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■山崎正友に対する恐喝罪被告事件第一審判決「第三章第四節第七~一六、第四章、第五章」

 目次はこちら。「続きを読む」よりご覧ください。
七 山本逮捕後の状況
1 被告人は、逮捕された山本が福島弁護士を通じて被告人にユアーズグループ継続を希望した上、昭和五二年四月末から同年五月にかけて、警察が東洋物産と産業サービスの関係、特に産業サービス倒産直前の関係について山本を厳しく追及し始めたので、山本が警察の取調べで学会、東洋物産に不利益なことを供述しないように、山本の希望を容れてシーホースによるユアーズグループ管理を続けざるを得なかったのであり、また山本が釈放されたら山本に会社を譲ってやるつもりであった旨供述する。
2 しかし、被告人は、すでに同年三月一七日、山本からユアーズグループの経営権を奪ってこれを完全にシーホースの支配下に置き、しかも、山本が逮捕されるや、その後二週間足らずの間に、ユアーズグループ各社を次々倒産するに任せ、その人員、営業等はすべて新会社が引継ぎ、それらの新会社をシーホースが統轄するという新たな体制(シーホースグループ)をつくっている(前記二22参照)。山本の釈放後、同人をシーホースグループに迎えるといっても、同人は債務を弁済しなければ経営権を回復することができない状態にあり、それは当時の同人には困難であったと思われる。
 また被告人は、同年九月中旬ころ、シーホースはユアーズグループから営業権の譲渡を受けたが、経営上は産業サービス、ユアーズグループとは一切かかわり合いのない別個の会社である旨を強調する書面を取引先に配付し、山本が同月三日保釈により出所した後シーホースグループに戻ることがなかったにもかかわらず、そのままシーホースの経営を続け、前記二25、26のような積極経営を行っている。以上の状況に徴すれば、山本逮捕後、被告人が山本の強い希望によりシーホースの経営を続けた旨の被告人の供述は信用し難い。逮捕直後はともかく、ある程度落ちついた後は、被告人がその気になれば、山本と話し合って、シーホースグループを整理する機会は十分あったのに、被告人が積極的にその経営を続けたものと認められる。
3(一) 被告人は、「昭和五二年四月下旬ころから同年五月にかけて、警察が告訴された事実についての調べを終え、余罪の追及とともに東洋物産と産業サービスの関係、特に産業サービス倒産直前の関係について山本を厳しく追及しはじめたため、被告人が都議会議員の竜年光と連絡をとり、同人から警視庁に圧力をかけ、東洋物産や今井等に対する追及をやめるようにかけあった。」旨主張し、その時期について、被告人の事務所の電話受理簿に四月二二日から五月一八日にかけて同議員から電話連絡が六回あった旨の記載があることを根拠に、警察が東洋物産と産業サービスの関係について山本を厳しく取調べ始めたのは同年四月一五日から二〇日までの間である旨供述する。
(二) しかし、
(1)山本事件記録を検討しても、警察が東洋物産と産業サービスの関係について山本を厳しく追及した事実を窺わせる証拠は全くなく、右事件の捜査の経緯、状況等に徴しても、警察が右の点について山本を厳しく追及したというのは不自然である。
 山本事件記録によれば、右取込詐欺の捜査は、前記四3(一)のように産業サービスの経営状態に関し広汎な関係者の取調べ等を行った上、山本に犯行当時の同社の貸借対照表、損益計算書を作成させるなどして、同社の支払能力を解明し、他方、被害者提出の納品書、入庫依頼書等を中心に個々の取引を特定し、右商品の代金として産業サービスから振出された手形の支払期日の記載等を基準に犯意を確定するという方法で行われており、このような捜査の流れ、方法からみて、右事件の捜査のために、産業サービスの東洋物産との関係につき山本を厳しく追及する必要があったとは認め難い。
 また、右事件の告訴人らの間に、産業サービスの東洋物産との関係、昭和五〇年一二月八日の債権回収等を問題にするような動きが全くなかったこと、警察も、東洋物産を産業サービスの大口債権者とみ、右一二月八日の債権回収についても、すでに昭和五一年一一月三日付司法警察員作成の捜査報告書において、東洋物産関係者の説明を疑問なく受け入れていたことは、前記四2(二)、3(二)のとおりである。
(2)その上、同記録によれば、四月一五日ないし二〇日ころは、本起訴の事実(不動産登記済証等の詐欺。前記四3(一)参照)についての詰めの捜査の段階であり、現に一五日から二二日までは連日右事実に関し山本の司法警察員に対する供述調書が作成されている状況であって(その後検察官の取調べを経て、同月二五日起訴)、取込詐欺について本格的に山本の取調べが開始されたのは右起訴からさらに約半月後の同年五月一〇日以降であることが認められる。このような四月一五日ないし二〇日ころ当時の捜査の状況に徴しても、当時、警察が産業サービスの東洋物産との関係につき山本を厳しく追及するというようなことは、全くありそうにないことと考えられる。
(三) 被告人作成の昭和五二年五月四日付中西あて報告書には、「山本は現在逮捕、勾留中ですが捜査の方は山をこえたようです。よほどのハプニングがない限り、こちらへ及ぶことはないと思えます。」との記載があり、当時、都議会議員を動かして警察の捜査を牽制しなければならないほど山本の捜査が危機的な状態にあったという被告人の主張とは、およそ裏腹の内容になっている。
(四) 被告人作成の昭和五二年六月七日付「富士宮市の件」と題する報告書には、同市と学会の関係の調整に関し、同年四月中旬から同市の各政治勢力や役所関係と折衝を重ねるに際し、竜都議会議員の応援を得ていたことを示す記載があり、前記電話受理簿に記載された被告人と同議員との交信は、右の件に関するものであったと推測される。
(五) 被告人の上申書にも右(一)同旨の記述があるが、これは被告人が右上申書を作成する際、偶々電話受理簿に同議員との交信記録があることに着目し、これを利用して虚偽の弁解を作出したものと認められる。
八 昭和五二年四月以降の日原造園からシーホースに対する資金援助
1 被告人は、右援助は学会の要請に基づくものであり、学会は同年六月日原造園に対し右援助に充てるべき資金等として墓苑工事準備金に含めて六億円を支出したと主張する。
(一) 右の点に関する被告人の供述は、次のとおりである。
 被告人は、昭和五二年四月八日ころ、中西を通じて池田あてに報告書を提出し、その中で山本逮捕前後の状況のほか、山本逮捕後の警察の追及を避けるため山本の希望を入れてユアーズグループを支えていくか、ある程度の事件化を覚悟の上、この際投げ出してしまうかの判断がつきかねており、前者の場合にはさらに四億円位の資金が必要であることなどを報告した。
 被告人は、さらに同月一一日ころ、池田と面談して、右四億円の捻出につき、これを日原から出してもらい、その資金源として同金額を富士宮墓苑工事代金に上乗せして支出するはかないと思うと述べたところ、池田はその方向で検討すると言っていた。数日後、前記池田あて報告書に、「本当に有難う、どうか題目をしっかり唱えて大成功して下さい。四億の件は(すすめて)結構です。」と書かれた銀行のメモ用紙(以下「池田決裁メモ」という。)がクリップでとめられ、中西を経由して被告人に返還された。
 そこで被告人は、日原に四億円の追加援助要請をすることについて池田の決裁が下りたことを北條に伝え、同年五月一日ころから右の件につき日原と交渉を開始した。同月中ころには、北條が日原造園東京事務所で直接日原と会って援助を要請し、一折衝の末、学会が日原造園に対し、同社がユアーズグループ援助のために支出した二億円を填補し、シーホース援助のために支出すべき四億円の資金とするため、合計六億円を墓苑工事の準備金に含めて支出することを約して、右援助につき同人の承諾を取りつけた。同年六月初め、学会から日原造園に対し工事準備金二六億円が支払われたが、うち六億円は右の趣旨で支出されたものである。
(二) 増山証人は、昭和五二年五月中ころ、日原造園東京事務所応接間において、北候と日原とが会談した際、自分は日原の秘書として、右応接間の隣の台所に控えており、応接間から聞こえる話を注意して聞いていたとして、右会談の内容を具体的かつ詳細に証言しているが、同証人が述べる会談の内容は、ほぼ被告人の供述に沿うものである。
(三) これに対し、日原の検面調書には、要旨次のような記載がある。昭和五二年四月上旬又は中旬ころ、被告人からホテルニュージャパン内の被告人の事務所に呼ばれた上、「ユアーズの社長の山本が警察に捕まっている。今度私がこのユアーズをシーホースという会社で吸収してやることにした。シーホースグループを作り、冷凍食品等を含め食料品を大きく取り扱うことにした。これから冷凍食品等を仕入れるのに資本が相当かかると思う。金額についてはその都度話し合いたいが、三、四億円位かかるかもしれない。いずれは二、三年位で二部上場の会社になると思う。是非資金援助をしてほしい。」などと依頼された。日原造園としては、被告人の方で金を借りてくれるということは、それだけ被告人との結びつきが強くなり、墓苑工事の仕事をより確実にとれることになるので、ありがたいことであった。しかも、一度に四億いるというのではなく、二、三千万円ずつその都度小口に貸付ければよいので、日原造園としてはそれほど負担になるとも思われなかった。当時、被告人は、学会で絶大な発言力を持っているように思われた。ことに墓苑事業に関しては常に窓口となっており、請負業者である日原造園は弱い立場に立たされていた。そこで、われわれとしては、被告人と深く結びつき、予定されている墓苑工事の仕事を絶対に取りたいと考えていたし、もともと右墓苑の仕事は日原造園でとれるという前提で五〇年以降学会や被告人のために行動してきたのであり、この時点までにも用地買付けや立木購入等にかなりの資金を投入していたのであり、ここで被告人からにらまれ、日原造園を墓苑工事から外されてしまったのでは、全てが台なしになってしまう。しかも、予定されている墓苑工事が概算二〇〇億円に及ぶ大事業であるため、地元業者らの思惑もからみ、日原造園や私個人に対する非難中傷も飛びかっていた。そのため、日原造園としては被告人との結びつきをよりいっそう強固にしておきたかった。このような立場にある日原造園にとって、被告人の依頼による貸付けは、それだけ相手が恩義を感ずるはずであるし、むしろ願ってもないありがたいことだった。そこで、被告人の依頼を承諾し、昭和五二年四月一一日から昭和五五年二月二一日まで三八回にわたり、日原造園からシーホースグループに対し、現金貸付け、保証、融通手形振出し等の方法により合計一二億七、三〇〇万円の資金援助を行った。シーホースへの援助に関し、北條や池田からの依頼はなかった。
 なお、同調書には、学会から墓苑工事準備金に含めてシーホース等への援助資金六億円の支出を受けた事実を窺わせるような記載は全くない。
(四) 北條の検面調書には、墓苑工事準備金に含めて六億円を支出した事実を窺わせるような記載は全くない。
2 まず、池田決裁メモについて検討する。
(一) 富士宮市の地方自治法一〇〇条に基づく調査権を行使する委員会(以下「百条委員会」という。)の調査資料中、被告人作成の昭和四九年三月二日付「富士宮市、日原議員の件」と題する報告書末尾に右池田決裁メモが添付された状態で複写されたコピーが存在する。右報告書は、同日北條及び被告人が日原と会見し、種々話し合った結果、日原に(1)今後、本山や学会を取引の材料にするようなことは絶対にしない、そういう動きがあったら身をもって阻止する、(2)本山や学会を攻撃するようなことはしないし、他にもやらせない、(3)本山周辺の計画には協力する、土地の整理についても全面的に協力する等を確約させたこと等を報じ、「これで本山周辺の政治的な障害は全部とりのぞかれ、あとは、本山自身の問題をのこすのみとなりました。」と結んだものであるが、被告人は、その前日の同月一日にも、同じく同市の政治情勢等に関する報告書(「富士宮の件」と題するもの。)を作成、提出している。この報告書には、「二月二五日、市議会の全員協議会、二月二六日、開発公社の理事会が開かれ、外神地区土地買収を正式に決定しました。」「今後、市長及び議長、副議長より文書による正式の借入れ申込みが本山と学会に出されることになっており、そこで具体的な条件の話合いに入ります。現実に、四億円を融資するのは、四月一日~一〇日頃までの間になります。」「今回の件に関して、市長、社会党及び総評静岡県本部、弘信商事等は、いずれもこちらに心から感謝しており、一〇〇%こちらのサイドに引きつけることに成功しました。又、日原等、悪い議員達も、完全にこちらのペースにまきこみ、にざることができたと思います。更に、市民感情も、いまだかつてないほど好転しました。」「以上のような状況で、現在では、こちらのイニシアチブで富士宮市政は動かせるという状態にあります。市長、助役も、何かあると、こちらに相談にくるといった状態です。」「市長らとの間では、(中略)市長以下、市側は、大石寺、学会のためなら、どんな努力もおしまないとの了解がついています。農地の問題は、相当な困難があることを知っているようですが、“身体をはって守る”というようなニュアンスになって来ています。」「こうした経緯ですので、富士宮における政治情勢に関するかぎり、順調に推移しており、心配な要因はとりのぞかれたと判断いたします。」等の記載がある。そして、右の学会から富士宮市に対する四億円融資の問題については、同年二月一二目付報告書(「弘信商事の件」と題するもの。)に「今回の四億貸付の問題は弘信商事が、年末の資金ぐりに困り、日原から担保に取った土地を、市で買取ってくれと持ちかけたことが発端です。」との記載が、同月一九日付報告書(「富士宮の件」と題するもの。)には市長及び助役からの要請として「四億の件は四月一〇日頃までにお願いしたい。弘信に値引させるために、早い時期の支払いが必要になりました。」との記載が、また同年三月二七目付報告書(「本山、富士宮関係」と題するもの。)には「四億貸付の件四月五日の約束です。」との記載があり、かねて学会の富士宮市対策の一環として、被告人が富士宮市との交渉にあたっていたものと認められる。
