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■納税者が生活保護利用者を支えるべき理由を浅学非才のくせに解説してみましたよ

 生活保護のよくある誤解に答えてみました(みわよしこ)Yahoo!ニュースーについてのツイートまとめを見ていてとても寒々しい気持ちになった。「病気で働けないなら餓死すればいいし、シングルマザーが嫌なら離婚しなきゃいい。なんにも苦労してないくせに金をもらってることが許せない」だとか「受給者と縁もゆかりもない他の納税者が受給者を保証しなきゃならない納得のいく理由がほしいです」などと平気で書いている人がいるのを見たからだ。そこで、今回私は浅学非才の身の程もわきまえずエラソーに解説してみようと考えた。有識者からすれば突っ込みどころは多数あるであろうが、突っ込みはコメント欄に寄せてくだされば。それではつらつらと解説してみよう。

 私たちは社会をつくって営んでいる。そして社会を営むに当たってさまざまなお約束をしている。なぜ社会をつくっているかといえば、外敵などから身を守るためには他の人間と協同したほうがより効果的であるからだ。それどころか他の人間と協同しなければ自らの生存すら危うくなる。ここで社会から外れた暮らしというのをイメージしがたい方がいたら無人島での自給自足生活をイメージして欲しい。ちょうどこれこそが社会というものを作らずに行える暮らしである。なるほど、社会というものを作って他の人間と協同することによってより豊かな暮らしを送れることがわかる。それでも自分に力さえあれば社会をつくらずに自由に暮らしたほうが豊かになると考える方もいるかもしれない。なるほど、自分に力さえあれば弱い者からいくらでも奪うことができるのだから豊かな暮らしが実現するように見える。しかし、より強い者が現れ、自らの財産を奪ったとしてもそれは正当なものということになってしまう。結局この考えでは豊かな暮らしは実現できないのだ。そこで私たちは約束をして社会をつくった。この約束によってより強い者におびえることなく自らの豊かな暮らしを得ることができるようになった。
 社会をつくり、共同でさまざまなものを作り出し、維持することによって私たちはより豊かな生活を営むことができる。例えば自然災害が起こったときには我々が共同で維持している中央政府や自治体の諸機関が被災者の救助に当たる。それどころか自然災害が起こる前にあらかじめ災害が起こったときの被害を最小限に抑えるためのさまざまな施設を作っておくこともしている。私たちがまったくの個人で災害に備えるよりもより確実な備えができるわけだ。同じような考えで政府や自治体のさまざまな活動を私たちは共同で支えている。そんな政府や自治体の活動の一つに社会保障がある。

