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■保育所が足りないと訴える保護者にどこまで努力を求めていいのか

「認可保育所増やせ」 都内で相次ぐ母親たちの異議申立て
生活保護とギャンブルと密告

 この二つの記事を見て思った。保育所に入れたいという保護者にどこまで努力を求めていいのだろうかと。ひいては行政サービスすべてにおいて要望する人にどこまで自助努力を求めていいのだろうか。これがなかなか難しい。自分がサービスを受ける側だったら寛大なサービスを求めるし自分が負担する側なら厳格にサービス提供を絞ることを求めるのだからなおさら難しい。例えば保育所についてうんとうんと厳しい見方をすると次のようなことも言える(ただし私がこれに賛成というわけではないので念のため。うんとうんと厳しく当たるとしたらどのようなことを言えるかシミュレーションをしているまでなので念のため)

―共働きをしなくても済むように生活水準を落とす
―親族に子を預ける、または親族に昼間だけ子を見てもらう
―保育所に空きのある地方に転居する
―だいたい、統合失調症を抱えながら保育所に入れることなくどうにか子育てをした人を私は知っている(実話)。そういう人と比べて不公平ではないか
 一つ目について詳しく述べると本当に共働きをしないと生活が立ち行かないのだろうか。とりあえず食べるものがあれば飢え死にはしないし娯楽なんて不要。教育費だって全部公立で済ませればそれほどの負担ではない。公立高校に入れなくても高校は義務教育ではないのだから働けばよい、働きながら通信制や定時制に通えばよいではないか。社会に出てしばらく経ってから学校に通いなおす道もある。本当に共働きしないと教育費や生活費が賄えないの?単に贅沢な生活を維持したいために子育てを社会に押し付けているだけではないか。
 三つ目は地方なら保育所に空きがある。そういう地方に転居するのも一つの道ではないか。現在農業従事者は減少の一途を辿っている。また農業は常に人手不足。地方に行って仕事がないなんてのは甘えで、農業にいくらでも職がある。農業を目指せばよいのではないか。
 そもそも保育所だって貴重な公費からその費用を賄っている。2011年度決算で児童福祉費は7兆円を突破した(総務省「平成24年地方財政白書」)。これは子ども手当や児童養護施設の費用も入っているから単純にはいえないもののそれでも膨大な額である。それだけの費用を費やしても現在保育所に入っているのは210万人に過ぎない(厚生労働省「平成23年福祉行政報告例」)。調査年度が違うから単純に比較することはできないが2010年国勢調査では6歳未満の子が635万人もいる中の3分の1程度である。これから保育所を入りやすくしていったらこの635万人全員が保育所を目指すことになり、それに応えるとしたら今の何倍もの公費を投入することになり到底現実的とはいえない…
 と、こういう主張をしてくる人はいてもおかしくない。また、現に自民党杉並区議田中ゆうたろう氏は「「子育ては本来は家庭で行うもの」という基本中の基本を忘れるべきではないと痛感する。一抹の遠慮も忸怩の念もなく、声高に居丈高に「子供を持つなということか」「現状のおかしさに気付いて」などと世を恨むかのような態度は、それこそどこかおかしい、どこか的を外している。」と主張している。繰り返しておくが私がこれに賛成というわけではない。むしろこのように徹底的に自助努力を求めるのには反対である。おそらく子育て世帯の皆さんもこんなことを言われればあまりにもひどいと反発するだろう。そしてその反発は正当である。

 次いで老人福祉についてこういうのはどうか。これまたうんとうんと厳しいことを言うとするとどうなるかシミュレーションしたまでのことである。私はこれにも反対であるがあくまでもシミュレーションとして書くだけである。

―親族兄弟にとことんまで面倒を見てもらう努力はしただろうか。本来親族兄弟が果たすべき責任を国に押し付けていないか。
―老人ホーム入所が必要というが、本当に必要だろうか。親族兄弟が生活水準を落としたくないから入所させたいだけではないか。食うや食わずやという状態になっていないのだから入所は甘えではないか。
―生活費だって本当に足りないのか。旅行だショッピングだとずいぶん贅沢な暮らしをしているのではないか。旅行の代わりに囲碁・将棋・トランプでもしたらいい。働いていないのだからお金がかかるレクリエーションは贅沢ではないか。
―医療費だって先発品を使うのは贅沢。より安いジェネリックを使うべきではないか。先発品もジェネリックも効き目はほとんど同じ。若干の違いはあるにしても工夫すれば何とかなる。何でもかんでも保険で面倒見ていたらキリがない。現にアメリカでは保険ではジェネリックしかカバーしないものもある。
―年金を食糧現物支給だけにしてみたらいい。そうしたらほとんどの人が働くのではないか。それでも残った人たちだけに給付を重点化したらいい。
―確かに保険料を払ってはきただろう。だが保険料を払ったからって無限に贅沢をしていいわけではない。贅沢をしなければその分若い人が払う保険料も安くて済む。これから老人はどんどん増えるのに生産年齢人口は減る。今のままの福祉を維持するのは到底現実的ではない。