 以上の経過を踏まえて前記百条委員会中のコピーをみると、右決裁メモは、右三月一日付報告書の四億円融資の件の決裁のために作成され、同報告書に付されたもの(右報告書と三月二日付報告書は内容上も密接に関連しており、同時に決裁され、一緒に返された可能性も大きいと推測される。)と認められる。
(二) 被告人の主張するように、右決裁メモが昭和五二年四月八日ころ被告人が中西を通じて池田に提出した報告書に付されて被告人に返されたものであり、被告人は報告書と決裁メモの双方をコピーし、これらを一括して保管していたものであるとすれば、どうして決裁メモのコピーのみが報告書のコピーから離れて被告人の手許に残り、しかもこれが百条委員会に流れたのかを疑問とせざるを得ず、この点に関する被告人の供述は、はなはだ不自然であってとうてい信用できない。
 なお、右決裁メモの文言に即してみても、右メモは、富士宮市の政治工作に活躍し、大きな成果を挙げっっある旨を報告している被告人に対し、同市への四億円の融資を承認する決裁としてまことによく相応するのに対し、被告人の主張する決裁のためとしては、「本当に有難う、どうか題目をしっかり唱えて大成功して下さい。」の部分が不自然であるとの感を免れない(後記九3参照)。
(三) 被告人の検面調書には、被告人が右のような報告書を池田に提出した旨の供述記載は全くなく、かえって昭和五六年二月八日付及び同月九日付各検面調書を通じてみると、被告人はシーホースに関し池田に報告書を提出したことはない旨を述べていると解される。したがって、被告人の公判供述は、右捜査段階における供述とも矛盾しているといわなければならない。
(四) 結局、右の点に関する被告人の供述は、偶々被告人が前記昭和四九年三月一日付報告書に付された決裁メモ又はそのコピーを保管していたのを奇貨とし、これを強引に自分の主張に結びつけて、事実を虚構したものと認められる。
3 次に増山証言についてみると、同証人は、昭和五二年五月中ころ、日原造園東京事務所応接間において北條と日原が会談した際の模様について、右会談の内容をも含め、きわめて具体的かつ詳細に供述している。
 しかし、同人は、右会談に加わり、又はこれに陪席していたわけではなく、日原の秘書として隣室の台所に控え、同人の指示に従って接客のための雑用にあたるべき立場にあったにすぎないこと、右会談の内容が、かなり複雑でこみ入っている上、同人とは全く係わりのない事項であり、そのことが将来問題になると予想されるような事情も全くなかったこと等の状況に徴すると、同証人が右会談の内容を注意して聞き取り、かつ、それを六年以上も経った証言の時点まで記憶できたかどうか、疑問に思われる。同証人が会談の内容等については明確な記憶を有していなかったのに、被告人その他の者から「こうではなかったか。」というような示唆を受け、明確な記憶はないけれども、そう言われればそうだったのではないかと考え、右示唆に従って供述している疑いがあり(現に、そのような証人の例があることについて、第二節二10、11参照)、同人の証言は、直ちには信用できない。
4 次に、日原の検面調書についてみると、同調書の内容が全体として他の証拠によって認められる客観的状況に符合し、自然であって、信用性が高いことは∴前記六のとおりである。前に引用した昭和五二年四月時点における供述も、前記六4(二)の墓苑工事の進捗状況等の客観的状況に符合し、また、「一ぺんに三、四億というのではなく、要求のある都度二、三千万円ずつ小口に貸付ければよいという話だったので、日原造園としてはそれほど負担になるとも思われなかった。」「税務署関係等も考慮し、貸倒れでも損金扱いのしやすい、総請負額の三パーセント六億円を貸付金額の上限と一応考えた。」など、当時の同人の心情を具体的に述べる部分も自然であって(なお、後記5(二)参照)、十分信用できると考えられる。
5 被告人の供述中、北條が直接日原にシーホース援助を要請し、折衝の末、学会が日原造園に対し墓苑工事準備金に含めて右援助に充てるべき資金等として六億円を支出したという部分は、その後の客観的な経緯とも符合しない。
(一) 被告人の供述によれば、昭和五二年七月三〇日(被告人は同年六月初めころと言うが、検察官作成の資料入手報告書によると七月三〇日と認められる。)に学会から日原造園に支払われた墓苑工事準備金の中にはシーホースへの援助に充てられるべき四億円が含まれていたということであるから、日原造園は、右時点以降、右四億円の範囲内においては、被告人の要求に応じいつでも無条件にシーホースに資金援助を行うべき関係にあったと考えられる。
 ところが、証拠によると、被告人が、
(1)同年八月二日、日原造園との間で、被告人振出し額面一億円の手形と日原造園振出し同額面の手形を交換した上、右日原造園の手形を、シーホースが利息(年間一、八〇〇万円)を負担して、弘信商事で割引き(日原の検面調書添付の増田朝太郎作成の「シーホース、東海総業貸付一覧及び内訳綴」)、
(2)そのころ、日原造園の社員三沢久彦からシーホースに八、七〇〇万円の貸付けを受け(日原の前記検面調書、被告人の申述書)
 た事実が認められる。なお、右(2)の八、七〇〇万円は、三沢が日原の依頼により農協から貸付けを受けて調達したものであった。
 右(1)の手形交換が行われたのは、学会から日原造園に二六億円の工事準備金が支払われた七月三〇日の僅か三日後のことであり、右(二)の借入れの行われたのも、これに近接した時期であるところ、右のような時期に、(被告人の供述によれば)日原造園から四億円の範囲内で無条件で資金援助を受けられる状態にあった筈のシーホースが、右の援助を受けることなく、前記のような金策を行ったことは、はなはだ不自然であり、理解し難い。
(二) また、日原の検面調書及び残高確認書によれば、昭和五二年夏ころ、日原が被告人に対し、日原造園のシーホースグループに対する貸付け等について、被告人個人の保証を求め、被告人がこれに応じて、同年四月一一日分以降シーホース倒産に至るまで、シーホース又は東海総業の日原造園に対するすべての債務を保証し、昭和五五年三月三一日には、日原の要求に従い、債務承認をした事実が認められる。
 ところで、仮に被告人の供述するように、北條が日原に対し学会のためにシーホース援助を要請し、援助を受けた分は墓苑工事代金に上乗せして返済する旨を約した上、さらに墓苑工事準備金に含めて六億円を予め支出した事実があるとすれば、日原がシーホースの援助にあたって、被告人個人にシーホースの債務の保証を求めるべき筋合いではなく、被告人がこれに応ずべき理由も必要もなかったと考えられる。被告人の右供述を前提とすると、被告人
 がシーホースの債務につき日原造園に対し個人保証をしたのは、はなはだ不自然であり、理解し難い。
(三) 右(一)及び(二)の点について、日原の検面調書には、「日原造園は昭和五二年七月二七日にようやく学会へ墓苑用地を売却し、また同月三〇日に大林組との間で工事下請負仮契約を結ぶことができ、正式契約へ向って大幅に前進がみられた。このような流れの中で、同年八月二日ころ被告人から、ニュージャパンの私の事務所で『会社の仕入れに使うから二億円貸してほしい。』と言われた。一度に二億円というのでは金額が大きすぎるので、『一億円だけは日原造園振出しの手形を融通しましょう。その代わり山崎先生個人の手形を入れて下さい。残りの一億円については知り合いを紹介します。』と答えた。私の考えでは、シーホース自体がどのような会社であるか詳しいことは分からないが、被告人自身なら社会的地位も力もある人なので、このように被告人の見返り手形をお願いしたのである。なお残りの一億円については、日原造園の職員三沢久彦を窓口にして同人名義で農協から借りる手続をとらせた。」「昭和五二年四月一一日以降シーホースへの貸付を行った際の私自身の気持としては、シーホースへ貸付けるという感覚ではなく、山崎個人へ貸付けるというのが眞意であった。」、「山崎個人に対する貸付けということが主体であったため、ユアーズ倒産後も貸付けを続けたし、五二年夏ころからは山崎個人からも裏書保証などをしてもらうことにしていた。」旨の供述記載がある。
 右供述記載は、被告人の供述と比べると、前記の客観的経緯、状況に符合し、自然であって、はるかに信用できる。
6 被告人は、日原造園のユアーズグループ及びシーホースグループに対する資金援助中 約五億六、〇〇〇万円(金利を加えた約六億円)については、昭和五四年一月学会が日原造園に対し墓苑工事代金に上乗せして返済し、決済されたと主張する。
(一) 右の点に関する被告人の供述の要旨は、次のとおりである。
昭和五三年一一月ころからの墓苑工事見積りやり直し作業の中で、日原造園からユアーズグループに支出された援助金一億六、〇〇〇万円及びシーホースに支出された援助金四億円を工事代金に上乗せして清算することとなり、前者について一年半分、後者のうち三億円について一年分の金利合計五、四〇〇万円や他の土地代追加分等を併せた合計約一〇億円が昭和五四年一月一〇日の特殊樹木代金等の名目で支払われ、決済された。
(二) これに対し、日原の検面調書には、墓苑工事代金については、学会側の査定がきわめて厳しく、シーホースに対する援助分などをこれに上乗せできる状況ではなく、現にそのような上乗せが行われたことはない旨の記載がある。
 また、北條の検面調書には、昭和五四年一月学会が日原造園に対し、同社のシーホースグループに対する資金援助分などを墓苑工事代金に上乗せして返済した事実を窺わせるような記載は全くない。
7 そこで検討するに、まず証人佐野の当公判廷における供述、日原の検面調書及び検察官作成の資料入手報告書中の「富士桜自然墓地公園の工事契約等の推移」表によると、昭和五二年一二月三〇日に学会、大林組間において墓苑本体工事請負契約が約五四億円(うち日原造園下請分約四四億円)で、学会、日原造園間において造園工事請負契約が約四七億円で、その後昭和五三年一二月一五日には学会、大林組間において墓苑本体工事請負変更契約が約五五億円(うち日原造園下請分約四六億円)で、学会、日原造園間において造園工事請負変更契約が約六八億円、墓所工事請負契約が約五八億円(うち富士神苑下請分約四〇億円)で、さらに昭和五四年一月一〇日には学会、日原(個人)間において植木売買及び管理契約が七億九、六〇〇万円でそれぞれ締結されたが、その間、右墓苑工事代金の決定にあたっては、日原と学会側担当部局である自然墓地公園管理室との間で、土地取得手数料、資材の単価、経費率等をめぐって厳しい折衝が続き、日原側は下請契約拒否、市への陳情書提出、市から学会に対する工事中止申入れに呼応しての工事中止等の駆引きに出、被告人が仲に入ってようやく妥結するような状況であり、右工事変更契約は器材、材料費等の高騰をも考慮した契約であったが、学会側の査定は厳しく、その上、学会側には創造社やサンコーコンサルタントが、日原造園側には国際コンサルタントがそれぞれ設計、管理等の担当会社として介在し、さらに、元請業者の大林組が契約当事者として存在したという事情もあったため、右折衝の過程で工事とは全く無関係な約六億円もの金額の上乗せを行うことは、きわめて困難であったと認められる。
 また、佐野証言によると、昭和五四年一月一〇日に七億九、六〇〇万円の植木売買及び管理契約が行われた経緯等については、次のとおりと認められる。すなわち、昭和五三年一〇月から始まった工事変更契約の交渉において、当時自然墓地公園管理室長であった佐野久仁彦は、日原と厳しい折衝を続けた末、学会は(1)昭和五二年七月二七日に日原観光から取得した墓苑用地の代金一三億三、九〇〇万円が国土法との関係で実価よりも相当安かったこと、(2)当初の査定で樹木代を低く押さえていたこと等を考慮し、この段階で右樹木代の中から特殊樹木(高価木)二万本を分離してその売買及び管理の代価として七億九、六〇〇万円を支払い、これによって前記土地代金の不足分をも清算するものとし、右契約を締結したものと認められる。右土地の価格の点については、被告人作成の昭和五〇年一〇月八日付「富士宮墓園計画について」、同月二二日付「富士宮墓園の件」、同年一一月三日付「富士宮墓園の件」、昭和五一年三月五日付「富士宮土地の件」及び同年九月二八日付「日原関係土地について」と題する各報告書の記載(前三者においては、日原の土地代は二〇億又は二一億と記載され、後二者においても、土地に関し二〇億円が支払われることが前提とされており、最後の報告書においては、約八億円を特殊樹木代等として支払うことを被告人自身が進言している。)によっても裏付けられるところであり、右処理が不自然であるとは考えられない。
