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■「世代間格差は存在せず世代内格差だけ」というのは間違いだ

 昨日の記事の続き。「Think outside the box」というブログに「子供を産まないのは自由だが、対価は支払わなければならない」という記事がアップされたがこれもまた突っ込みどころが満載である。以下突っ込みを入れていく。

 まず氏は「負担に比べた給付が減るのは、先行世代のためではなく、同世代の子供のいない人がただ乗りしているためです。一見すると世代間不公平のようですが、その実は世代内不公平ということです。(闘争するなら世代間ではなく世代内で)」と述べている。理由として「幼少時に親から受けた便益(を金銭換算したもの)」と「成長後に親に支払う金額」をそれぞれ1人当たり1」としたときに要するに多くもらっている世代は多くの子を産んだからだ、その分多くの子育て負担をしたのだから釣り合っているとしている。しかしこれは端的に間違いだ。氏の論は子育て負担と成長後に親に支払う生活費が等しく1となっているという前提の下に組み立てられており、そしてこの前提が間違いだからだ。というのも世代によって寿命にかなりの差が見られるからだ。寿命が長ければ長いほど当然老後の生活費は多くなる。老後の生活費は多くを現役世代の仕送り(含む、年金拠出)によって賄っているわけだから老後の生活費が多くかかるようになるのはすなわち現役世代の仕送りが多くなるということになる。また、年金制度は自分の親だけでなく社会全体の老人の面倒を見るわけだからその時代時代ごとの老人の寿命がダイレクトに影響することになる。
 そこで実際に25歳時の平均余命を見てみることにする。ここで25歳時とするのは実際に子を持つに至るまでに死んでしまった人の影響を取り除くためである。25歳まで生きていた人があと何年生きていたかを見ようというものだ。段階の世代真っ只中の1947年生まれの者が成人を迎えた1967年時点で25歳男子の平均余命が46.41、女子は51.01(厚生労働省「簡易生命表」。なお、このデータは総務省統計局「日本の長期統計系列」2-36表によった)。一方、2011年時点では25歳男子の平均余命が55.10、女子が61.45となっている(厚生労働省「平成23年簡易生命表の概況」)。寿命の短さは生活費の少なさに直結するから、団塊の世代は今の若い世代よりも支えるべき老後の生活費が少なかったのだ。
 保留しておいた子育て負担にしても相当に世代間格差がある。もちろん教育費がまったく違ってくるからだ。団塊の世代は3割ほどが中学校しか出ていないのに対して現代の30代前半は6割が専門学校以上を卒業している。もちろん中学校しか出ていない人の割合は比べるまでもなく低い。さらにこれからの世代となると大学進学率がもっと上がるだろうからさらに教育費負担は増すことになる。
 ここまでの議論をまとめると次の通りである。
・かつての世代は親世代が早くに亡くなっていたので仕送りも少なかったが今の世代はそうではない。
・また子育て負担だって世代によって相当に違う。
 このことから世代を串刺しにして「幼少時に親から受けた便益(を金銭換算したもの)」と「成長後に親に支払う金額」をそれぞれ1人当たり1」とするのは間違いだということになる。

 ここまで論じてきたが、しかし私は「すべては世代間不公平だ、世代内不公平が存在するわけがない」と言いたいのではない。世代間不公平も世代内不公平も両方あると言いたいのだ。
 子を育てるための負担が子育て世帯にのみかかっているのはやはり不公平で、子は社会の宝だから皆が等しく負担して育てようという氏の主張には大いに賛同するところであることは申し添える。ただし子育ては社会でしましょうというとき、老人世代が一人負担を免れてよいということにはならず、すべての世代が等しく負担すべきであることを指摘しておく。
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テーマ:少子化 - ジャンル:政治・経済

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