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■山崎正友に対する恐喝罪被告事件第一審判決「第三章第四節第一~第六」

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第四節 株式会社シーホースの経営について
一 被告人の主張及び裁判所の判断の骨子
 被告人は、株式会社シーホースの経営につき、次のとおり供述している。
 学会の関連会社である株式会社東洋物産は、その子会社である株式会社産業サービスを通じて冷凍食品販売事業を行っていたが、同社に対する多額の債権が回収不能となったため、昭和五〇年一二月八日、学会の顧問弁護士今井浩三により強引に右債権の回収を図り、その際、今井は、産業サービスの代表取締役山本保生と共謀して約二、〇〇〇万円の冷凍食品等の取込詐欺を行った。山本は、他にも多額の取込詐欺を重ねた末、昭和五一年二月一〇日ころ、産業サービスを計画倒産させ、その後新会社ユアーズ等によって冷凍食品販売を継続したが、資金繰りに窮し、同年一〇月ころ、今井を通じ、学会に資金援助を要請してきた。当時、山本は、産業サービスの債権者らから取込詐欺の事件で告訴され、警察の捜査が進められている状況にあり、学会が山本の右要請を拒絶し、山本の経営する会社が倒産するような事態となれば、産業サービスの債権者らが東洋物産の責任を追求し、また、警察の捜査が東洋物産及び学会の関係者に及ぶおそれが大きかった。そこで、被告人は、同年一一月ころ、池田及び北條の決裁を得て、山本の経営する会社(ユアーズグループ)に全面的な資金援助を行うこととし、その際、右ユアーズグループの経営を管理するため、株式会社シーホースを使ったものである。したがって、シーホースの実質的な経営者は学会であり、被告人は、学会の委任を受け、学会のために同社を管理していたものにすぎない。
 しかし、前掲証拠によると、学会は、同年一一月一〇日ころ、被告人の意見を容れ、山本の経営する会社(ユアーズグループ)に二、〇〇〇万円の資金援助を行ったが、ユアースグループに対し全面的な資金援助を行うことを決定したことはなく、ユアーズグループに対する右二、〇〇〇万円以外の資金援助は、被告人が自ら冷凍食品事業に乗り出す意図をもって、自らの判断と責任で行ったものであり、シーホースも、被告人個人が右のような意図の下に経営していた会社であって、被告人が学会の委任を受け、学会のために管理していたものではないと認められる。
 以下、まず証拠によって認められる事実の経過を簡潔に述べ、次いで各争点に関する裁判所の判断を示すこととする。
二 事実の経過
 前掲証拠によると、次の事実が認められる。
(東洋物産株式会社の産業サービス株式会社との取引及び債権回収の状況等)
1 東洋物産株式会社(以下単に「東洋物産」という。)は、昭和二八年四月に電気工事並びに音響機器設備の販売及びレンタル等を目的として設立され、その事業内容、人事等の面で学会と密接な関連を有する会社(以下「学会関連会社」又は単に「関連会社」という。)の一つである。
2 昭和四五年末か同四六年初めころ、学会員で当時運送業を営んでいた山本保生は、かねてからの知り合いて前記東洋物産の役員であった北條直(北條浩の実弟。)から、冷凍用加工食料品(以下「冷凍食品」という。)の販売事業が有望である旨を聞いて、自らこれに乗り出す気になり、市場調査等をした上、知人からの出資を得て、昭和四七年三月、東京都世田谷区に冷凍食品の製造及び販売等を目的とする産業サービス株式会社(以下「産業サービス」という。)を設立し、代表取締役に就任した。
3 山本は、当初冷凍食品製造会社の富士フーズから直接産業サービスに冷凍食品を仕入れることを考えていたが、富士フーズは実績のない産業サービスとの直接取引には応ぜず、東洋物産を通じての取引を要求したため、山本は、北條直を通じて東洋物産と交渉し、結局、産業サービスは富士フーズから東洋物産を通して冷凍食品を仕入れ、その代金は産業サービスから東洋物産へ、東洋物産から富士フーズへいずれも手形で決済するものとして、同年四月又は五月ころから取引を開始した。