8 他方、前記被告人の供述中、墓苑工事代金にユアーズグループ及びシーホースに対する援助金の利息を上乗せして支出したとする点は、昭和五二年六月に学会が日原造園に対し工事準備金に含めて右援助のために六億円を支出したとする被告人の供述(前記1(一))と矛盾する。
 けだし、被告人の供述によれば、右六億円中、二億円は日原造園がユアーズグループ援助のために支出した分を填補し、四億円は日原造園がシーホース援助のために支出すべき資金に充てるためのものであったというのであるから、前記援助金につき、右六億円が支出された昭和五二年七月三〇日以降の利息を付すべき理由がなかったことは明らかであるからである。
 右のような不合理な項目を含む右上乗せ分の計算は、単なる数字合せにすぎないのではないかとの疑いを免れない。
 なお、被告人は、当初、「六億円を『上乗せ』して支払った。」と供述し、検察官の反対質問で矛盾を指摘されると、弁護人の再主質問で「二六億円の準備金に『含めて』支払った。」と供述を修正した。しかし、たとい「含めて」であっても、被告人供述のように六億円という金額及び趣旨が特定されて二〇億円に加えて支出されたというのであれば、前記のように考えざるを得ないと思われる。
9 また、被告人の供述によれば、右上乗せにより、日原造園からユアーズグループ又はシーホースに対する貸付けは六億円の限度で決済されたことになる筈であるが、右決済について日原造園が学会に対し念証その他の書面を差入れたことはなく、また、日原造園及びシーホースのいずれにおいても、右決済に応じた帳簿上の処理を行っていない。
 増田証人の証言及び同人作成の「シーホース東海総業貸付一覧及び内訳綴」(前記日原検面調書添付)によると、右決済の事実は、日原造園の常務取締役でありシーホースに対する貸付け、その帳簿処理等の実務に携っていた増田にも全く知られていなかったと認められる。
 六億円という多額の債務の決済にあたり、何らの証憑が残されず、帳簿上の処理も全く行われないのは、はなはだ不自然と言わざるを得ない。
10 被告人が昭和五五年四月ころから同年五月二八日ころまでの間に作成したと認められるメモには、シーホースの日原造園に対する債務額は一〇億円と記載されており、右六億円の決済が行われたことを窺わせる記載は全くない。
 また、被告人の検面調書には、シーホースが倒産時に日原造園に九億円の負債があった旨、及び、右負債については「棚上げしてもらい長期間にわたって月賦で支払っていくようにし、途中で損益引当金で処理してもらう腹づもりでいた。」、「どのような仕事をするかは別として、私が働いて返すつもりでいた。」旨の記載がある。
 以上の記載によると、被告人自身も、墓苑工事代金への上乗せにより六億円が決済されたとは考えていなかったものと認められる。
11被告人の検面調書及び上申書には、前記1及び6の被告人主張のような事実又は右事実を窺わせるような具体的な状況は全く現れていない。かえって、検面調書には、前項で指摘したように被告人の主張と根本的に矛盾する記載がある。
12 以上の証拠によると、被告人の公判供述、増山証言は信用できず、結局、日原造園からシーホースへの援助は、被告人の日原に対する個人的な依頼に基づくものであって、これに北條その他の学会首脳が関与したことはなく、また、学会が墓苑工事代金に上乗せしてシーホースの日原造園に対する債務を返済したこともないと認められる。
九 シーホースに関する被告人の北條等学会首脳への報告等
1 被告人の主張によれば、シーホースの実質的経営者は学会であって、シーホースの負債については学会が全面的に責任を負うべきものであり、被告人は北條等学会首脳からその管理を委ねられた担当者であったにすぎないということである。
 そうだとすれば、被告人は、ユアーズグループに対する援助、山本の告訴人との示談、シーホースの経営等に必要な金員等を学会から受ける代わりに、学会に対し右各処理について責任を負い、これらに関し必要な資料を添えて正確な報告を行い、学会首脳の決裁を受ける必要があり、シーホースの経営状況に関しては定期的に会計資料等を提出して、報告を行うのが当然であったと考えられる。特に、シーホースグループの経営が非常な困難に直面し、毎月多額の欠損を生ずる状態にあったとすれば、経営の実態をできる限り正確な資料を提出して報告し、経営存続の当否、経営改善の基本的方策等につき学会首脳の検討を求める必要が大きかったと認められる。
 また、学会首脳においても、右の報告の結果、必要と認めれば、シーホースについて経営体制(人事を含む。)の調査、会計監査等を行う体制をとるのが自然であったと考えられる(被告人の自認するシーホースの実情からすると、まさに右のような調査又は監査を必要としたといわなければならない。)。
 ところが、証拠上、被告人が右のような報告を行った事実は認められない(被告人がシーホースに関し定期的に報告を行っていなかったことは、被告人の自認するところである。また、シーホースの会計経理については、被告人自身、その実態を把握し切れないでいたと認められる。)。会社の経営に関し、右のような放漫な「管理」は社会常識上ありそうにないことであり、この点からみても、シーホースの実質的な経営者は学会であったという被告人の主張は信用し難い。
2 被告人は、シーホースの管理は学会の事務として秘密の事項に属していたため、右のような通常の管理の手続が行われなかったと主張するもののようである。
 しかし、仮にシーホース管理の発端となった山本への援助が秘密の事務に属していたとしても、その後、昭和五二年三月には被告人が山本から経営権を奪ってシーホース及びユアーズグループの経営の全権を掌握し、さらに同年四月には山本が逮捕次いで勾留され、同年九月には保釈された山本がシーホースを去るという事態が生じているのであるから、遅くも同年九月以降のシーホースの経営は山本援助の事後処理という性質を帯びるに至り、これについて学会内の然るべき部局等で前記のような報告を検討し、監査を行う体制をとることも十分可能な状態にあったと認められる。ところが、現実には、昭和五五年四月のシーホース倒産に至るまで、被告人からは一回も前記のような報告が行われず、学会において調査、監査を行う体制をとることもなかったのである。
3 また、被告人主張のように、被告人がユアーズグループの援助、山本の刑事告訴の解決、シーホースの経営等について北條からの依頼に基づき責任を持って処理にあたるべき立場にあったとすれば、昭和五一年一一月以降、被告人の要請するままにユアーズグループ又はシーホースグループに巨額の資金が注ぎ込まれたにもかかわらず、山本は逮捕、起訴され、シーホースの経営は一向に好転せず、昭和五三年三月には一〇億円もの負債を抱えるに至ったについては、担当者である被告人の責任が問題とならざるを得なかったと思われる。なぜなら、右の事態に至るについては、被告人において、
(一) ユアーズグループの実態に関する調査が不十分で、経営の見通しを全く誤ったこと、
(二) ユアーズグループへの資金援助開始後も、その経営を管理する力がなく、経理状況の把握、援助資金の使途のコントロール等ができなかったこと、
(三) 山本をして告訴人と示談させるための措置がきわめて不適切で、山本に三、〇〇〇万円もの大金を供与しながら、全く示談の交渉が行われないまま、山本が逮捕、起訴され、苦しい状況の中でシーホースの経営を続けざるを得なくなったこと、
(四) その後もシーホースの経理を把握できず、放漫経営を続け、欠損を増大させたこと
 等、被告人の責に帰すべきところがきわめて大きいことが明らかであるからである。
 ところが証拠上、これらについて被告人が学会首脳に陳謝し、又は学会首脳が被告人にその責任を問い、シーホース「管理」の体制を再検討するような動きに出た事実は全く認められない。かえって被告人の供述によると、被告人は、シーホースの整理については終始強い態度で北條に臨み、これに対し、北條は、煮え切らない態度でひたすら被告人にシーホース「管理」の継続を懇請することが多かったように見える(その一例として、昭和五二年一二月二九日の被告人と北條の会談の模様につき、後記一〇7(二)(三)参照。)。
 以上の点もまた、不自然であると考えざるを得ない。
4 さらに、シーホースグループの人事面においても、前記二1820のとおり、被告人は、
(一) 昭和五一年一一月、被告人の事務所で秘書兼運転手をしていた当時二五歳の坂本をシーホースの代表取締役に、
(二) 同五二年二月ころより、被告人の法律事務所の経理事務を担当していた当時二四歳の丸尾をユアーズグループの経理の監督者(その後、同年六月よりシーホースの代表取締役)に、
(三) 同年九月、被告人の事務所の事務員をしていた当時三六歳の鷹野輝夫をシーホースの取締役(その後、同五四年一月に関東交易の代表取締役)に、
(四) 同五二年四月、被告人の秘書兼運転手をしていた当時二四歳の大豆生田勝美をシーホースグループの取締役に
 充てるなど、シーホースグループの主要なポストに被告人の輩下の若くて会社経営の経験の全くない者(但し、鹿野は音楽出版等を業をしていた当時のシーホースを経営した経験があるが、四か月ほどで手形の不渡りを出し、経営に失敗した。)を配していた(坂本供述、丸尾供述、鹿野供述、大豆生田供述)。
 被告人の主張するように、学会の仕事としてシーホースを「管理」していたものとすると、何故会社の管理のためにこのような自己の輩下の不適切な者を主要なポストに配し、シーホース倒産まで同様の人事体制を続けたのか、多大の疑問を抱かざるを得ず、この点においても、被告人の主張は不自然と言わざるを得ない。
一〇 昭和五二年一二月二四日付被告人作成の「追伸」と題する報告書コピーについて
 1(一) 昭和五二年一二月二四日付被告人作成の「追伸」と題する報告書(以下「追伸」という。)コピーには、次のような記載がある。
 「 追伸
 預金は別として、金銭的なことも年内に片付けることができますよう、お願いします。
 なおS・Hの穴うめ(既に七億、最後は一〇億近く)は富士宮だけではできません。日原もこれ以上は工事の増加か墓石の扱いを加えよと駆引に出ています。湯ヶ原のかわりに別の工事を早くつめて((サ)〔引用者注…原文は○の中にサ〕か岐阜)分担を考えて下さい。
 山本からの回収は福島がやっていますが見込なく、林君の力で、銀行を頼っていますが一年が限界です。事故が心配です。
 (宗)〔引用者注…原文は○の中に宗〕がこじれて墓園が凍結になるようだと、ある程度オープンにして見切りをつけ、関係者の力を結集して処理しないと大変なことになります。
 早急に打合せをお願いします。
 八尋に話してよいでしうよか。」
(二) 被告人は、右「追伸」については、次のとおり供述する。
 右「追伸」原本は、湯河原墓苑の計画中止に伴う諸事項を報告した同日付被告人作成の「湯ヶ原の件」と題する報告書(以下「報告書本体」という。)及び予定地の所有者である湯河原農業協同組合宛の書簡原稿(以下「書簡原稿」という。)とともに、同日北條に提出し、その後右報告書本体、書簡原稿及び「八尋局長へ 北條理事長より」と書かれた付箋(以下「付箋」という。)とともに、封筒に入れて北條から戻されたものである。
 ところが、昭和五三年一月初めころ、日原が被告人を訪ねてきて、前年一二月三〇日に学会、大林組、日原造園間で締結された富士宮墓苑工事請負契約において日原造園に支払われるべき工事費が低く押さえ込まれたと不満を述べ、「私はいいが女房ががっかりして寝込んでしまった。」などとこぼしたので、被告人は日原夫妻を説得するために、日原に「シーホースのこともこのように検討、努力するといっているのだから、しばらく辛抱してくれ。奥さんには、これを持ち帰って見せて機嫌を直すように言ってくれ。」などと言って右「追伸」等を封筒ごと渡して持ち帰らせた。
(三) また、証人増田(当時日原造園の常務取締役)は、「昭和五三年一月初め、日原から右報告書本体、追伸、書簡原稿、付箋を封筒ごと見せられ、『これは被告人から預かった。他の件は大したことはないが、この「追伸」だけは大事だからコピーを取って君にやる。これをイチビルに持って行って、日原造園のことはもちろんだが、シーホースのことも資金の面倒を見てもらえるように話して来い。』と言われ、同人から付箋の付された状態で複写された「追伸」のコピーを受領し、同月中にイチビルの西沢社長に会い、右「追伸」コピーを示し、『日原造園はこの通り仕事が増えていくから、安心して融資して下さい。シーホースさんの分についてもこのようなことだから、是非面倒をみてやって下さい。』などと述べ、西沢はその旨了解した。」と供述する。
(四) 右「追伸」のシーホースに関する部分が、真実昭和五二年一二月二四日当時作成され、北條に提出されていたとすれば、被告人の弁解を支持する有力な証拠である。
 しかし、右部分は、「追伸」の湯河原墓苑に関する部分からすると全く余事の記載である上、被告人本人の筆跡による文章であり、しかも、当公判廷においてはコピーのみ提出され、原本が提出されていないため、筆跡の新旧、色調等を検証することが不可能な状態にある。
