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■体罰を論ずる人たちは「言うことを聞かせることが必ずしもできるわけじゃない」ということを忘れている

 はてなブックマーク - 朝日新聞デジタル:「ハゲ」と言われ平手打ち 神奈川の教諭、生徒16人に - 社会を見て思ったことをつらつら書いてみようと思う。生徒に「死ね」「ハゲ」などと暴言を吐かれた教員が生徒に対して体罰を行った事案を報じた朝日新聞記事につけられたブックマークである。このブックマークには暴言を吐いた生徒を非難するもの、体罰じゃなくて躾だとするもの、体罰以外の処分を検討しなければならないとするものなどさまざまなコメントが付されている。目視した範囲で代表的なものを挙げてみたつもりだが詳細はご自分で確認されたい。
 さて、ここにはさまざまな意見が載せられているが、「言うことを聞かせられる場合ばかりじゃない」という当たり前の事実に気付いている人はあまりいない。いや、そればかりか体罰に関する議論一般にこのことに気付いている人はいないように見える。言って諭せば生徒は聞くとする体罰を批判する人たちはともかく叩かなきゃ言うことを聞かないとする体罰を正当化する人たちは言うことを聞かせられる場合ばかりじゃないってことに気付いているんじゃないのと一見思えるが、実際はそうではない。彼らの主張は体罰をしてでも言うことを聞かせるべきというものであって、言うことを聞かせられない場合もあるということを無視している。

 学校以外の市街地では相手が必ずしも自分の思うとおりにならないことは当たり前の事実だ。皆さんもこれはわかるであろう。例をあげよう。「在日特権を許さない市民の会」の副会長・川東大了は水平社博物館前にて差別的な街宣を行い、裁判所から賠償命令を受けている。さらにこれに飽き足らず川東は今年の1月にも再度差別用語を使用した街宣を行っている。水平社博物館側からすればこんな街宣は止めてほしいと思っているだろうがしかし川東からは賠償金を取ることしかできていない。さらに進んで川東を強制的に施設に収容して矯正教育を受けさせることはできていない。川東は差別はお金の問題ではない、差別されてお金を取れば差別はなくならない、なぜなら差別してお金をもらえるなら差別が利益につながるからだ、差別の問題をお金にすりかえたなどとあげつらっているが仕方ないではないか。民事訴訟という手続きではほとんどの場合金銭賠償しか認められないのだから。そのほかの措置が認められるにしても謝罪広告ぐらい。それぐらいしかできないのである。
 刑事があるではないかと。それはそうだ。刑事であれば確かに強制的に拘禁することはできる。だがそれだけだ。必ずしも相手が言うとおりにすることを担保するものではないのである。たとえ刑務所に拘禁された受刑者が更生していなくても刑期が満了すれば必ず釈放しなければならない。出所後の「お礼参り」は時折あることだし、そこまで極端でなくても再犯というのは一般的に見られることだ。このように刑事罰といえども相手が必ず言うとおりにすることを担保するものではない。しかもその刑事罰とて必ず下されるわけではない。些細なもので言えば駐車違反・スピード違反など検挙される方が珍しい。市街地で殴りかかられたとしても怪我がなければ警告・注意で終わる場合が多い。そもそも警察が呼ばれない場合だってあるではないか。しつこくしつこくしつこく電話をかけてきて逆ギレする迷惑セールス電話だって警察は手出しできない。これらの事案をいちいち警察に処理させていてはキリがないという判断もあろう。だから市民は仕方がないと諦める。手荒く「制裁」をすればむしゃくしゃも少しは収まるのかもしれないが、そういうのはリンチになるから許されないことであるというのは常識である。

 ところが、こと学校になるとこのような常識がすっかり忘れ去られることになる。何が何でも体罰を行ってでも言うことを聞かせなければならないか言って諭すだけで必ず言うことを聞いてくれるかというのがまともに争点になるのだ。違うでしょう、これって。言うことを聞いてくれない場合はままある。言うことを聞いてくれないなら諦めるか公式の手続きに乗せるかどちらかしかないでしょう?言うことを聞いてくれる事案まで公式の手続きに乗せろとは言わないが、言うことを聞かず、それでも強制的にいうことを聞かせたいなら公式の手続きに乗せるしかない。そこまでは大げさすぎるというのなら諦める。何でこと学校となると100%言うことを聞かせなければならないと考えるのが、そこが不思議なのである。
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テーマ:体罰の是非 - ジャンル:学校・教育

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ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

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