 しかし、産業サービスの東洋物産に対する代金支払は当初から遅滞し、富士フーズの倒産により右ルートの商品仕入が終了した昭和四八年夏ころまでに、東洋物産の産業サービスに対する未回収債権は約五、〇〇〇万円にのぼり、右債権の焦付きが東洋物産の経営の悪化を招くに至った。
4 東洋物産では、右債権の回収のため、同年一〇月中旬ころ、弁済期日の到来している約二、五一五万円の債権につき、産業サービスに債務があることを確認させた上、その弁済をいずれも昭和四九年一〇月一〇日まで猶予し、右債務の履行を担保するため山本所有の不動産に第三順位の抵当権を設定させた。
 次いで東洋物産は、昭和五〇年三月二二日、産業サービスとの間において、産業サービスの有する冷凍食品三、三九〇万円相当を買い付けた上、その売買代金のうち一、七九〇万円を産業サービスに対する債権と相殺する旨の契約を締結した。ところが、同年一〇月ころ、山本が東洋物産の買い取った右冷凍食品のうち約一、一四一万円相当を同社に無断で売却してしまっていることが判明した。
5 また、同年八月二八日ころ、東洋物産は、山本の懇請により同人の知人の所有する不動産に抵当権を設定する約定の下に一、二〇〇万円を産業サービスに貸付けたところ、右抵当権の設定につき所有者の同意が得られず、抵当権の設定ができない事態となったため、山本と折衝の末、同年九月末ころ、同年八月二八日付で、東洋物産が産業サービスに対し弁済期を同年一二月一〇日として一、二〇〇万円を貸付け、産業サービスが右期日までに弁済できない場合には産業サービス所有にかかる冷凍食品を代物弁済する旨の契約を締結した。
 しかし、その後においても、東洋物産の産業サービスに対する債権の回収は一向に進捗しなかった。
6 そこで同年一〇月、学会本部に東洋物産の役員のほか北條、秋谷、被告人及びかつて東洋物産の顧問弁護士であった弁護士今井浩三が集まり、東洋物産の再建策について検討した結果、同社は電気工事部門を中心に営業規模を縮少するものとし、産業サービスからの債権回収については被告人の指示の下に今井が担当することとなった。
 今井は、右債権回収にあたり、被告人から、東洋物産が無理な回収をして産業サービスを倒産させたとの非難を受けては困るので、決して無理な回収はするなとの指示を受け、検討の結果、山本が東洋物産に無断で売却した前記約-、一四一万円相当の冷凍食品及び同人に騙された形で貸付けた前記一、二〇〇万円については強気で回収する一方、通常の取引過程で生じた約二、八〇〇万円の債権については長期間に分割弁済させるものとし、かつ、今後産業サービスとの新たな商取引は一切行わないという方針で、産業サービスとの交渉に臨んだ。
 その結果、同年一二月八日、東洋物産は、産業サービスと次のような契約等を行った。
(一) 山本が東洋物産に無断で売却した同社所有の約一、一四一万円相当の冷凍食品と、現に産業サービスにある同社所有の約一、一三九万円相当の冷凍食品とを交換する(契 63約書作成)。
(二) 前記同年八月二八日付の消費貸借につき、産業サービスが期限の利益を放棄して弁済期を一二月八日とした上、同日東洋物産が代物弁済の予約完結権を行使する(各念書作成)。
(三) 通常の取引過程で生じた東洋物産の債権約二、八三〇万円中、約一三〇万円は東洋物産において同日弁済を受け、残債務二、七〇〇万円は三八回の分割払いで弁済を受けるものとする(債務弁済契約公正証書作成)。
7 右のうち、(一)及び(二)は、即日実行され、東洋物産に引渡された冷凍食品は、
 即日東洋物産から石原食品に廉価販売されたが、(三)の契約による分割弁済は、全く履行されないまま、翌五一年一月二〇日及び二一日産業サービスは不渡手形を出して事実上倒産した。
8 山本は、昭和五〇年一一月ころから、産業サービスの倒産に備え、同社の販売組織を事実上引継ぐため、休眠会社を役員変更する等してユアーズ、ユアーズ千葉、レンポー物産等の販売会社を準備するとともに、産業サービスが仕入れた冷凍食品を第三者の名義に名義変更するなどして隠匿保管し、産業サービス倒産後、その債権者らに対し、新会社を設立して事業を継続しながら返済するので、弁済をしばらく猶予してほしい旨申し入れ、昭和五一年二月一七日にはさらに株式会社ニューユアーズレンポーを設立した。