 検察官は、右シーホースに関する部分は偽造であると主張しているところ、被告人は前記七3、八2のように偶々手許にあった証拠物を利用して虚構の弁解を作出している上、被告人の供述には全く虚構と認められるところが多いので、前記(二)の供述についても、慎重な検討が必要である。
2 被告人の公判供述中、被告人が報告書本体及び追伸等の原本を一括して日原に渡して持帰らせたという部分は、不自然であり、容易に信用することができない。
(一) 報告書本体の内容は、湯河原墓苑の工事中止に伴う地元の関係者との事後処理についての政治的な判断など学会の機密に属する事項を含み、また、「追伸」の内容も、墓苑工事によるシーホースの負債の穴埋め、宗門問題の悪化による墓苑計画凍結のおそれ等の機密に属する事項を含んでおり、いずれも北條の決裁印があることから、軽々に部外者に渡すべき文書ではない。
(二) 被告人の供述によると、当時の日原の不満、憂うつの原因は、富士宮墓苑の工事代金が低く押さえられたことにあったというのであり、シーホースの件ではなかったのであるから、その日原に対し、「シーホースのこともこのように努力するといっている。」と言って報告書を見せても、慰めにはならなかったと思われる。
 被告人は、日原が「これではシーホースへの援助金の返済分の上乗せができない。」と言ったことと関連して、報告書を見せたと主張するようであるが、しかし、シーホースへの援助金を工事代金に上乗せして返済する約束がなく、現にその後の代金支払いにあたって上乗せが行われなかったことは、前記八のとおりであり、当時、日原が「上乗せ」云々と述べ、被告人が右の関連で「追伸」等を見せたとは認められない。
(三) 報告書の内容も、日原の慰めとなるようなものではない。右報告書は、シーホースの経営について、同社の穴埋めには「既に七億、最後は一〇億」という多額の資金を要し、現在は「銀行を頼って」いるが、「一年が限界」であり、「事故が心配」であるなどと、同社がまさに危機的な状況にあることを強調した上、宗門問題がこじれて「墓園が凍結になる」危険があることにまで触れ、「関係者の力を結集して処理しないと大変なことになります。」と結んでいる。他方、これに対処するための方策については、僅かに、シーホースの穴埋めは富士宮だけではできないので、別の工事を早くつめて分担を考えてほしい旨、及び、シーホースの処理につき、ある程度オープンにして見切りをつけ、関係者の力を結集するため、早急に打合せをお願いする旨を建議するにとどまり、シーホースに対する援助又はその整理について現に具体的な方策が検討されていることを示すような記載は全くない。しかも、被告人の供述によれば、昭和五二年一二月二九日の被告人と北條の会談においては、右の建議すら北條の容れるところとならなかったということであり、現実に、右「追伸」にも、被告人の建議が容れられ、何らかの具体的な方針が決定されたことを示すような記載は全くない。
 したがって、日原としては、被告人から「シーホースのこともこのように努力するといっている。」と言われて報告書を見せられても、何の慰めも得られず、また、日原の妻が右報告書を見ても、機嫌を直すことは全く期待できなかったと思われる。
(四) 報告書が北條の決裁印のある機密文書であることを考慮すると、被告人が報告書を見せただけでなく、原本を封筒ごと日原に渡して持帰らせた(しかも、封筒ごとコピー
 したものを被告人の手許に残し、原本を日原に渡した)というのは、きわめて不自然であるしたがって、右被告人の供述は容易に信用することができない。
3 仮に被告人が右「追伸」等を日原に渡した場合、被告人が述べるように日原がこれを速やかに被告人に返却せず、被告人も返却を催促することなくそのまま失念してしまったというのは、前記のような報告書の性質等に徴するとまことに不自然である。
4 次に、日原が増田をして「追伸」のコピーをイチビルに届けさせ、日原造園及びシーホースに対する融資増額依頼の資料にさせたというのも、不自然である。
(一) 右「追伸」の内容は日原造園の経営等とはほとんど関係がなく、日原造園に対する融資増額依頼のための資料とはなり難いと思われる(増田証人のいう「日原造園の仕事」についても、「日原もこれ以上は工事の増加か墓石の扱いを加えよと駆引きに出ています。」と消極的に触れられているにとどまり、同社の仕事が増加することを予想させるような記載は全くない。)。
(二) シーホースに対する関係でも、前記2(一)のような「追伸」の内容からみて、債権者に不安を与えるおそれが大きく、融資要請の資料として適当ではないと考えられる。
 前記2(一)のように「追伸」が学会の機密事項に係る文書であることをも考慮すると、日原が増田をして「追伸」のコピーをイチビルに届けさせたというのは、きわめて不自然であり、この点に関する増田の証言は、容易に信用することができない。
5 「追伸」中シーホースに関する部分は、報告書本体及び「追伸」中冒頭四行の湯河原墓苑に関する部分とは全く異なる事項であり、したがって、「追伸」としてでなく、独立の報告書として提出するのが自然であったと思われる(現に被告人は、同日付で他の件について別個の報告書を提出している。後記8参照)。特に、被告人がシーホースの処理を緊急を要する重大事とみ、現に右「追伸」提出の五日後の昭和五二年一二月二九日には北條と面談の上深刻な協議を行うような状況にあったとすれば、右の件については独立の報告書を提出し、湯河原墓苑の件とは別個に北條の決裁を求めるのがいっそう自然であったと思われる。したがって、右の件が「追伸」中に記載されている点についても、疑問を免れない。
6 被告人の公判供述を前提としても、当時被告人が北條に対し、シーホースに関し右「追伸」のような報告書を提出すべき状況であったか否か疑問である。
(一) 日原の検面調書及び同調書添付の増田朝太郎作成の「シーホース、東海総業貸付一覧及び内訳綴」によると、昭和五二年四月から同年一二月までの間、シーホースには、日原造園から現金合計一億五、四〇〇万円、日原造園との手形交換により弘信商事で調達した一億円及び日原の斡旋で日原造園社員の三沢久彦から融資を受けた現金八、七〇〇万円(合計三億四、一〇〇万円)が投入されている。したがって、当時、シーホースとしては、比較的資金繰りの楽な時期にあたり、緊急に措置を講じなければ、倒産等の危険があるような状態ではなかったと認められる。
 なお、被告人の供述によれば、同年七月三〇日、シーホースの援助にあてるため、学会から日原造園に対し富士宮墓苑工事準備金に含めて四億円が支出されているということであるから、この四億円から前記三億四、一〇〇万円を差引いた五、九〇〇万円については、いつでも無条件に日原造園からシーホースに支出してもらえる状況にあったことになる。
(二) 現に、被告人は、同年八月の東海通商の設立に続き、同年一二月二日にはシーホース柏を新設し、また、そのころシーホースで貿易に乗り出す方針を決め(本格的には翌五三年三月ころから実現)、さらに、翌五三年一月ころから仕入れ、在庫管理等のためのコンピューター・システムの導入に着手(同年四月完成、所要費用は約六、〇〇〇万円)するなど、積極的な経営策を打出していたのである(鹿野供述、被告人供述)。
(三) 被告人作成の中西あて昭和五二年一一月四日付の報告書には、産業サービスの残務処理について、「おかげで順調に立直りをみせています。一〇月から採算分岐点をこえ、一一月から黒字の見込みです。」という記載がある。
 また、被告人作成の中西あて昭和五三年二月一〇日付の書簡には、「山本の会社の後始末について、昨年暮からどうやら軌道にのりはじめました。」「個人保証、借入等で一億円位注入していますが、今後、二・三年の間に何とか回収できると思います。」という記載がある。
 右報告書中、「一〇月から採算分岐点をこえ」云々の記載は楽観に過ぎると思われるが、右報告書及び書簡の記載を通じてみると、被告人が昭和五二年一〇月ころから翌五三年二月ころにかけてシーホースの経営の前途にある程度明るい見通しをもち始めたことが推測され、この点は、前記(一)(二)の客観的事実とも符合するものである。
(四) 追伸コピーには、「林君の力で、銀行に頼っています」という記載があるが、シーホースグループが本格的に銀行から信用供与を受けるようになったのは昭和五三年三月からであり、それも主として貿易を行うにあたってLCを開設するためであった。また、林経理局長から紹介して貰った銀行と取引を始めたのは、さらに遅く同年五月からである(後記一一参照)。したがって、右の記載は、それ自体事実に反する上、「銀行を頼っている」ことを前提として「一年が限界です。」「事故が心配です。」などと記載されている点は、全体として、前記のような当時のシーホースの経営状態と著しくそごしており、どうしてこのような事実にそぐわない記載がされたのか、理解し難い。
(五)「(宗)〔引用者注…原文は○の中に宗。この号に置いて以下同じ〕がこじれて墓園が凍結になるようだと」(注・(宗)は宗門問題を意味する。)という記載にも疑問がある。当時は、昭和五二年一二月四日に行われた池田の日達に対するいわゆる「御寛恕願い」により宗門と学会の和解が成立して間もない時期であり、翌五三年一月二目には宗祖七百遠忌にむけての僧俗和合を宣明する管長訓諭が発せられており、右和解が壊れたのは、同月一九日若手僧侶の集会で「ある信者からの手紙」が朗読されてから以降であった(前記第一節一参照)。
 したがって、当時、墓苑の凍結が予想されるほど宗門問題が緊迫した状況にあったのか、また、それが被告人と北條の共通の認識であったのか、疑問がある。
7 被告人がこの「追伸」の提出に基づいて行われたと主張する昭和五二年一二月二九日の北條との会談の模様についても疑問がある。
(一) この会談で、被告人は、「シーホースは、もう累計で一〇億の赤字がでている。」「日原関係の六億を除く四億だけでも学会本部から出してほしい。そうすれば、日原が六億について待ってくれさえしたら整理できる。」と述べた旨供述するが、「追伸」によれば当時のシーホースの負債は七億円にとどまる上、被告人の供述によれば、日原にはすでに六億円を工事準備金に含めて支出しているのであるから、日原に六億円の返済を待ってもらうような関係にはなかった筈である。被告人と北條の会談の核心をなす重要な事項に関し、どうして被告人の供述に右のような矛盾が生ずるのか、疑問とせざるを得ない。
(二) また、右会談において、被告人は、シーホースの危機的な状態を強調した上、その処理について中西、秋谷、八尋等の力を借りることを強い調子で求め、これに対し北條は、ひたすら被告人においてシーホースの管理を継続することを懇請し、シーホースの処理につき中西に諮ることを強く渋ったということである。
 しかし、山本援助の件が嵯鉄を重ね、シーホースが被告人のいう危機的な状態に至ったについては、被告人の責に帰すべきところが大きいことが明らかであったから(前記九3参照)、被告人がもはや自分一人の力ではシーホースの処理をしきれないとし、中西等の力を借りたいというのであれば、まず北條にこれまでの不手際と力不足を陳謝した上、北條から中西等に話をしていただきたい旨懇請するのが当然であり、被告人の供述のように被告人が高姿勢で北條にこれを要求し得る状況ではなかったと思われる。
(三) また、右のような被告人の要求に対し、北條が中西等に諮ることを強く渋り、ひたすら被告人に管理の継続を懇請したというのも、不自然である。仮にシーホースの管理が学会の被告人に委任した事務であるとすれば、当時、学会としては、シーホースの経営につき被告人から正確な報告を求め、経営体制の調査、会計監査等の必要な措置をとり、処理の方針を定めることこそ急務であったと考えられ、同社の「管理」を被告人一人の手に委ねておかなければならない理由は全くなかったからである(前記九1参照)。
 被告人は、北條の実弟北條直が東洋物産の産業サービスとの取引の責任者であったところから、北條がシーホースの処理をオープンにすることを渋ったと主張するもののようである。しかし、山本援助の件は、北條直が東洋物産を引責辞職した後二年余を経た昭和五〇年一二月の債権回収に端を発しており、同人に直接の責任はなく、また、被告人の供述によれば、山本援助の件については昭和五一年一一月に、シーホースの援助については昭和五二年四月に、それぞれ池田の承認を得ているとのことであるから、いずれも北條の独断で決定されたものではない。しかも、それらの処理がうまくいかなかったのは、被告人の責に帰すべきところが大きく、北條が非難されるべきいわれはなかったと考えられる。したがって、前記のような状況の下で、北條がなお北條直のことにこだわり、中西その他然るべき人の助力を求めることを強く渋る理由はなかったと認められる。