…はい、読んでいてだんだん怒りがわいてきた読者の方も多いだろう。私も自分で書いていながらなんだが何言ってるんだと思ったくらいだ。当然こんなのは人間の尊厳を無視した言い分で、老人やその周りの家族のごくありふれた暮らしを奪い去る言い分でもある。老人やその周囲の人間の自己決定権やその他の人権を無視したものである。ここまでの自助努力を要求するのは明らかにおかしい。介護保険施行前はこういう風潮があったのだが今ではほぼいっそうされたと思われる。

 さて、最後は生活保護である。これまたうんとうんと厳しいことを言ってみたらどうなるかである。

―家賃の安い地方に引っ越したらどうか。地方に引っ越して人手不足の農業ででも働いたらいい。
―貧しいのに生活保護を受けずに頑張っている人もいるんだ。生活保護は甘え
―教育費だって本当に必要なのか。全部公立で済ませればそれほどの負担ではない。公立高校に入れなくても高校は義務教育ではないのだから働けばよい、働きながら通信制や定時制に通えばよいではないか。社会に出てしばらく経ってから学校に通いなおす道もある。
―親族兄弟にどこまで面倒見てもらう努力をしたのだろうか。本来親族兄弟が果たすべき責任を国に押し付けていないか。
―生活保護が必要というが、本当に必要だろうか。親族兄弟が生活水準を落としたくないから生活保護に押し付けているだけではないか。食うや食わずやという状態になっていないのだから生活保護はは甘え。
―生活費だって本当に足りないのか。動物園だCD買うだとずいぶん贅沢な暮らしをしているのではないか。その代わりに囲碁・将棋・トランプでもしたらいい。働いていないのだからお金がかかるレクリエーションは贅沢ではないか。
―だいたい今だって膨大な費用がかかっている。このままにしておけば怠け者が増える。大幅に切り下げることが必要。そうでないと維持できない。

…これには同意するところがあった人が多いと思う。それもそのはず、実は最後のだけは実例を拾い集めて再構成したものだからだ。このような生活保護批判が実際にある。このリストをよく見てほしい。もうお気づきだろうが保育所や老人福祉についてうんとうんと厳しいことを言ったらどうなるかのシミュレーションはすべてこのリストを改変して記述した。保育所を求める保護者や老人について言ったら猛反発するのに生活保護利用者について同じことを言ってら拍手喝采。

 行政がどこまでサービスするべきかを決めるのが難しい理由はひとえにここにある。自分がサービスを受ける側だと手厚いサービスを求めるのに自分が負担をする側だとサービスを絞ってほしいとなる。同じようなことを茨城県高校教員の夏木智氏は「福祉川柳の大騒ぎ」という小論で詳しく述べている。どこまでサービスをするべきかを決めるのはなかなか難しい。ただ、ある分野でのサービスについて厳しく対象者を選別しろとすると他の分野のサービスにもそれが波及しがちである。保育所について保育サービスについて厳しい視線を送っている田中ゆうたろう杉並区議が所属している政党が生活保護について厳しい選別を主張する自民党であるのが示唆的である。ある分野についてだけ厳しいことを言ったとしてもほかの分野にその厳しさが飛び火する可能性は十分にある。自分の給付だけは寛大に、他人の給付は厳格にというのはうまい話だがそんな都合よくはことは運ばない。

 ここまで偉そうに書いてきた私だってどこまでサービスに寛大さを求めるかはなかなか決めあぐねている。生活保護利用者が保育所利用者とまったく同じようにいくらでも贅沢な生活が出来るようにするべきだというのはおそらく間違いだとは思う。保育所利用者に生活保護利用者と同じ暮らしをしろというのも多分間違いだ。だからと言ってどこまで生活保護利用者と保育所利用者の差異を認めるべきかもなかなか難しい。いちおうこの二つのニーズを別個のものとして「保育が必要かどうか」と「健康で文化的な最低限度の日常生活を満たしているかどうか」を別に測るという整理の仕方を考えてはいるが、これだと保育所利用者と生活保護利用者の差異を不当に大きくするのではないかというためらいがある。
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テーマ:社会保障 - ジャンル:政治・経済

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