(昭和五一年二月の山本援助)
9 山本は、昭和五一年二月一〇日ころ、前記今井弁護士に対し、産業サービスは倒産したが新会社をすでに作ってあり、従来の販売網は残っているので、引続き冷凍食品の販売事業を営みたいが、倒産で信用がなく商品の仕入れルートが断たれている中で、産業サービスの債権者の一人である山崎商会が二、〇〇〇万円の手形を割引いてくれるなら従来どおり商品を供給しようと言ってくれているので、同社の手形を割引いてほしい旨要請した。
 今井は、その日のうちに被告人に対し山本の右要請を伝えた上、山本の要請を容れて、手形割引に応じた方がよい旨を進言した。
 今井がそのように判断した理由は、産業サービスの倒産には計画倒産、取込詐欺の疑いがあり、かつ、その倒産が東洋物産による前記一二月八日の債権回収からわずか四〇日後に起こったため、今後の状況の如何によっては、産業サービスの債権者らから東洋物産が後ろで糸を引いて産業サービスを倒産させたとか、取込詐欺の共犯だなどとの非難が起こり、東洋物産が法的責任を追及されるおそれもあるところ、ここで山本のために手形の割引をしてやり、同人に新会社による事業を継続させれば、産業サービスの債権者らも新会社による返済に期待して騒ぎを起こさず、東洋物産に対する非難や責任追及に出ることはないだろうということにあった。
 被告人は、右のような今井の進言を聞いて山本の要請に応じることを決意し、そのころ、北條に山本からの右要請を報告して、「産業サービスが東洋物産の強引な取立てのために倒産したと言いがかりをつけられると困るので、それを防ぐため、学会関連会社のどこかで手形を割引いてもらいたい。」旨上申し、その了承を得た上、同人の「中西君と相談してみてくれ。」との指示に従い、学会本部主事中西治雄に対し、「東洋物産が強硬な債権回収をしたため産業サービスが倒産したと同社の債権者らが騒いでおり、これら債権者が学会に押しかけて来るといううわさがある。大口債権者の山崎商会が最も強硬なので資金援助をして騒ぎを収めたい。ついては山崎商会振出しの二、〇〇〇万円の手形割引先を紹介してほしい。このことは北條理事長も了承している。」などと述べて手形割引先の紹介を依頼し、同人から日蓮正宗総本山大石寺境内で土産品等を販売している千居株式会社を紹介され、昭和五一年二月一四日及び一六日、同社で山崎商会の手形四通額面合計二、二〇〇万円を合計二、〇〇〇万円で割引いてもらった。
(産業サービス債権者らによる山本告訴等)
10 山本は、新会社による事業を続けたが、産業サービスの債権者らに対しては、ごく一部を除き、弁済をせず、また誠実に弁済しようとする態度を示さなかった。そのため、産業サービスの債権者らは、同年三月ころから取込詐欺等の疑いで山本を告訴し、そのころ警察の捜査が開始され、同年九月二一日には東洋物産の役員細川勉が前記昭和五〇年一二月八日の債権回収に至る経緯を中心に、また昭和五一年一〇月二六日には東洋物産の社員大橋貞男が昭和四七年以来の産業サービスとの取引経過を中心に、それぞれ警察の取調べを受け、また昭和五一年一一月二目には今井及び当時の東洋物産の顧問弁護士宮山が前記一二月八日の回収を中心に警察から事情を聴取された。
11 山本は、前記ニューユアーズレンポーを中心としつつ、昭和五一年五月から八月にかけてユアーズ物産、ユアーズ三多摩、ユアーズ神奈川の各販売会社を設立して、事業を継続しようとしたが、同年八月中ころには商品仕入先の前記山崎商会が事実上倒産したため経営が行き詰まり、同年九月後半、休眠会社を商号変更して株式会社セントラルユアーズを作り、同社は産業サービス及びニューユアーズレンポーの負債を引き継がないものとした上、これが前記三販売会社を統轄して事業を行うという体制(以下「ユアーズグループ」という。)をとった。
(昭和五一年一一月の山本援助)