8 被告人は、昭和五二年四月一八日付の「別館体制について」と題する報告書で北條に対し、妙信講訴訟の終了に伴う体制の整理、組替えを進言し、その中で、「私の仕事としては、当面富士宮関係、松本訴訟関係、月刊ペン事件の後始末関係の三つになった」旨を述べ、また同年一二月二四日付の冒頭に「今年は(M)〔引用者注…原文は○の中にM〕の訴訟が終り……」と書かれた報告書で北條に対し、今年は妙信講訴訟が終わり、月刊ペンの件もおおむね目鼻がつき、富士宮の方もどうやらまとまったので、あとは松本訴訟関係と、笹川の大阪の土地の件が残っているが、昭和四七年以来の仕事としてみれば三分の一位になったなどと述べ、はっきりした仕事量の変化に伴い顧問料も昭和五三年一月から三五万円に減額してほしい旨を申し出ているところ、右各報告書には、いずれも、被告人が昭和五一年一一月以降山本援助、シーホースの「管理」に多大の労苦を費した状況は全く現れていない。仮に被告人が学会の事件処理としてシーホースの「管理」等に多大の労苦を費し、現に昭和五二年一二月にはその「管理」が非常な困難に直面している状況であったとすれば、右各報告書、とりわけ仕事量を測定した上顧問料の減額を申し出ている一二月二四日付の報告書にシーホース「管理」の件が全く記載されていないのは不自然というはかない。しかも、右報告書は、前記「追伸」と作成の日付を同一にするものなのである。
9 被告人の検面調書には、シーホースの処理に関し、北條に報告書を提出したのは昭和五一年一一月及び昭和五二年四月の二回のみであるとして、その状況及び提出の理由を具体的に供述し、その他には書面で報告したことはない旨を断言した記載がある。ところで仮に前記「追伸」(昭和五二年一二月二四日付)に前記のような記載があり、これに基づき同月二九日に被告人が北條と会談し、シーホースの処理に関し厳しく同人に迫った事実があったとすれば、それは、シーホース整理をめぐる北條と被告人の交渉上きわめて重要な出来事であり、被告人としても当然記憶にとどめていたと思われる。前記被告人の検面調書に右の事実が全く現れず、かえってこれを否定する記載があるのは不自然であるといわなければならない。
10 以上のように、右「追伸」コピー中シーホースに関する記載部分の内容並びにこれに関する被告人の供述及び増田証言には、重要な事項について、不自然なところや客観的な状況と符合しないところがきわめて多い。したがって、右被告人の供述及び増田証言は容易に信用することができず、右「追伸」コピー中シーホースに関する部分は、昭和五二年一二月二四日に作成され、北條に提出された真正の報告書(追伸)には記載されておらず、右「追伸」コピーは、後日右部分を付加して作成された偽造のコピーである疑いがある。したがって、その証明力は、弁護人が主張するほど強いものではない。
 シーホースと学会との関係については、これまで個々の事項ごとに詳細に証拠を検討して具体的に事実関係を判断してきており、これからも同様の検討、判断を重ねることとなるので、右「追伸」コピーの証明力については、右のような検討、判断との関連も考慮の上、証拠全体の中で総合的に評価すべきものと考えられる。
一一 シーホースグループの銀行取引に対する学会側の関与
1 協和銀行、三和銀行との取引について(一) 司法警察員作成の「銀行取引状況捜査報告書」によると、
(1)シーホースは、昭和五三年二月一七日、協和銀行赤坂支店と取引を開始し、同年三月三〇日には同支店にLCを開設し、
(2)東海通商は、同年四月一一日、三和銀行青山支店と取引を開始し、その後LCを開設し
 た事実が認められる。
(二) 被告人は、右取引開始の経緯について、
(1)昭和五二年九月から一〇月ころオフィスアカデミーの西崎義展に対し、信用供与を受けられる銀行として協和銀行、三和銀行の紹介を依頼した。
(2)右依頼については、そのころ北條に報告書を出して同人の決裁を得た。
(3) さらに北條の指示で同年一二月には林経理局長が右両行に声をかけてくれたので、昭和五三年初めには右両行で信用供与を受けることが内定していた
 旨供述する。
(三) しかし、右(二)(2)の点は、北條の検面調書にそのような事実が全く現れていない上、被告人の検面調書中の「シーホースに関する北條への報告書の提出は、昭和五一年一一月と昭和五二年四月の二回のみで、他にはない。」との記載(前記-09参照)とも矛盾する。
 また、右(二)(3)の点については、証人林亮が「自分が被告人のために銀行を紹介したのは、昭和五三年四月か五月の富士銀行方南町支店が最初である。」旨、明らかに右事実を否定する証言をしている。
 他方、シーホースが協和銀行赤坂支店で同年三月三〇日にLCを開設するにあたっては、被告人の実母の経営する会社所有の不動産が担保として提供されており、同行による信用供与が被告人に対する信用及び右の物的担保を基礎とすることが推認される。
 また、被告人の供述するように、協和銀行赤坂支店による信用供与が昭和五二年一二月の林の口利きによって翌五三年初めにはすでに内定していたものとすれば、LC開設が同年三月三〇日に至って初めて実現したというのも、不自然である。
 以上のような証拠関係からすると、前記被告人の供述は信用できず、右銀行取引に北條、林等の関与はなかったものと認められる。
2 林による銀行紹介
(一) 前記司法警察員作成の「銀行取引状況捜査報告書」によると、
(1)シーホースが、富士銀行小舟町支店と同年五月二九日から取引を開始し、同年六月一日にLCを開設し、
(2)キャピタルフーズが、同行方南町支店と同月七日から取引を開始した事実が認められる。
(二) 被告人は、右各銀行取引に至った経緯について、次のように供述する。
 昭和五二年一二月二九日の北條との会談後、北條から電話で、「中西と林に、シーホースのために銀行に手を打ってくれと頼んだから、相談してくれ。」と指示があり、翌五三年一月初め、右指示に従い、林に対し、シーホースのために銀行から信用供与が受けられるように依頼し、同人から同月中に富士銀行小舟町支店の、同年二月に入って同行方南町支店の各紹介を受けたが、林は、これら銀行に対しシーホースのことを紹介し、依頼するにあたって、「山崎弁護士はシーホースの面倒を見ているが、これは学会の事件処理の延長として、学会の仕事としてやっていることだ。」などと述べた。
(三) これに対し、林証人は、次のとおり証言する。
(1)林は、学会の経理局長であったが、昭和五三年四月又は五月ころ、被告人から「今私が面倒を見ている冷凍食品の会社がある。当座取引をしたいのでどこか知っている銀行はないか。」などと、銀行を紹介してほしい旨の依頼を受け、数日後、学会本部において、富士銀行方南町支店長に対し、「私個人としての立場でのお願いだから、ビジネスサイドで決めていただいて結構だが、私の友人の弁護士が面倒を見ている会社があり、その会社が当座取引をしたいと言っているので一ぺん話を聞いてくれませんか。学会の顧問弁護士もしており、間違いのない人だと思う。」と述べて、被告人のことを紹介した。
(2)林は、同年五月又は六月ころ、再び被告人から「方南町支店ではLCが組めない。実はLCを組みたいので組める銀行を紹介してほしい。」旨依頼され、数日後、同じく学会本部において、富士銀行小舟町支店の学会担当者である同支店次長に対し、前記同行方南町支店長に述べたと同様のことを述べて、被告人のことを紹介した。
 右紹介は、いずれも、林が被告人から個人的に依頼され、個人の立場で行ったものである
(四) そこで、検討すると、
(1)シーホースが富士銀行小舟町支店から信用供与を受けるにあたっては、被告人が個人保証をした上、LCを開設した昭和五三年六月一日に被告人個人名義の二、五〇〇万円の定期預金に質権を設定し、同年一一月二八日に被告人の実母の経営する会社所有の不動産につき極度額九、八〇〇万円の根抵当権を設定するなど、被告人個人又はその近親者が担保を提供しており、これによると、右信用供与は、被告人の信用及び預金又は不動産の担保を基礎とするものと推認される。
(2)学会が富士銀行その他の銀行にとって大口の顧客であったところから、被告人が学会の経理局長である林から銀行支店長等を紹介してもらった場合、右支店長等が学会との関係や林経理局長の立場に配慮し、その裁量の許す限り、シーホースに対する信用供与につき有利な取計いをしてくれるであろうことは、相当期待できたと考えられる。被告人が林に対し銀行紹介を依頼するにあたり、被告人には、そのような林の立場と、自分が学会の顧問弁護士であり、墓苑建設その他に活躍している幹部であることとを結び付けて、これを自分に対する信用の面で最大限に利用しようとする意図があり、林も、そのような事情を承知の上で、被告人のために紹介の労をとったと推測される。
 しかし、林の紹介にそれ以上の意味があったとは認められない。その理由は、次のとおりである。
(3)昭和五二年一二月二九日の被告人と北條の会談に関する被告人の供述が信用し難いことは、前記一〇のとおりであり、したがって、林の銀行紹介が北條の指示に基づくという被告人の供述もまた信用し難い。
 また、被告人の供述によれば、被告人は、林から富士銀行小舟町支店次長には昭和五三年一月中に、同行方南町支店長には同年二月初めころに、それぞれ紹介してもらったということであるが、これによると、シーホースの同行小舟町支店との取引が同年五月二九日に、キャピタルフーズの同行方南町支店との取引が同年六月七日にそれぞれ開始されたこととの関係で、紹介から取引開始までの期間が余りに長きに過ぎ、不自然である。この点については、林証言の方がはるかに自然で合理的であり、なお、方南町支店の紹介が小舟町支店の紹介より先であったとする同人の供述も、現実の経験に基づく記憶によるものと考えられ、信用できる。
 被告人の右供述は、林の銀行紹介を昭和五二年一二月二九日の被告人と北條の会談に無理に結びつけようとして、銀行紹介の時期を現実より約三か月繰り上げて述べている疑いが強い(なお、前記一〇1(一)の追伸の記載参照)。
(4)被告人は、自分が銀行に対し個人保証をし、担保を提供した経緯について、「林は、紹介にあたり銀行側に対し『わけがあって学会そのものの名前は出せないが、万一の時はもちろん責任を持つ。』などと述べ、銀行側はその旨を了解した上、『学会に代わるものとして、学会の仕事の印として被告人の個人保証をお願いしたい。』と申入れ、被告人は、この申入れに従い、北條にも断った上で学会の代わりに個人で担保提供し、保証した」旨供述する。
 しかし、現実には、学会は、シーホース等の債務につき法律上の保証、担保提供等をしなかったばかりでなく、事実上これに「責任を持つ」ことを銀行側に保障するための措置も全くとっていない。銀行が、林局長の口約束だけで、シーホース等の債務につき学会側が全面的に「責任を持つ」ものと信じ、シーホース等に対して数億に上る信用供与を行ったとは信じ難い。また、当時被告人がシーホース等の債務を保証した場合、その保証は、当然、被告人が自ら経営にあたっている同社等のために個人の立場で行ったものと解され、「学会の仕事の印」として学会のために行ったなどとは解されないであろうことが明らかであったから、銀行側が右の趣旨で被告人の個人保証を求めたとは信じ難い。
 その上、被告人が「学会の仕事の印」として個人保証をしたというのであれば、それに加えてさらに実母の経営する会社所有の不動産を担保に提供したというのも不自然である。
 また、被告人の検面調書には、右銀行紹介について、「住友銀行新宿支店にLCを開設するについては学会の林経理局長の紹介を受けたが、それは紹介だけであり学会が保証をするということではない」旨の供述記載及び右供述につき訂正の申出をして「右開設にあたり林が口をきいてくれたのは単なる紹介というのではなく、東洋物産以降シーホースに至るまでの経緯を話し、何とか面倒をみてくれということで頼んでもらった」旨の供述をした記載があるが、右訂正後の供述内容も、「林が紹介にあたり銀行側に対し『万一の時にはもちろん学会が責任を持つ。』などと述べた」旨の被告人の公判供述とは著しく状況を異にしている。
 さらに、被告人の検面調書には、昭和五五年四月の倒産時点において富士銀行小舟町支店に六億円の負債があるとした上、右負債については「棚上げしてもらい長期間にわたって月賦で支払っていくようにし、途中で損益引当金で処理してもらう腹づもりでいた。」、「どのような仕事をするかは別として、私が働いて返すつもりでいた。」旨の供述記載があり、被告人の個人保証は「学会の仕事の印」のための形式にすぎなかったという被告人の公判供述と全く対立する内容となっている。
(5) したがって、この点に関する被告人の公判供述は、林証言等と対比すると信用できない。
一二 学会又はその関連会社からシーホースへの資金援助
1 被告人の要請に基づき、学会又はその関連会社からシーホースグループに対して次のような資金援助が行われた。
(一) 被告人の中西に対する要請に基づき、昭和五三年一一月ころ、千居が富士銀行方南町支店に一、五〇〇万円の定期預金をし、キャピタルフーズの債務のための担保に供した。
(二) 被告人の北條に対する要請に基づき、昭和五四年五月ころ、信濃企画から東海通商に三、〇〇〇万円を支出した。
(三) 被告人の北條に対する要請に基づき、同年一一月ころ、信濃企画から東海通商に二、〇〇〇万円を支出した。
(四) 被告人が池田に対しシーホースの経営の苦しいことを訴えたことから、同年一二月三日ころ、同人が被告人に二、〇〇〇万円を贈った。
(五) 被告人の北條に対する要請に基づき、同月二一日ころ及び同月二七日ころ、学会の墓苑会計から被告人に各五〇〇万円を支出した。
(六) 被告人の北條に対する要請に基づき、昭和五五年一月二一日ころ、墓苑会計から被告人に一、三〇〇万円を支出した。
(七) 被告人の北條に対する要請に基づき、同月三一日ころから同年二月二九日ころまでの間四回に分けて、墓苑会計から被告人に合計一億一、〇〇〇万円を支出した。