 社会保障とは病気や障碍、さらには貧困や老齢などといった避けられないアクシデントによって暮らしが立ち行かなくなったり、あるいは暮らしが立ち行かなくなる可能性がある人たちを支える仕組みである。これらのアクシデントに個々人で備えると個々人が膨大な貯蓄を必要とする。ほとんど非現実的だ。しかしこれらのアクシデントに遭う個人はそうそういるわけではない。それならば私たちが少しずつお金を出し合ってプールしてアクシデントに遭った人を支える仕組みを作ったほうがはるかに効果的だ。個々人が拠出するお金も比較的に少額で済む。これならば現実的である。個々人単位で考えたらアクシデントに遭ったら致命的なダメージを受けることすらある。そしてアクシデントに遭うか遭わないかのどちらかしかなく、その予測すら不可能で、備えるのも事実上不可能だ。ところが同じリスクを持った人が100万人、1000万人と集まればこのうちどのくらいの人がアクシデントに遭うかは大体予測できるし、その予測に基づいて全体でどのくらいのお金が必要かを計算することもできる。この計算を基にして集まった人々からお金を集めておいてアクシデントに遭った人に支払うこととすれば個々人はわずかな(といっても個々人で備えるのに比べれば、の意味であるが)負担で十分な備えが出来るわけである。数学で言うところの大数の法則の応用である(このようなからくりを相互扶助と表現することもあるが私はここであえて大数の法則で説明することとする)。ここで保障されるアクシデントは病気や障碍にとどまらない。低所得なども含まれる。これらのアクシデントを社会保障事故という。そして提供されるものも金銭を提供するだけではない。医療サービスという現物だったりもする。金銭を提供したりサービスなどの現物を提供することを社会保障給付という。また、社会保障給付を提供するほどではないがしんどい状態にあるという人たちについても社会保障制度として対応すべきものではあるので負担を免じたり減じたりするということもしている。
 日本の社会保障制度で中核的な役割を担っているのは社会保険である。これには年金保険、健康保険などが含まれる。加入者が金銭を出し合い、金銭を出した加入者が病気であったり老齢であったり障碍であったりといったアクシデントに遭ったときにお金だったりサービスを提供する。もっとも、これらのアクシデントに遭ったとしても必ずしも生活が立ち行かなくなるというわけではない人もいるだろうが、そのような人にもお金やサービスは提供される。貧困に陥らなくても給付は受けられるのだ。万が一のアクシデントによって貧困に陥ることを防ぐのがこの社会保険制度の主な目的である。そしてこの制度も先に述べた大数の法則の応用で運営している。ただしこの仕組みは「お金を出した人ほどいざというときにより多くのお金やサービスの提供を受けられる」ものであるから、あまりお金を出せなかった人はそれなりのサービスしか受けられない。さらに極端になると保険料を払う余裕がまったくない人は保障を受けられないことすらある。また、これは特に日本の場合であるが、お金を出しやすい人たちの集まりから先に社会保険制度を作っていったがためにお金を出しやすい人たちほど充実した保障を受けられるがお金を出しにくい人たちはあまり保障が充実していないという弱点がある。
 具体的に述べると健康保険と国民健康保険の格差だ。お金を出しやすいサラリーマンだけで集まった健康保険はいざというときの保障も充実している割に保険料は比較的抑えられている。しかしサラリーマンを除いた人たちだけで集まった国民健康保険はそもそも働けない人たち(老人や障碍者、傷病者など)が構造的に集まってくるのでいざというときの保障は手薄なのに保険料は健康保険に比べて高めである。働けない人たちはそもそも医療サービスをたくさん必要とする人たちが多いのでこの傾向に拍車をかけている。一般に社会保険制度は余裕がある人たちほどより多くの保障を受けられる傾向にあるということが言える。
 このほか社会保障には社会福祉というものもある。これは障碍者福祉や老人福祉などが含まれる。これは社会保険制度を作るのにはなじまないアクシデントに対する備えを提供している。もっとも社会福祉と社会保険の境目は流動的なもので、社会福祉で対応していた老人福祉を介護保険という社会保険に置き換えたという前例はある。
 そして、社会保険や社会福祉で対応し切れなかった場合に初めて出てくるのが公的扶助である。社会保険はそもそも対応できるアクシデントが決まっている上に保険料をあまり払えなかった人は十分な備えを提供できないという弱点があった。また社会福祉にしても対応できるアクシデントは限られている。そこでそれらでカバーしきれなかった人たちに提供されるのが公的扶助である。日本では生活保護として運営されている。やっとここで生活保護の登場だ。公的扶助が備えているアクシデントは「社会保険や社会福祉、さらに自分の収入だけでは健康で文化的な最低限度の生活を営めない」というものである。であるから社会保険や社会福祉とは相互補完的な関係にある。こちらも先に述べた大数の法則を応用して運営されているわけだ。集まった人々から集めるのが税金、提供されるものは医療扶助という名の医療サービスだったり生活扶助という名の金銭だったりだ。この点、社会保険制度とまったく変わらないものである。
 ところがこの生活保護、一部の人にはものすごく評判が悪いのは冒頭に書いたとおりである。財源が保険料でないことも評判が悪い一因であるが、そもそも社会保険制度ではカバーしきれない場合に備えているのだから財源が保険料ではないことは問題視すべき点ではない。もし保険料を財源とした社会保険制度以外の社会保障を認めないとするのなら保険料を払う余裕がある人だけがいざというときの備えを得られればそれでよいということになる。それでは十分な備えができない。
 ここで「受給者と縁もゆかりもない他の納税者が受給者を保証しなきゃならない納得のいく理由がほしいです」という問いについて回答しておこう。私たちはいつ貧困になるかわからない。もしかして貧困になるかもしれないしならないかもしれない。それは予測できないことだ。そこで皆でお金を出し、プールしていざというときに備えるという道を選んだ。これが社会保障制度の基本的な仕組みである。それは生活保護もまったく同じなのである。もしかしたら自分も貧困になるかもしれない、そのようなリスクがあるのだから皆で共同して備えるほうが合理的なのである。あるいは自分は貧困に陥ることは絶対にない、そういう立場の人もいるだろう。しかしそんな人にも等しく貧困になるリスクはあったのである。先にも述べたように社会保障はリスクがある人(それはすべての市民である)が寄り集まってお金をプールしていざというときに備える、大数の法則の応用だと述べた。しかし貧困に陥ることがないという自分の人生の帰結が見えた人が脱退して行ってはこの大数の法則の応用である社会保障制度は崩壊する。たまたまリスクが実際のものとならなかった人が皆脱退したり返金を受けたりしたら結局最後に残るのはリスクが現実のものになった人たちだけで、それでは個人個人で備えているのと何ら変わらないことになってしまう。いわば定期生命保険で保険期間中に死亡しなかったから返金しろと言っているようなものである。そのような求めが通用しない、そのような求めに応じたら生命保険は成り立たないのは多くを説明しなくてもお分かりになられるだろう。
 あるいは別の疑問、「生活保護利用者はいわば自業自得、自業自得にまで面倒を見ていたらいくらあっても足りない」と言う疑問もあるだろう。たしかにこれは字面だけを見ればもっともであるが、しかし何が自業自得かは結局わからないのだ。荒んだ生活を送っていた人たちも実際は社会環境の影響で荒んだ生活を送った可能性も捨てきれない。そのような人を切り捨ててるべきだと考えるだろうか?

 以上、つらつらと説明してきた。忌憚のないご批判とご教示を期待する。
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テーマ:社会保障 - ジャンル:政治・経済

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ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

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