12 同年一〇月五日ころ、山本は、今井に対し、「商品供給先の山崎商会が八月に倒産してしまった。今度は京葉産業が三、四〇〇万の手形を割引いてくれれば商品を供給してくれると言っている。」などと述べて、同年二月のときと同様に手形害帽lを依頼した。今井は、翌日ころ、被告人に対し、山本の右依頼を伝えた上、今回は断った方がよい旨の意見を述べた。その理由は、次のとおりである。
 すなわち、産業サービスが倒産してからすでに約八か月半を経過しているところ、その間、産業サービスの倒産に絡んで東洋物産に苦情を言ってきた債権者は一人もなく、債権者らが前年一二月八日の東洋物産による債権回収を問題にしている様子は全く見られない。また、山本の取込詐欺については、債権者がすでに高井戸警察署に告訴しており、したがってこの段階で山本に資金援助をして同人に事業を続けさせたところで、捜査を左右することはできず、もし右捜査が何らかの形で東洋物産に波及する事態になれば、真正面からこれに対応するほかはない。したがって、今や山本に資金援助し、事業を続けさせる必要はない、というのである。
 被告人も今井の右意見に賛同したので、今井は、同日ころ、北條に会い、山本から前記依頼があった旨及び今回はこれに応ずる必要はない旨の意見を述べるとともに、報告書を提出した。北條は、今井の意見どおり処理することを承認した。そこで、今井は、山本に対し、もう今回は依頼に応ずることはできない旨を回答した。ところが、山本は、同月一二日ころ、今井に対し「八方手を尽くしたがどうにもならない。頼るところはほかにないので何とかしてほしい。」などと、再び手形割引を懇請してきた。今井は、「いくら頼まれてもできなはものはできない」旨を伝え、右懇請を拒否するとともに、被告人にその旨報告し、北條あてにその旨の報告書を提出した。北條は、今井の右処理を承認した。
13 同月末ころ、被告人は、今井を通じて山本をホテルニュージャパン内の被告人の事務所に呼び寄せた上、同人に対し、告訴されていることを告げ、産業サービスの負債整理の状態、現在の会社の状況等について質問した。山本は、告訴されていることについては歯牙にもかけない態度を示し、冷凍食品業界が今後飛躍的に発展する見通しである旨を強調した上、ユアーズグループは現在資金ルートが絶たれていて苦しいが、それさえ乗り切れれば来年三月ころには採算ベースに乗る見込みであり、それには三、〇〇〇万円程度の資金援助が必要である旨を述べて三、〇〇〇万円の資金援助を要請した。被告人は、これに対し、セントラルユアーズの事業計画、資金繰り表等の提出を求めた。数日後山本は、被告人の許に販売計画表、資金繰り表、事業計画等を持参し、重ねて資金援助を要請した。
14 被告人は、ユアーズグループに対する緊急融資として、同年一一月五日に三〇〇万円、同月六日に一〇〇万円、同月八日に四〇〇万円をいずれも個人的な知り合いを通じて調達し、貸付けた。
15 被告人は、同月八日ころ、北條の了承を得た上、中西に対し、山本から再び資金援助の要請があったが、山本は取込詐欺の疑いで高井戸警察署に告訴されており、東洋物産の社員も警察の事情聴取を受けているところ、山本を怒らすと、警察で何を言い出すか判らないので、それを防ぐために山本の会社に対し二、〇〇〇万円位の資金援助をしてほしい、回収は自分が保証する旨を述べ、同月一〇日、自ら報告書を起案し、今井に連署させた上、中西に提出した。そして、同人より紹介を受けた前記千居から、(一)同月一五日、ユアーズグループ振出し額面合計一、一〇〇万円期間六か月の手形を一、〇〇〇万円で割引き、(二)同月一八日、ユアーズグループ振出し額面約一、二五〇万円期間一年の手形と引換えに約一、〇〇〇万円を受領し、いずれも、ユアーズグループに対する資金援助に充てた。
16 被告人は、同月上旬ころ、ホテルニュージャパン内の日原造園東京事務所において日原博に対し、「セントラルユアーズという食品を扱っている会社がある。北條理事長の弟が関係している会社である。この会社に私も援助するので日原君の方でも援助してほしい。」「金額ははっきり決まっていないが、四、五千万円位でよいと思う。必要に応じてその都度頼むから。」などと述べて資金援助を要請し、日原造園からユアーズグループに対し同月-