2 被告人は、シーホースの実質的経営者は学会であり、学会はそのような立場で右各資金援助を行ったものであると主張する。
 しかし、以下検討するように、証拠上、右主張は是認できない。
3 前記1(一)の千居からの一、五〇〇万円の定期預金の設定について、中西証人は、次のとおり証言する。
 昭和五三年一一月ころ、被告人から「シーホースで今度貿易面に力を入れたい。資金を導入して利益をあげたいので、二、〇〇〇万円位また千居に頼んでもらえないか。」「二、〇〇〇万円を銀行に預金してそれを担保として提供する形でもよい。」などと千居からの再度の資金援助を依頼された。右依頼を千居側に伝えたところ、前の貸付けのうちまだ五〇〇万円位が未済であるので一、五〇〇万円ではどうかとの答であったので、被告人にその旨を伝え、千居、被告人間でその後の手続をやってもらった。
 これに対し、被告人は、「同年一〇月、池田に対し、被告人が学会の身代りで保証する形での銀行による信用供与も限界に来ているので、学会か外郭会社が直接保証してほしい旨依頼したところ、池田は中西に電話で善処方を命じた。そこで同年一一月四日ころ中西と会った上改めて右の件を依頼した。」旨供述する。
 そこで検討するに、従前の経緯等からすると、中西証人の供述するとおり、被告人が昭和五三年一一月ころ中西に対し千居による二、〇〇〇万円の預金担保の斡旋を依頼し、同人が被告人の右要望を千居に伝え、千居が一、五〇〇万円の限度で預金担保を承諾することも、不自然ではないと考えられる。
 他方、被告人の供述以外には、右援助が池田の指示に基づくものであることを推認させる証拠はなく、被告人の供述中、シーホースをめぐる被告人と北條又は池田の折衝に関する部分がいずれも信用できないことは、これまで詳細に検討したとおりであり、これに連なる前証供述も信用し難い。
 したがって、結局、右千居の援助の経緯は、おおむね中西証言どおりであったと認められる。
4 前記1(二)の信濃企画からの三、〇〇〇万円の援助について、北條の検面調書には、次のような供述記載がある。
 昭和五四年五月一〇日ころ、被告人から、「シーホースは高い金利の金を借りており、利息の支払いが大変なので、銀行からの融資を増やしたい。ついては関連会社から富士銀行小舟町支店、方南町支店、三和銀行のどこかに、合計一億、期間二、三年の定期預金をして担保として使わせてほしい。」旨の依頼を受け、当初は遠まわしに断ったが、被告人が是非にと頼むので、「一応考えておこう」と答えたところ、同月一五日ころ、被告人から「この間お願いしたことはどうなっていますか。」との催促を受けた上「自分は渡米するので留守中福島弁護士と話をしておいて下さい。」と言われた。学会としてはシーホースに援助する筋合いではなかったが、当時は池田が同年四月二二日に法華講総講頭及び学会会長を辞任し、学会も新体制に移行したばかりで、組織も混乱しており、会員も大きく動揺していた。他方、被告人は、日達祝下や活動家僧侶の反学会攻撃の盛んなことを背景にして、学会と宗門の間を調停するどころか、むしろこの際一気に池田名誉会長の追い落しを画策している感があり、学会に強力な圧力を加えてきていた。例えば、被告人は、同年五月四日ころ、日達の威光を笠に、池田が各種の会合に出席することや聖教新聞に池田の記事、写真を掲載することを控えるように申入れてきており、これに逆らえば、どんな悪口を作り上げて日達や活動家僧侶に告げ口をし、学会攻撃を煽り立てるか計り難かったところから、自分も右申入れを受け入れざるを得ない状況であった。当時は被告人を通さないと、宗門には学会の気持は何も通らない状況に陥っていた。さらに同月一四日の本山における最高教導会議の席上、北條、森田等とともに被告人が日達から法華講大講頭に任命され、被告人が日達の絶大の信任を得ていることをまざまざと見せつけられ、脅威を感じた。以上のように、学会は、当時押さえられ放しで、じっと耐え忍ばざるを得ない状況にあったため、被告人の頼みを断ると後が怖しいという気持が強く、何とかしなければならないということになった。そこで、福島と相談の上、同人を通じ、その実父が社長をしている学会関連会社信濃企画に頼み込み、同社の福島に対する不動産売買手続等の報酬名下に東海通商に三、〇〇〇万円支出してもらうことにした。
 以上の点について証人福島も、当公判廷において、右北條の検面調書の供述記載に沿う供述をしている。
 北條の検面調書中、北條が被告人の要請に応じてシーホース援助を行わざるを得なかった理由として同人が供述しているところは、証拠によって認められる当時の客観的な状況(第一章第一節三17ないし20参照)とよく符合しており、そのような状況の下では、学会がシーホースに資金援助を行うべき理由は全くないとしても、北條等が、無下に被告人の要請を拒絶した場合被告人が学会攻撃に出ることを恐れ、やむなく前記のような援助を行うことも、自然なこと考えられる。
 したがって、前記北條の検面調書の記載は、大筋において信用することができ、右援助は右のような理由でなされたものと認められる。
5 前記1(三)~(六)の各援助について、北條の検面調書には次のような供述記載がある。
 昭和五四年六月以降、しきりに週刊誌、月刊誌に学会に批判的な記事が出、「継命」には池田名誉会長及び名誉総講頭の辞任を勧告する旨の記事が掲載されていたが、これらは被告人が外部に事実を歪曲した情報を流すなどして画策している感が強かった。同年九月一日付の「継命」には池田が復権を策り、宗門に対する巻き返しを図っている旨の記事が載り、また、そのころ被告人が日顕新法主に対し学会及び池田を誹誘し、学会に好意的な日顕を反学会に仕向けていこうと画策したことが分かった。さらに、被告人が元学会員をたきつけ、山口法興と会ったりして、対学会攻撃のため、いわゆる「特財返還訴訟」を準備し始めたという情報等が入り、同年一〇月には原島教学部長が学会の機密資料を持ち出して、被告人の事務所に運び込んだことが判明した。自分は、同年九月一日から一〇月一九日にかけて、何回か被告人に会い、「学会攻撃をやめろ」「変な策謀はやめろ」などと説得したが、被告人は、全く聞き入れる様子がなかった。
 同年一一月二七日、自分は、ホテルニューオータニの「ナダ寓」で被告人及び笹川陽平と会い、兵庫墓苑計画について話をした後、被告人を誘って、同ホテル内の「シエラザード」に行った。当時の状況は、同年一一月に入ってすぐ「継命」に日顕は学会べったりで池田をかばっている旨の記事が出て、活動家僧侶の日顕批判が始まり、同月下旬にはいわゆる北條報告書が活動家僧侶が住職をしている各地の末寺でのお講の席で読み上げられたとの情報が入っており、これらの動きにも被告人が関係しているとの疑いが強かった。そこで、そのような画策をやめさせるため、被告人を説得しようと考え、「シエラザード」に誘ったのである。同所で自分は、「何だって君は大恩ある池田先生に心配をかけたり、学会員を苦しませたりするようなことをするんだ。」「宗門問題からは手を引きなさい。」などと言って説得に努めた。すると被告人は、「僕も宗門の問題やシーホースや兵庫墓苑のことから手を引いて肩の荷を下ろしたいんです。しかし、今シーホースは手形を落とす金にも困っていて大変なんです。二、〇〇〇万円位ないと、今月末も越せない状況です。今まで人任せにしていたので、うまくいかなかったため、今僕が乗り出してやっています。それから池田先生にも非礼の数々を尽くしてるんで、一度会って是非お詫びしたいと思っています。」と述べた。
 翌日、池田に「被告人が会ってお詫びしたいといっている」旨を伝えると、池田は当日の夕方に会おうと言うので、自分は、「被告人はおそらく、シーホースの月末の手形を落とす金に困っているなどと泣き事を言うと思う。学会としてはシーホースに資金を援助してやる理由はないが、無下に断ると宗門との間をますます撹乱するような暴発に出る危険もあるので、これを押さえるためにはある程度の資金を援助してやることもやむを得ないと思う。もし被告人が金のことを持ち出したら、私が処理するので私と相談するように言ってほしい。」と進言した。
 同日、池田と被告人の面談が終った後、池田から「被告人は両手をついて謝った。案外素直だったが、神経がいら立って荒れているなと感じた。自分の懐に飛び込んできたのだから温かく抱擁してすさんだ気持をとかしてやり、これ以上暴発させないようにしようと思っていろいろ話をした。兵庫墓苑、シーホースの話も出たが、お金のこと、墓苑のことは北條会長に一切任せてあるから、北條会長に話してみなさい、と言っておいた。」旨を聞かされた。
 自分は、せっかく池田が被告人と会い抱擁して暴発を防ぐ努力をしてくれたのだから、今度で二度目だけれど、被告人を助けてやることで暴発を防ぐことができるなら、二、〇〇〇万円を出してやった方がいいと考え、福島に依頼して信濃企画から二、〇〇〇万円を支出した。
 その後、同年一二月一七日、被告人が学会本部に自分を訪ねてきて、「シーホースは丸尾に任せてやっていたので、経理がめちゃめちゃになっていた。今資金繰りが苦しくて年末を越すのに手形を落とす金がなくて大変なのです。一、〇〇〇万円あったら何とか年末をしのげるので助けて下さい。」などと頼み込んできた。自分は、「そんなことは学会や私に関係のないことではないか。」などと言って、一応は右の依頼を断ったが、被告人は、「それはそうですが、そこを何とか助けて下さい。でないと年が越せないのです。」と平身低頭しており、よほど切羽詰った様子であった。当時は、被告人がこれ以上学会の立場を窮地に陥れるような策謀や暴発に出ないことを願って、池田が頻繁に被告人と会っており、他方、同月上旬には活動家僧侶が集会を聞き、日顕等を追い落し、反学会派の法主をたてるための戦いを進める決議をした旨の情報が入り、現にその直後ころ行われた宗門監正員選挙で活動家僧侶が過半数を占めるなど学会に対する宗門及び活動家僧侶の動きは不気味な雰囲気を濃くしていた。そのような事情もあって、自分は、被告人をこの時期に突き放すのは得策でないと考え、森田、山崎、八尋等と相談の上、墓苑会計から報酬名下に一、〇〇〇万円を支出した。
 次いで昭和五五年一月一五日、被告人が学会本部に自分を訪ねてきて、創価学会インターナショナルの規約改正や韓国の学会組織の問題で話をした後、「シーホースの資金繰りが苦しくて困っているので、何とか援助してくれませんか。」と言い出し、自分は「考えておこう」と答えて、結論を留保しておいたところ、同月一八日の夜、第一庶務室長の鈴木卓郎から、池田の「山崎弁護士がシーホースの資金繰りが大変でどうしても手取りで一、〇〇〇万円の援助をしてほしいと頼んできたから、北條会長に相談しなさいと言っておいた。」旨の伝言を伝えられ、さらに同月一九日、被告人から電話で「池田先生にも頼んでおきましたが、会社の資金繰りが逼迫してきているので、月曜日にどうしても一、〇〇〇万円いるんです。何とか援助して下さい。」と言われた。当時は、日顕法主が年頭の辞で僧俗和合を強調したにもかかわらず、「継命」は相変らず学会攻撃の記事を載せ、学会は創価王国を築くため、宗務院や有力僧侶を懐柔しているとか、宗務院は学会に屈して屈辱的な宗門外交をやっているなどと、日顕と宗務院攻撃まで行っており、週刊紙も引続いて学会攻撃記事を出していた。自分は、これらの裏には被告人がかんでいるとの疑いをもっており、また現に被告人が一連の池田との面談の中で、「週刊誌の方には全部網を張っている。」「佐々木秀明から宗門問題を任された。」「宗門に臨時革命政府を作る。そうなったら狽下は短命だ。」「宗会選挙では活動家僧侶が全面勝利し、祝下を追い落とす。」などと言っていた旨を、その都度池田から聞いていたので、ここで被告人を怒らせたら大変なことになると考え、山崎副会長に事情を話し、やむなく金を出すことにした。
 証人池田大作も、以上の点につきおおむね右北條の検面調書と符合する供述をするほか、一一月二八日以降被告人と面談を重ねることとなった経緯、一二月三日ころ被告人に二、〇〇〇万円を贈った事情等について、次のとおり供述している。
 昭和五四年一一月二七日ころ、北條から、被告人がどうしてもお詫びしたいと言っているので、会ってほしいと言われた。当時は北條体制が未だ不安定であり、学会と宗門の間の首脳の連携も十分でなかった上、マスコミによる学会批判が盛んに行われ、反法主、反学会派の僧侶やそれに連なる檀徒の勢力が拡大された時期にあたり、被告人は、原島と結んで学会の資料をマスコミや反学会派の僧侶に流すなど、一切の学会攻撃、法主攻撃の鍵を握っていると見られていた。このような状況なので、その鍵を握る被告人と会ってよく話合いをすれば、暴走や策謀を止められるのではないかと考え、被告人と会うこととしたのである。同月二八日ころの被告人との最初の面談で被告人からシーホースの資金繰りが苦しく、お金がほしい旨の話があり、同年一二月一日ころの面談の際には「是非三、〇〇〇万円ほど何とかしていただけないでしょうか。」と懇請されたので、被告人を宥めて、その暴走を防ぐとともに、被告人が生活を正して立ち直ってくれることを願って、自分の定期預金を解約して調達した二、〇〇〇万円を被告人に贈った。
