側が挙げてきたのは「ひとたび痴漢冤罪に巻き込まれれば人生が破壊される重大な被害になるからだ」というものである。そして、痴漢冤罪の確率が低いと説明しても一回遭ったら重大な被害を受けるのだから確率が低いなんてのは何の意味もないといったようなことを主張してきた。また、痴漢によって破壊される見ず知らずの女性の人生と痴漢冤罪によって破壊される自分の人生を考えたら後者の方を重視する、と述べている。それも私が痴漢冤罪の確率が低いんだと言っても考えは変わらないようである。さて、これは妥当だろうか?
 ここで重要なのは「ゼロリスクはありえない」ことである。実際、きわめて重大な結果に至る可能性があってもその確率が低ければ(いや、結構高くても)ベネフィットの方を優先するというのは割合あるのだ。一つ例を挙げると乗用車が挙げられる。乗用車を使用することで得られるメリットは単に公共交通機関の駅なり停留所まで歩いて便を待つ時間を省ける程度の利便性である(特に都市部では)。一方、乗用車がもたらすリスクはもちろん交通事故死である。平成24年の人口動態統計によれば乗用車との衝突による死者数は3,277人。わずかな利便性と引き換えにこれだけの人の人生を奪ったのである。もちろん重大な結果だ。しかし乗用車はもちろん日々走り続けている。痴漢冤罪を主張する人たちは「「社会全体の損益では痴漢被害の方が問題である(から発生確率の低い冤罪を問題視すべきでない)」という主張は、「その低い確率が当たった人間は社会のために諦めて死ね」というのと同じことです」と言っているがそれは私たちが日々言っていることである。
 さらに続ける。私は電車に乗れば新宿まで乗り換え無しで1時間かからない地域に住んでいるものだから乗用車など利用しない。したがって私は乗用車の便益を受けていないがしかし乗用車によるリスクだけを引き受けている。痴漢冤罪を訴える人たちは見ず知らずの人の便益より自分の重大な被害を優先するのが当然だ、だから見ず知らずの人の痴漢被害より自分の重大な被害を優先するのが当然だ、だから痴漢冤罪について騒ぎ立てる、痴漢冤罪がなくならなければ痴漢取り締まりに協力する気すらないとまでと主張するものであるが、それならば私など乗用車の便益はまったく受けずリスクだけを引き受けているのだから乗用車を廃絶させるように運動をしてもかまわないというものになる。乗用車の廃絶運動など賛同をしてもらって廃絶しようというものに過ぎないのだから痴漢被害者の賛同も得られないのに取締りに非協力を貫くことに比べれば温和に過ぎるのだが。
 さて、皆さんはここまで読んできて乗用車を廃絶しようという気になっただろうか?「現に」3,277人が死亡しているのであるからそのリスクは重大である。と論じてくれば「いかに確率が低かろうと重大な不利益があればそちらも重視すべき」などというのは間違いであるということがわかる。結局のところ、痴漢冤罪をあそこまで重視する人はリスクとベネフィットの比較をしないゼロリスク症候群となる。しかしこれはまだ弁護の余地がある。過剰なまでにフレームアップされたリスクばかりに目が向いた、いわばパニック状態とも言えるからだ。

2.痴漢冤罪パニックはなぜ起きる
 これは私の単なる与太話になるのだが、痴漢冤罪パニックが発生しているのはおそらくメディアに過剰なまでに煽られているという理由が大きいのではないか。実際に身近な人間が痴漢冤罪に遭ったという人は少ない。メディアによって痴漢冤罪を知り、メディアによって煽られ痴漢冤罪を恐れているとしか考えられない。じゃあメディアがなぜ痴漢冤罪を煽るかといえば単純にそこにマーケットがあるからだ。痴漢冤罪を取り上げれば購買力のある中高年男性の関心を引くことができる。スポンサーとしてもそんな記事に広告を出稿すれば購買力の高い層にアピールをすることができるのだから喜んで出稿する。商業メディアとしては当然広告収入を考えなければならないのであるからスポンサーがつく記事を出す。そんなわけで中高年男性が喜ぶ痴漢冤罪の記事を出して煽っているのではないか。
 10年以上前の少年犯罪パニックのときも実際は当時の殺人は少年よりも中高年によるものの法が多かったがそのことはほとんど報じられなかった。これも同じメカニズムであろう。つーかメディアに踊らされて情弱だね

3.ミソジニーもやっぱりいる
 さて、前者は単純に見る目が歪んでいただけに過ぎないとも言えるのでまだ弁護の余地はあるのだが、次のようなコメントをする者がいた。
 氏は「痴漢冤罪による被害は人生が破壊されるものだ、従って痴漢冤罪を重視すべき、いくら確率が低くても同じだ」と述べていたのである。ところが痴漢冤罪以外の罪種の冤罪の可能性になるととたんにこのように頬かむり。どのような罪であろうと警察の被疑者発表は単に警察の一方的な見方に過ぎないのだ。警察は人を疑うという視点で物を見ているのでどうしても人を見ればドロボーと思え式のバイアスがかかる。これはどこの国の警察でもまったく同様である。警察が警察である限りもはや不可避なのだ。従って、どのような罪であろうとどのような被疑者であろうと警察の発表とは違って冤罪である可能性は常にあって、層である以上冤罪被害を重視するというのなら常に冤罪被害の可能性を考えなければならない。ところが痴漢冤罪のみフォーカスを当てる。痴漢冤罪に限って冤罪を重視しているに過ぎない。従って、「痴漢如き女の被害なんかよりオレ様の冤罪被害の方が重要だ」と述べているに過ぎない単なるミソジニーであるという結論になる。

4.資料屋の反省
 以上、縷々述べてきたことを考えたら冒頭で述べた泥仕合、戦略を誤ったと言わざるを得ない。単なる痴漢冤罪パニックに取り付かれている人間をも一緒くたにしてミソジニーとして取り扱ったからだ。あるべき戦略はミソジニーは徹底的に批判しつつ痴漢冤罪パニックについては事実を示して不安を解消していくというものであった。

付記.私自身の個人的な体験から来る限界
 togetterにも書いたのだが、私はほぼノーガードで日ごろ電車やバスに乗車する。それでも痴漢冤罪に出くわしたことはまったくなかった。一方、痴漢被害。私はかつて高校生女子10人ほどと日常的に接していた時期があったが、そのころ痴漢の話をよく聞いたこと。半月に一回は聞いた。そんなこともあって現実的な体験から痴漢冤罪より痴漢被害の方が実感を持てるという事情がある。そんなところからバイアスがかかっている可能性はある。

注意.件のまとめに出入りしていた中核メンバーへ
 私の書きたいことはすべて説明したので私の言ってることに同意するまで読み直すこと。また、あんた方の主張をこっちにまで持ってこないこと。あんた方が私の意見に反対した場合検閲とみなし、コメント投稿を削除する。場合によって該当IPを投稿禁止設定する。以上、あんた方が言ったことをそのままお返ししますよと大人気ないことを言ってみた(でも実際に削除する気にはならないと思うけどね)。
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テーマ:冤罪 - ジャンル:政治・経済

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ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

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