五日から同年一二月三一日までの間、九回にわたり合計八、七〇〇万円の融資を受けた。
 なお、被告人は、昭和五二年三月中旬ころ、ホテルニュージャパン内の被告人の事務所において、日原に対し、ユアーズグループに対する資金援助の継続を要請し、同月一九日から同年四月二日までの間、四回にわたり、日原造園から合計六、七五〇万円の融資を受けた。その結果、日原造園からユアーズグループに対する融資総額は、一億五、四五〇万円にのぼった。
17 被告人は、昭和五一年一二月ころ、ユアーズグループの商品仕入先として株式会社伸和を紹介し、同社から同月中に約二、〇〇〇万円、同五二年三月までにさらに約-、〇〇〇万円相当の商品の仕入れを受けられるように取計らった。
(シーホースによるユアーズグループ管理に至る経緯)
18 被告人は、右資金援助にあたっては、休眠中の株式会社シーホース(以下「シーホース」という。)を復活させ自ら経営の全権を掌握した上、同社によりユアーズグループを管理する構想をもち、大筋について山本の同意を得ていたが、昭和五一年一一月下旬ころ、山本と交渉の上、
(一) 仕入れ及び資金繰りはシーホースで行い、ユアーズグループは右商品を販売してその販売代金をシーホースに入れ、シーホースから受けるマージンで運営するという委託販売の形式をとること、
(二) 被告人の指定する人物をユアーズグループの経営が掌握できる地位に置き、経理、営業内容を明らかにし、人事、組織の面についても被告人の指示に従うこと、
(三) 旧債務は山本の責任において処理し、シーホースからの資金は旧債の返済に充てないこと等
 を了承させた上、同月三〇日右シーホースの目的に冷凍食品の製造販売等を加え、代表取締役に当時被告人の下で秘書兼運転手をしていた坂本龍三をあて、同年一二月初めから同人等をユアーズグループの会議に出席させるなどし、シーホースによるユアーズグループの支配、管理を徹底させようとした。しかし、山本は、これに強く抵抗し、被告人が坂本を通じて提案したシーホースによるユアーズグループの管理システムについては種々の口実を設けて実施を拒み、ユアーズグループの経理内容や得意先等を坂本等に明かすこともしなかった。
19 被告人は、昭和五二年一月に入ってもユアーズグループの経理内容を全く把握し得ず、千居や日原造園から導入した資金や回収した売上代金の使途も不明で、山本が勝手に処理している疑いがあり、商品の在庫状態も判らない状態が続いた上、山本が被告人との接触を避けるようになったため、将来に不安を感じ、同月二八日及び同年二月一日に山本を呼び出したが、山本は、出てこなかった。そこで、被告人は、今井に対し山本を捜して連れて来るよう指示するとともに、福島に対し公正証書作成及び保全手続の準備を依頼するなどした。しかし、その後も一向に山本の所在が判明しなかったため、被告人は、同年三月一六日、所持していたユアーズグループ振出しの手形を銀行に振り込み、それを知って被告人の事務所に駆けつけ、依頼返却を懇請した山本に対し、このままユアーズグループを倒産させるか、被告人を通じて融資を受けた資金を全額返済するか、シーホースの管理に服して、ユアーズグループの経営を続けるかの選択を迫った。
(シーホースによるユアーズグループ管理の開始)
20 山本は、同日夜、ユアーズグループの幹部らと協議の上、ことここに至ってはシーホースにユアーズグループの管理を委ねざるを得ないと考え、翌一七日、被告人の事務所において被告人にその旨を回答した。被告人は、直ちに、ユアーズグループ各社の売掛代金及び在庫品一切をシーホースに対する債務の代物弁済としてシーホースに譲渡することなどを内容とする代物弁済契約書及びユアーズグループはシーホースの仕入れた冷凍食品をその指定する価格と条件で販売し、その代金を入金の都度シーホースの口座へ振込むことなどを内容とする委託販売契約書を作成し、山本の署名を求めた上、同人からユアーズグループ各社の社印、代表印等を預かった。