 北條の検面調書及び証人池田の供述中、被告人の要請に応じてシーホース援助を行わざるを得なかった理由等として同人らが供述しているところは、証拠によって認められる当時の客観的な状況(第一章第一節三24ないし29、四34参照)と符合しており、そのような状況の下では被告人を学会側に引寄せ、学会攻撃をやめさせようとの考慮から、被告人の要請に応じ右援助を行うことも自然なことと考えられる。したがって前記北條の検面調書及び池田の公判供述の内容は、いずれも大筋において信用することができ、右各援助は右のような理由でなされたものと認められる。
6 前記1(七)の学会からの一億一、〇〇〇万円の支出については、北條の検面調書、秋谷及び山崎の当公判廷における各供述、昭和五五年一月三一日付念証及び契約書によると、判示第一章第一節四2の事実が認められる。
(一) 被告人は右の経緯について次のように供述する。
(1)昭和五四年一二月中ころ、北條と会い、「シーホースはしかるべき時を見計らって任意整理をし、各販売会社は合理化した上で会社ごと営業譲渡し債権の回収を図ることとしたい。当面、シーホースグループを維持するため、さらに一億二、〇〇〇万円を年内、遅くとも昭和五五年一月早々一括して学会から出して欲しい。それを預金担保にして資金繰りにあてたい。」と話し、同人の了解を得た。ところが右援助は約束通りなされず、遅れてしかも分割で昭和五五年一月末から同年二月末にかけて一億一、〇〇〇万円が支出されたにとどまった。
(2)昭和五五年一月三一日付念証は、北條から、「今までのいきさっもあり、学会役員の中には君に対する敵意が強いが、この際学会に忠誠を誓ってくれれば容易に説得できる。また、シーホースに万一のことがあったとき、学会が直接シーホースに金を出すと、そのことを逆手に取られ第三者から追及されるおそれがあるので、君に対する報酬の形で出したい。ついでにこれまでシーホースに出したものも含め、遡って書類を作り万全の構えをしたい。」などと言われ、それに応じた。
 しかし、右被告人の供述は、前掲各証拠と対比すると、信用できない。
(二) まず、被告人が念証を提出した経緯及び右念証の趣旨について検討する。
 右念証は、その文言及び体裁自体から、被告人と学会の間において、(1)被告人が学会に「忠誠」を誓い、(2)シーホースは被告人個人が設立し、経営する会社で学会とは関係がないことを確認することを目的とする文書であると認められる。
 そして、被告人が(1)数年来、活動家僧侶等と結んで学会攻撃を続ける(第一章第一節三参照)とともに、(2)昭和五四年一一月以降、池田、北條等が被告人を学会側に引き寄せ、その学会攻撃を止めさせようとして、柔軟な態度をとっているのに乗じ、北條に対し連続的に四回にわたってシーホースに対する資金援助を要請し、止めどがない状況であったという経過を踏まえて、右念証を読めば、学会が被告人に右念証の提出を求める目的が、(1)被告人の学会攻撃を止めさせ、かつ、(2)被告人にシーホースが被告人個人の経営する会社で学会とは関係のないことを確認させ、これ以上、学会にシーホースに対する資金援助を求めさせないようにするにあったことは、容易に理解されるところであり、この点に関する北條調書、秋谷証言及び山崎証言は、優に信用することができる。
 被告人としても、前記のような従前の経過及び念証の文言自体から、学会が右のような趣旨で念証の提出を求めていることを十分承知の上、その提出を承諾し、念証に署名したものと推認される。
 被告人は、右念証提出の趣旨について、(1)学会役員の被告人に対する敵意を和らげ、(2)学会とシーホースの関係につき学会が外部の第三者に対して万全の構えをとるため、北條から求められて提出したもののように供述する。しかし、右(1)の点については、前記のとおり被告人が長年にわたり活動家僧侶等と結んで学会攻撃を行っていたところから、学会の首脳において、この際なんとか学会攻撃を止めさせようと考え、そのような立場から被告人に「忠誠」の誓約を求めたこと(単に主観的な被告人に対する「敵意」の問題にとどまらないこと)が明らかであり、この点は、当時被告人においても十分認識していたものと推認される。また、(2)の点については、右念証自体の内容からも、これが外部の第三者に示すために作成されたものでないことが明らかである。仮にこれが外部の第三者に示すための文書であるとすれば、これに「貴会の好意に対し衷心より感謝申しあげ、且つ貴会に対し忠誠を誓う」などと、被告人の背反(学会内部の暗闘)を窺わせるような記載を置く筈はなく、また、学会がシーホースの経営につき被告人に多額の資金援助を行った事実を記載することもなかったであろうと思われる。右資金援助について記載した場合、文面上、いくら右援助が学会の「好意」に基づくものであることが強調されていても、外部の第三者がこれを見れば、シーホースが学会と密接な関係があるとの疑惑を強め、学会を追及する有力な手懸りとされることを避けられないからである。
 したがって、右被告人の供述は、不自然というほかはなく、前記証拠と対比すると信用できない。
(三) 以上のような念証提出の経緯及び趣旨を基礎に、前記証拠を検討すると、学会が被告人の要請に応じシーホースに対し一億二、〇〇〇万円の資金援助を決定した経緯及び理由は、おおむね北條の検面調書の記載どおりであったと認められる。
 すなわち、北條等は、被告人の要請を拒絶した場合、被告人が再び活動家僧侶等と結び、学会攻撃に出ることを恐れ、一億二、〇〇〇万円という多額の援助を行うこともやむなしと判断したが、同時に、この際被告人に今後学会攻撃を行わないことを誓約させるとともに、シーホースが学会と関係がないことを確認させ、これ以上学会にシーホース援助を求めさせないようにしておく必要があると考えて、前記のように被告人に念証の提出を求め、かつ、これがシーホースに対する最後の援助である旨を被告人にも約束させた上、援助を行ったものと認められる。
(四) 仮に被告人が供述するように、被告人が学会の委任を受けてシーホースを「管理」しているという関係にあったとすれば、北條等が被告人に前記のような念証の提出を求めることはできなかったであろうし、被告人が右念証を提出することもなかったと考えられる。けだし、右念証の内容は被告人の供述する事実に全く反する上、被告人が右のような念証を提出した場合、今後のシーホースの「管理」にあたって学会から資金の提供等が得られず、きわめて困難な事態に立ち至るおそれの大きいことが当然予想されたであろうからである。
 したがって、一億二、〇〇〇万円はシーホースの「管理」に必要な資金として、北條等と相談の上、支出してもらったものであるという被告人の公判供述は、信用できない。
7 被告人は、学会のシーホースに対する援助は、以上にとどまらないとし、(イ)昭和五二年一一月四日から昭和五三年八月三一日まで四回にわたり富士宮墓苑に関する報酬名下に支出された合計二、〇〇〇万円は、シーホースが昭和五二年八月弘信商事から一億円借受けた際支払った利息の填補であり、(ロ)宗門問題調停報酬名下に支出された昭和五四年一月一〇日、同年二月二八日の各一、〇〇〇万円、同年四月七日、同月二一日の各五〇〇万円合計三、〇〇〇万円もまたシーホースに対する援助であった旨供述するが、この供述も信用できない。
(一) まず、(イ)の点について、被告人は、「自分の富士宮墓苑の仕事は、昭和五一年七月ころ終わり、あとは補助的な調整役にすぎなかったのであるから、昭和五二年一一月以降に墓苑報酬が支払われるはずがなかった。」旨を強調するが、被告人作成の昭和五二年四月一八日付「別館体制について」と題する報告書には、当面の仕事の一つとして富士宮関係をあげ、これを七月一杯位で終わらせるべく行動を開始した旨の記載が、同じく同年六月一三日付冒頭に「先日打合せの際」と書かれた報告書には墓苑関係の報酬という名目で金員の支出を要請する旨の記載が、同じく同年一二月二四日付冒頭に「今年は(M)〔引用者注…原文は○の中にM〕の訴訟が終り」と書かれた報告書には、三年間苦闘した富士宮の方もどうやらまとまった旨の記載が各存在することに徴すると、被告人が昭和五二年中にも墓苑問題について活動していたことが明らかであり、同年一二月に右墓苑工事の正式契約が行われていることをも考慮すると、被告人に対し同年一一月以降に前記墓苑報酬が支払われることはきわめて自然であったと認められる。被告人の供述は信用できない。
 なお、被告人の供述によれば、当時は、学会から日原造園に対し墓苑工事準備金に含めてシーホース援助にあてるべき四億円が支出されており、シーホースはいっでも日原造園から資金援助を受けられる状態にあったことになるから(前記八5(一)参照)、北條がシーホースのイチビルに対する利息支払いについて被告人を気の毒がり、その分を墓苑会計から捻出して填補する必要は全くなかった筈である。被告人の供述に右のような矛盾が生ずるのは、その供述が虚構を重ねたものであることに起因すると認められる。
(二) 次に(ロ)の点については、右三、〇〇〇万円が支出された時期が昭和五三年一一月のいわゆる「お詫び登山」から昭和五四年四月の池田会長辞任に至る、学会と宗門との緊張が高まった時期にあたり、前記のような宗門問題に関する被告人の行動、立場(第一章第一節三8ないし17参照)を考慮すると、学会が右の時期に調停報酬として三、〇〇〇万円を被告人に支払ったというのも不自然ではなく、この点に関する証人秋谷及び八尋の各供述は信用できる。したがって、右三、〇〇〇万円は、帳簿上の記載のとおり、宗門問題調停に関する弁護士報酬と認められ、これに反する被告人の供述は信用できない。
8 したがって、学会又はその関連会社からシーホースに対し多数回にわたり多額の資金援助が行われた事実も、直ちにシーホースの管理が学会から委任された事務であるとする被告人の主張を支持するものではない。
 かえって前記一億二、〇〇〇万円の援助をシーホースが受けるにあたり、被告人が学会に対し、シーホースが被告人個人の経営する会社で学会とは関係のないことを確認する旨の念証を提出していることは、被告人によるシーホースの「管理」が学会の委任に基づくものではないことを示す有力な状況証拠であると認められる。
一三 被告人がシーホースのために行った債務保証又は個人的な借入れ
1 被告人は、前記のとおり、日原造園又は銀行からシーホースに融資を受けるにあたり、個人でその債務を保証するなどしたほか、シーホースのために以下のような債務保証又は個人的な借入れを行っている。
(一) 東海通商は、昭和五三年五月末ころ、株式会社イチビルから手形の割引を受けるようになり、同年七月一五日、同社との間で継続的金融取引約定を結んだが、その際、被告人は、東海通商の債務につき単独で元本極度額三、〇〇〇万円(その後昭和五四年七月一五日には一億円、昭和五五年三月一日には無制限に拡張)の、また日原造園とともに元本極度額一億円(その後昭和五四年七月一五日には三億円に増額)のそれぞれ連帯保証を個人で行い、また昭和五四年一月ころ以降は、東海通商がイチビルから手形割引を受ける際、保証の意味で裏書を行った。
 なお、昭和五五年四月一六日のシーホース倒産時点でのイチビルに対する未決済手形額は、一二億円を超えていた(西沢邦夫の検面調書)。
(二) 富士宮市内の金融業者(当時暴力団員)藁科信司から、昭和五四年秋又は暮ころ一、五〇〇万円、その一、二か月後さらに一、〇〇〇万円を利息月五分で借受けたが、その際シーホースグループの手形とともに、被告人個人が保証又は裏書をした手形を担保として差入れた(藁科の検面調書)。
 また暴力団員塚本貴胤に対し、昭和五五年初めころ、いわゆる半使いの約束でシーホースグループ振出しの融通手形の割引の斡旋方を依頼した(坂本供述)。
(三) 昭和五五年一月三〇日ころ、日原の紹介で富士市内の金融業者吉村三男からシーホースに五、〇〇〇万円の融資を受けたが、その際、被告人個人振出しの額面五、〇〇〇万円の手形を担保として差入れた(吉村の検面調書)。
(四) 有限会社カネムラ畜産代表取締役金村こと菊地原吉雄から、同年二月九日ころから同年四月一一日ころにかけて三回にわたり額面合計約一億四、〇〇〇万円の手形を被告人個人の信用で借受け、手形の取扱いについては被告人が責任を負う旨の念書を差入れ、シーホースの資金繰りに充てた(菊地原の検面調書)。
(五) 実母山崎千代子から、昭和五四年一〇月から昭和五五年二月にかけて現金合計一、一五〇万円を借受け、シーホースの資金繰りに充てた(山崎千代子の検面調書)。
 その他、妹豊子(当時丸尾の妻)から同年一月ころ二〇〇万円、親交のあった活動家僧侶浜中和道から同じころ三〇〇万円を借受け、シーホースの資金繰りに充てた(豊子供述、浜中供述)。
2 以上によると、被告人は、
(一) シーホースが銀行、イチビル及び日原造園という最も大口の融資元から融資を受けるにあたっては、いずれもシーホースの債務を全額個人保証し、
(二) 右のほかシーホースの資金繰りのために、被告人個人の信用と責任で金策に奔走し、かなり危う気な取引(前記1(二)参照)にも踏み込み、
(三) 実母に依頼して同人の経営する会社所有の不動産二件につきシーホースのために根抵当権(極度額合計三億八〇〇万円)を設定してもらったほか、同人その他身近かな人達から多額の金員を借り受けてシーホースに投入していることになる。
 これらは、まさに会社の実質上の経営者にふさわしい行為であり、仮に、被告人が学会から委任されてシーホースの管理にあたっていたにすぎないとしたら、被告人が右の程度にまで立入ってシーホースの債務を保証し、又は個人の信用と責任で金策に奔走する必要はなく、現にそのようなことはしなかったであろうと考えられる。
