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■【togetter生活保護論議反省記】生活保護議論に必要な社会契約の最低限の知識

 先週末から今週前半にかけて「生活保護基準引き下げ」により何が変わる?→みんなが影響を受ける。 - Togetterのコメント欄で主にqquppa氏、及びhiandlow73氏の両氏と生活保護について議論をした。この議論は最後までかみ合わず、結局物別れに終わったのだが、議論を終えてある程度時間がたって振り返ると気付くものがあった。それを二回に分けて掲載する。一回目である今回は生活保護議論に求められる社会契約の知識と題して主に原理原則面の話をする。

 この議論のさなか、私は「あなたが今すぐに受け入れられるギリギリのレベルこそが生活保障として認められるべき水準と言えるでしょう」と述べたのだが、これに対してhiandlow73氏は「前にどこかにも書いたが、「あなたがその立場になったらどうするの?」という反論は大嫌い。「その立場になったら受け入れるよ」と言ったら、納得するの?違うでしょ。」と返した。しかし、自分が同じ立場になったらどうなのかという問いは社会保障制度を考える上で、そしてこの社会のあらゆる制度を考える上できわめて重要な問いなのだ。大いなる難しさはあるにしても真っ先に取り組まれなければならない問いなのである。
 説明しよう。我々は今現在国家を営み、社会を営んでいる。これは、社会というものを営むことによって社会を営まないよりもよりマシな生活を得るためなのである。これを実現するために政府というものを設け、政治に当たらせている。これがいわゆる社会契約説というものである(ただしあまりにも荒すぎる説明だ)。憲法も民主主義もすべてこの理論から生み出されたものである。近代社会を支えるきわめて重要な理念だ。さらにこの社会契約という考え方を推し進めると次のことが言える。社会の成員すべてが社会の中でどのような立場になるのかは選べない。低所得になるか高所得になるか、障碍を持って生まれるか、あるいは何らの障碍をも持たずに生まれるか、それは選べない。今障碍を持っていないあなただってもしかしたら障碍を持って生まれたかもしれない。つまり、どのような立場になるのかは端的に言って「わからない」。そこで、そもそもどのような立場になるのかわからない状態だとして、その状態で新しく社会をつくるに当たってどんな制度などを選択するか、そこで出た答えがあるべき制度というわけである。ここから「自分が同じ立場になったときに受け入れられるギリギリの生活」というのがあるべき制度だという答えが出る。ここまで回りくどい言葉で説明してきたが、要するに「明日はわが身」ということである。

 さて、この説明を踏まえて先ほどのhiandlow73氏の「前にどこかにも書いたが、「あなたがその立場になったらどうするの?」という反論は大嫌い」という考えをみてみよう。このような考え方は社会契約というこの社会を支える重要な理念に背くものであり、とうてい「「その立場になったら受け入れるよ」と言ったら、納得するの?違うでしょ」という技術的な問いでは正当化できないものなのだ。「明日はわが身」というのを無視した無責任な論と言うほかない。たまたまの結果に対して責任を問うようなものである。これは、「ゼロから何かを得るためには、何らかの犠牲は甘受すべき」とする氏の論理についても同様に妥当する。たまたまの結果税金を払えない状況にあるものが権利を得るためには犠牲を払わなければならないとするものだが、これももちろんたまたまの結果に対して責任を問うものであるから誤りである。もっとも、たまたまの結果高所得者になった者と低所得者になったものとでは生活水準はおのずから違ってくるのだが、これと基本的な権利・自由についてまで制限すべきとはならない。高所得者になるかもしれないという可能性を考えれば高所得者の権利を制限しすぎてはならないし低所得者になるかもしれないという可能性を考えれば基本的な権利を失わせることはできないからだ。
 つづけてqquppa氏の論についても検討をする。氏は、「不作為は人権侵害ではないとするならば、あなたに対しては介入しないと政府が決定した結果あなたの財産は得た横からことごとく奪われ、労働基準法無視の条件下で働かされ、教育すら受けることができず、選挙の投票すらできず、最後は殺されたとしても政府に責任はないとしますね?」という私の問いに対して「当然です。国が違憲にならない形で法律を制定したうえでそれを実施したなら、従うまでです。」と返している。さて、それでは社会契約はいったい何のために結んだのだろうか。それなら社会契約など必要ないではないか。これすなわち無政府状態の肯定であり、近代社会に生きる我々にとっては到底受け入れられないものである。
 なお、qquppa氏は政府の介入がない状態と比べてマシならばそれは肯定されるとしているが、これも間違いである。我々は社会契約を結ぶとき、「社会契約前の状態よりも少しだけマシならばその先はいらない」という契約をしたのではないからである。あくまでも比較すべきはどのような状態になるのかわからない状態での合意。その合意線よりも下ならばやはり肯定してはならないのである。

〔追記〕
 後編は【togetter生活保護論議反省記】「生活保護基準引き下げによって広く生活保護が行き渡るようにできる」は本当かとしてまとめた。
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テーマ:生活保護 - ジャンル:政治・経済

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■まとめ【【togetter生活保護論】

 先週末から今週前半にかけて「生活保護基準引き下げ」により何が変わる?→みんなが影響を受ける。 - To

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