 次いで被告人は、同月二二日ころ、被告人の事務所にシーホース及びユアーズグループの役員を集め、営業方法、人事等について指示を与え、ここにシーホースがユアーズグループを統轄し、全体の仕入れ、経理等を行い、ユアーズグループ各社で販売活動を行う態勢が整った。
 被告人は、シーホースの代表取締役の前記坂本にユアーズグループの営業部門を、また被告人の事務所で経理事務を担当していた丸尾進にその経理部門をそれぞれ監督させることとした。
(山本逮捕後の状況)
21 同年四月五日、山本は、産業サービス時代の詐欺の疑いで高井戸警察署に逮捕された山本の逮捕を知った被告人は、同月六、七日ころ、福島に電話でその旨を知らせ、山本の弁護人となってほしい旨依頼した。また、被告人は、福島に対し、山本がいないと会社の状況が判らないので、速やかに同人と接見して話を聞き、保釈の請求をしてほしい旨をも伝えた。福島は、早速山本と接見し、同人から弁護人に選任され、弁護の準備を始めるとともに、ユアーズグループ振出しの手形の金額及び支払期日、対応の難しい債権者の所在及びその債権の棚上方法、ユアーズグループの販売ルートとりわけ特販ルートと呼ばれる大量販売ルート等について山本から話を聞き、その結果を被告人に報告した。
22 被告人は、山本逮捕後、ユアーズグループ各社を倒産させ、右会社の債務を承継しない新会社により営業活動を行うことを企図し、同月一五日から一九日までの間に、東京都北区浮間にキャピタルフーズ株式会社、同都府中市に株式会社カミヤ物産、神奈川県川崎市に関東フーズ株式会社と、いずれも冷凍食品の製造販売等を目的とする会社を次々と設立し、ユアーズ物産、ユアーズ三多摩、ユアーズ神奈川からそれぞれ人員、設備、顧客等を引継がせ、これらの会社を通じてシーホースで仕入れた商品を販売する体制をとり、右ユアーズグループ各社については従来からの負債を残したまま倒産するに任せた。
 しかしその後、シーホース及び各販売会社の経営は全く振わず、売上げは落ち込み、仕入先の信用も薄く、毎月多額の欠損を重ねることとなった。
(日原造園によるシーホース援助)
23 被告人は、同月上旬ころ、日原に対し、シーホースに対する資金援助を依頼した。日原は、これを承諾し、同月一一日から昭和五五年二月二一日まで三八回にわたり、現金貸付、債務保証、融通手形の振出し等の方法により合計一二億七、三〇〇万円の資金援助を行った。
(その後のシーホースの経営等)
24 被告人は、昭和五二年八月一二日金融業を目的とする株式会社東海通商(昭和五四年一一月二〇日株式会社東海総業に商号変更)を新設してシーホースの資金繰りを担当させることとした。
 山本は、昭和五二年九月三日、保釈により出所したが、シーホースに入社することはなかった。
 シーホースは、同月中旬ころ、その取引先に対し、産業サービス時代の取引につき迷惑をかけたことを詫びるとともに、シーホースはユアーズグループから営業権の譲渡を受けてはいるが、経営上は産業サービス又はユアーズグループとは一切関係がなく、資本、信用についても全く別の健全な系列に属する会社である旨を強調する挨拶状を配付した。
25 被告人は、同年一二月二日、千葉県柏市に株式会社シーホース相(昭和五三年六月六日株式会社シーホース千葉に商号変更)を設立し、またそのころ、シーホースで貿易に乗り出す方針を決めた。
 昭和五三年三月以降、シーホースは、協和銀行、三和銀行及び富士銀行にLC(輸入信用状)の口座を開設して、本格的に貿易業務を開始し、さらに同年一二月二二日には食品の輸出入等を目的とする関東交易株式会社(昭和五四年一月八日には株式会社関東交易、同年四月四日には株式会社シーホーストレーディングに商号変更)が設立された(以下シーホース及びその関連会社を一括して「シーホースグループ」という。)。
26 他方、被告人は、昭和五三年一月ころから販売、在庫管理等のためのコンピューターシステムの導入に着手し(同年四月ころ完成)、同年三月ころには業務指令書と称する書式を設け、自らオーナーと称して業務に関する詳細な指示をする等、シーホースグループの経営体制等の改善に努めた。