一四 犯行に至る経緯及び犯行時における被告人の言動
1 本件各犯行に至る経緯及び犯行時における被告人の言動は、前示のとおりであり、この言動に徴しても、被告人が学会の委任に基づきシーホースを「管理」しており、その立場から学会に同社への援助を要請したものでないことが明らかである。
2 とくに、判示第-の犯行に至る経緯をみると、被告人は、(一)昭和五五年四月一〇日及び同月一三日の北條に対する各電話並びにシエラザード会談においては、北條等に対し、シーホースが倒産に瀕していることを告げた上、「ここ二、三か月のことについては、民事刑事の責任を免れないこととなったが、学会にはできるだけ迷惑をかけないようにする。」「大手の債権者には話をつけたが、一番うるさい連中の処理をするため、少し応援してもらえないか。」「暴力団も騒ぎ始めている。」などと述べ、北條等の情宜に訴えつつ、ひたすら資金援助を懇請し、これが拒絶されると、(二)一転して顧問弁護士の退職金として三億円を要求し、同月一六日の北條からの電話で右要求をも正式に拒絶されるや、(三)その後間もなく山崎に電話を入れ、同人に対し、学会の対応如何によっては再び学会攻撃に出ることもあること等をほのめかしながら、シーホースの経営に関し被告人個人が窮迫した状況にあることを訴え、かつ、シーホースがこのまま倒産すれば、騒ぎが学会に及び、学会も泥をかぶることになる旨を強調して、被告人と学会の「共通の利害」の問題として資金援助を考えてほしい旨を言葉を尽くして要請している(前記第一章第二節第一の一5参照)。なお、右の過程で、被告人が援助を必要とする金額(三億円)の根拠につき具体的な資料等に基づいて北條等に説明することは全くなかったと認められる。
 以上の経過に徴しても、被告人が、学会の委任を受けてシーホースの「管理」にあたる者の立場から、シーホースの実質上の経営者である学会に対し、資金援助を要請したものであるとはとうてい認められない。
3 また、判示第二の犯行にあたり、被告人は、山崎等に対し、種々の形で脅迫を加える一方で、金員の要求については自分の方からこれをあからさまに具体的な形で持ち出すことはできる限り避けようとする慎重な態度で一貫していたものと認められる(前掲証拠、とくに同年六月四日の山崎への電話の録音テープ)。
 このことは、被告人自身、シーホース整理に関し学会に対して金員を要求すべき根拠がなく、脅迫の上そのような要求をすれば、恐喝にあたることを十分認識していたことに基づくものと推認される。
一五 被告人が個人的に山本援助に乗り出した動機について
1 被告人は、学会内で栄達することを考えており、個人的に事業を行って利潤を得ようとする気持はなく、また、利潤を得ようと考えたのであれば、何度も会社をつぶした山本や赤字会社であるユアーズグループに資金援助をする筈がないと主張する。
2 しかし、これまで検討してきたところによると、被告人がユアーズグループに対する0全面的な資金援助を決意した際の状況並びに被告人の認識及び意図については、次のとおりであったと認められる。
(一) 学会は、昭和五一年一〇月上旬ころ、今井を通じて山本から出された三、〇〇〇万円の手形割引の要請を拒絶したが、山本は、その後も同様の懇請を続けていた。
(二) 被告人は、右のような状況の下で、同月末ころ、山本を事務所に呼び寄せた上、同人から冷凍食品販売事業の先行きの見通しや同人の経営するユアーズグループの経営状態等について説明を聴いた。同人は、冷凍食品業界がこの一、二年間に飛躍的に発展するに違いないことを数字を挙げて力説し(被告人は、その数字をわざわざ手帳に書きとめている。)、ユアーズグループについては、資金ルートさえ目処がつけば数か月内に採算ベースに乗る見込みである旨を雄弁に述べ立てた。被告人は、ユアーズグループが山本の説明するような状態にあるのなら、ここで同社に全面的な資産援助を行うことにより、同社を事実上自分の管理の下におき、冷凍食品販売事業に乗り出そうかと気持を動かした。そこで、被告人は、山本に対し、ユアーズグループに対する全面的な援助を考慮する旨を告げ、同社の事業計画表、資金繰り表等を持ってくるよう指示した。
(三) 被告人はユアーズグループに対する資金援助の資金源については、一部(二、〇〇〇万円程度)を学会から出させ、その余は日原造園から出させることを考えた。
(四) 当時、客観的には、学会が山本の要請に応じてユアーズグループを援助しなければならないような状況はなかった。
 しかし、ユアーズグループに対しては、同年二月に被告人が北條の了解を得、中西に要請して、二、〇〇〇万円の手形割引をしてやった(右二、〇〇〇万円は無事回収されている)という経緯もあるので、被告人としては、今回も被告人が北條及び中西に対し然るべき理由を述べて山本援助を要請すれば、学会が前回同様二、〇〇〇万円程度の資金援助は行うであろうとの見通しをもっていた(前記五6参照)。
(五) 被告人は、日原との親密な関係等から、日原に対し個人的にユアーズグループの援助を要請すれば、日原造園から継続的に多額の資金援助を受けられる見通しをもっていた(前記六4参照)。
(六) 学会が山本の要請を受け入れてユアーズグループに二、〇〇〇万円程度の資金援助を決定し、被告人が右援助の実施及び回収にあたる立場にたっこととなれば、被告人がこれに日原造園からの援助等を加えて、ユアーズグループに対する全面的な資金援助を行い、同社を自分の管理下におくにあたり、その管理等を学会のための仕事であるかのように言倣し、装うことも容易であると考えられた。
 当時、学会の顧問弁護士ではあるが、学会の表立った役職に就いていなかった被告人としては、右のような自然な形で事業に乗り出すことに抵抗はなく、むしろ、これを一つの好機と考えた。
(七) その後、山本は、被告人に対し、ユアーズグループの事業計画書、資金繰り表等(いずれも粉飾したもの)を提出し、重ねて援助を要請した。被告人は、そのころ、ユアーズグループに対する全面的な資金援助を決意した。
(八) 被告人は、当時、ユアーズグループの状態については、おおむね山本の説明を信じており、同社に対して最低六、七千万円程度、状況によってはさらに数千万円程度の資金援助を行えば、比較的速やかに同社が業績を回復し、将来は大いに利益を上げる会社になると考えていた。
(九) また、同社を自分の管理下におくためには、山本と交渉して、休眠中のシーホースを復活させ、同社によりユアーズグループを管理するとの構想をもっており、山本もユアーズグループ倒産の危機を被告人に救ってもらうのであるから、右のようなシーホースによるユアーズグループの管理を受け入れると考えた。
 なお、シーホースには坂本、丸尾など被告人の側近の者を枢要なポストに配して、ユアーズグループの仕入れ及び経理を掌握させ、ユアーズグループの営業活動の指揮は山本に任せ、被告人が全体を統括するものとすれば、被告人は表に立たず、かつ、被告人の仕事としてはそれほど大きな負担とならないで、ユアーズグループを管理することができると考えた。
(一〇) ところがその後、山本の説明と相違して、ユアーズグループの経営内容がきわめて悪く、しかも、山本の抵抗にあってユアーズグループの経営を十分に管理することができないまま時を過ごし、ようやく昭和五二年三月にシーホースによりユアーズグループを管理する体制を整えたかと思うと、山本が逮捕されるという事態が生じたため苦境に立ち、その後も経営の改善、業績の向上を実現できず、欠損を重ね、整理の機会をとらえられないまま、倒産に至った。
(一一) 被告人が学会内部で栄達しようと考えていたとしても、そのことは、必ずしも被告人が個人的に事業の経営に乗り出し、これによって自分の経済的基盤の確立をはかろうと考えたことと矛盾するものではない。特に、当時被告人が学会内で役職に就いておらず、かつ、前記(九)のような体制で経営にあたれば、そのための被告人個人の負担は大きくないと予想されたことを考慮すると、被告人が前記(四)ないし(六)のような状況を好機として、冷凍食品事業に乗り出そうと考えたことは、不自然なことではないと認められる。
 以上の事実によると、被告人が、千居からの二、〇〇〇万円の援助の点を除いては、学会の指示又は承認を受けることなく、私的な動機からユアーズグループに対する全面的な資金援助を決意したことについては、動機の面からみても、格別不自然ではないと考えられる。
一六 以上のような証拠の検討、事実関係の判断を総合すれば、シーホースグループは、被告人が個人的に経営する会社であって、学会首脳の依頼を受け、学会の事件処理として経営していたものではないと認められる。
 以上の認定に反する被告人の供述は、前記各証拠と対比すると信用できず、被告人作成の昭和五二年一二月二四日付報告書「追伸」コピー(前記一〇参照)も、偽造の疑いが強く、右認定を動かすものではない。
第四章 法令の適用
 被告人の判示第一の所為は刑法二四九条一項に、判示第二の所為は同法二五〇条、二四九条一項にそれぞれ該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条により未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
第五章 量刑の事由
 本件は、学会の顧問弁護士又は幹部として長年学会の機密に属する事項の処理にあたってきた被告人が、その職務上知り得た学会の秘密を暴露すること等をもって学会首脳を脅迫し、学会から三億円を喝取した上、さらに五億円程度の金員の喝取を企てた犯行であり、ただに被害金額が大きいのみならず、弁護士の守秘義務に背き、背信性がきわめて強い犯罪であるといわなければならない。
 本件犯行の背景には、学会が、昭和五三年一月以降における宗門との対立の中で、活動家僧侶や「檀徒」からの激しい攻撃を浴び、週刊誌等によるセンセーショナルな報道、批判にさらされて、きわめて厳しい環境にあったという状況が存するが、被告人は、右学会と宗門の対立の過程で、一方では学会首脳の依頼を受け、学会のために宗門との調停にあたるという立場に立ちながら、他方では宗門の日達法主に親近し、同人に学会の内情を報らせ、これに対処するための厳しい戦略を献言するとともに、活動家僧侶と結んで、その学会攻撃を支援し、また、週刊誌その他の報道関係者に学会内部の秘密資料等を提供するなど、学会の顧問弁護士又は幹部としての職責に背く行動に出ることが多かったと認められる。
 もとより、学会の長年にわたる宗門との対立については、学会の側にも反省を要するところが少なくなく、昭和五三年以降の対立、紛擾を被告人の策謀に基因するもののように言うのは誤りであるが、それにしても、被告人が一方において活動家僧侶と結んでその学会攻撃を支援し、かつ週刊誌等による学会批判を煽るような行動に出ながら、他方において学会が右の攻撃、批判等により苦境に立ち、学会首脳が被告人の前記のような行動を恐れているのに乗じ、さらに学会の秘密を暴露する旨をもって学会首脳を脅迫し、金員を喝取した行為は、道義的に強い非難を免れないと思われる。
 本件第一の犯行の動機は、シーホースの倒産にあたり、任意整理をするのに必要な資金を得ることにあったが、シーホースは、被告人が自らの責任で経営する会社であり、学会がこれを援助すべき義務を負うものでないことは前に説示したとおりである。もっとも、学会は、本件に至るまでの間、シーホースに対し多数回にわたり合計二億円を超える援助を与えており、それには学会の立場からすればそれぞれ苦しい事情があったとは言うものの、右のような学会の態度が、被告人に安易に学会の援助に頼る気持を抱かせ、本件犯行を誘発する背景となったことは否定できない。しかし、被告人は、昭和五五年一月末に学会から一億二、〇〇〇万円の援助を受けた際、今後は一切援助を要請しない旨を約し、念証を差入れているところ、その後僅か約二か月で再び三億円を要求して本件第一の犯行に及び、次いで右三億円の供与を受けるにあたり、再び今後は援助を要請しない旨を約束しながら、その後二か月足らずで五億円程度の金員を要求して本件第二の犯行に及んでいるのであって、前記の事情を考慮してもなお、被告人の要求は余りにも節度に欠けており、むしろ、被告人の約束を破って恥じない態度こそ非難されなければならないであろう。
 なお、被告人は、捜査段階から本件事実を否定するのみならず、公判では幾多の虚構の弁解を作出し、虚偽の証拠を提出するなど、全く反省の態度が見られない。
 以上のように考えると、本件は犯情が悪く、被告人の罪責は重大であるといわなければならない。
 しかし他方、判示第-の犯行は、シーホースの倒産という非常の事態に直面して、その任意整理に要する資金の獲得に焦慮し、前記のような事情で安易に学会の援助に頼ろうとしたことから企図した犯罪であり、現に取得した三億円もその大部分をシーホースの負債整理に充てていること、判示第二の犯行は未遂に終わっていること、被告人には前科その他の犯罪歴が一切なく、また本件後、弁護士会を退会するなど相当の社会的制裁を受けていること等被告人のために酌むべき事情も認められる。
 当裁判所は、これら一切の情状を勘案し、主文の刑を量定した。
 よって、主文のとおり判決する。
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