27 しかし、シーホースグループの経営は一向に好転せず、各社で毎月多額の欠損を生ずる状態が続いた。貿易も資金不足による売急ぎ等のため利益が上がらず、とくに昭和五四年一〇月ころ以降は資金回転を図るため安売りをしてこれを資金繰りにあてる自転車操業的状態となり、欠損が増大した。そのため、グループ全体の累積欠損は、昭和五三年三月において約一〇億円、昭和五五年初めには約二八億円にのぼった。
28 被告人は、シーホースグループの資金繰りのために奔走し、シーホース等が銀行から信用供与を受けるにあたっては、その債務を保証し、個人名義の預金又は実母所有の不動産を担保に提供し(後記一一参照)、大口の融資元であるイチビルに対しても、全債務について連帯保証をしたほか、個人的にかなり無理な金策をして、シーホースグループの決済資金を調達した(後記一三参照)。
 他方、被告人は、昭和五三年一一月ころから昭和五五年一月ころまでの間、学会の中西、北條等に対し、シーホースに対する資金援助を要請し、合計二億一、八〇〇万円の援助を受けた(後記一二参照)。
29 シーホースは、同年四月一五日及び同月一六日に不渡手形を出し事実上倒産した。当時の総負債額は約四三億円にのぼった。
三 昭和五〇年一二月八日の東洋物産の産業サービスからの債権回収の状況
1 被告人は、右債権回収につき、当公判廷において、「今井が回収を急ぐあまり、山本と共謀して、同人に約二、〇〇〇万円相当の商品を仕入れさせ、それを廉価販売して代金を東洋物産に支払わせるという形の取込詐欺を行った」旨供述し、昭和五〇年八月二八日付及び同年一二月八日付の各契約書類は、右取込詐欺を隠蔽するための形式にすぎないと主張している。
2 しかし、
(一) 前掲証拠によると、同年八月二八日付の代物弁済契約及び同年一二月八日の交換契約等が行われるに至った経緯は、それぞれ前記二4、5及び6のとおりと認められる。これらの経緯は、いずれも自然であって、前記各契約を仮装と疑うべき根拠は全くなく、また、一二月八日当時、弁護士として東洋物産のため債権の回収にあたっていた今井においてあえて山本と共謀の上取込詐欺を行うような状況も存しなかったと認められる。
(二) 被告人の同年二月六日付検面調書には、「今井の東洋物産の処理方法にいささか無理があった。東洋物産から産業サービスを引離すだけで十分だったのに、それを越えて債権の回収に力を入れすぎ、相手を追いつめ計画倒産、取込詐欺に追い込んでしまった。」旨の記載がある。
 右調書の内容には、当時の客観的経緯(前記二6、7、8参照)にそぐわないところがあり、特に今井が山本を計画倒産、取込詐欺に追い込んだとする点は事実に反すると認められるが、このように今井の処理に強い批判を示す調書においてすら、今井が山本と共謀の上取込詐欺をしたという事実又はそれを窺わせる状況は全く現れておらず、右調書の内容は、前記被告人の公判供述とは本質的に相反するものと認められる。この点については、被告人作成の上申書の内容も同様である。これら被告人自身の捜査段階における供述と対比しても、被告人の前記公判供述は信用できない。
3 なお、山本の詐欺等被告事件の記録(以下「山本事件記録」という。)を検討すると、同年八月二八日付の代物弁済契約に至る経緯については、山本が東洋物産に担保として提供する旨を約した不動産の所有者の妻守屋芳子の司法警察員に対する供述調書があって、同女が同女方に担保提供の確認に訪れた東洋物産の社員に対し強く担保提供を拒んだ事実等が 70明らかにされており、同年一二月八目の債権回収については、ほぼ前示の認定に添う東洋物産役員細川勉等の司法警察員に対する供述調書及び昭和五一年一一月三日付司法警察員作成の捜査報告書がある。これらの証拠によると山本の詐欺等被告事件の捜査の過程で、警察は、昭和五〇年八月二八目付の代物弁済及び一二月八日の債権回収についても捜査を行った上、東洋物産関係者の供述等に何ら疑念を抱かず、これをそのまま受け入れており(前記司法警察員作成の捜査報告書参照。)、当時、今井が取込詐欺の共犯の嫌疑を受けるような状況は全く存しなかったものと認められる。
四 学会が昭和五一年一〇月山本の資金援助要請を拒否した経緯及び理由
1 この点については、前記二12の事実が認められる。
 これに対し、被告人は、公判廷において、次のとおり供述している。
(一) 当時、(1)産業サービスの債権者が、東洋物産は産業サービスの親会社であり、昭和五〇年一二月八日に強引な債権回収をして同社を倒産させたなどとして東洋物産にその責任を追及してくるおそれがあり、また(2)山本への捜査が東洋物産又は学会関係者に及ぶおそれがあったため、山本の要請を容れて資金援助をせざるを得ない状況にあった。
(二) 被告人は、今井の報告を聞き、状況を検討して、直ちに右のような判断に達したが、山本が援助要請の理由として述べるところが出鱈目であったので、今井に対し、山本の要請を断るように指示した。その際、被告人は、前記のような自分の判断を今井には全く漏らさなかった。今井は、昭和五〇年一二月八日の債権回収の当事者であったので、山本の援助要請を容れることを強く希望していたが、被告人の指示により、やむなく、前記二12のとおり、山本に対しその要請を拒絶し、かつ、その旨を北條に報告した。昭和五一年一〇月一二日付の今井の報告書は右のような経過で作成されたものである。
 しかし、右被告人の供述は、他の証拠と対比すると信用することができない。その理由は、次のとおりである。
2(一) 産業サービスの設立の経緯及び東洋物産との関係は、前記二2、3のとおりであり、
(1)産業サービスの資本金三〇〇万円は、山本の知人で学会との関係もない者が全額出資していること、
(2)産業サービスの商業登記簿には、前記北條直が同社の取締役に就任し、昭和五〇年一〇月三日に辞任した旨が登記されているが、これは、山本が北條に依頼してその名前を借りたにすぎず、全く実体のないものであったこと、
(3)産業サービスは、設立後、もっぱら富士フーズから東洋物産を通じて商品を仕入れていたが、昭和四八年夏に富士フーズが倒産してからは、東洋物産とは全く無関係にピーエスフーズ等から仕入れを行うようになり、それ以降東洋物産と産業サービスの関係は、もっぱら債権の回収の問題に限られていたこと
 が認められる。これらの事実によると、東洋物産が産業サービスの親会社であったとは認められない。
(二) 昭和五〇年一二月八日の債権回収については、右回収後僅か一か月半足らずで産業サービスが倒産してしまい、しかもその倒産に計画倒産、取込詐欺の疑いがあったところから、倒産後しばらくの間は、同社の債権者らが右債権回収の事実を知り、東洋物産が後ろで糸を引いて産業サービスを倒産させたとか、東洋物産は取込詐欺の共犯だなどと非難し、東洋物産に対し、その法的責任を追及してくるおそれがあったと認められる(前記二9参照)。
 しかし、現実には、昭和五一年一月二〇日ころの産業サービスの倒産から同年一〇月五日ころの山本の援助要請までの約八か月半の間、産業サービスの債権者が右債権回収の事実を知り、これに絡めて東洋物産の責任を追及するような動きに出たことは全くなく、そのような動きに出ることを窺わせるような状況も皆無であったと認められる。したがって、同年一〇月ころまでには、右懸念は解消していたという今井証言は、合理的な判断として首肯できる。
 なお、山本事件記録中の告訴人らの司法警察員に対する各供述調書等を検討しても、告訴人らが右債権回収を知り、これを問題にしていたことを窺わせるような記載はなく、少なくとも山本事件の捜査と関連して、産業サービスの債権者らが右債権回収を問題化していくような状況は全くなかったことが裏付けられる。
3 東洋物産による昭和五〇年一二月八日の債権回収にあたり、今井が山本と共謀して取込詐欺を行ったと疑うべき理由がないことは、前記三のとおりである。
 ただ、同日東洋物産が交換又は代物弁済により産業サービスから取得した商品の中に、山本が取込詐欺により入手してきた商品が含まれていた可能性は否定できないところであるから、山本の取込詐欺事件につき被害者から告訴が出、警察の捜査が進む間、東洋物産又は学会の関係者としては、将来右事件の捜査が鮭品の処分状況に及んだ場合、東洋物産の名前が出、関係者が警察の取調べを受けることがあり得ることは予想していたと認められる。もとより、本件証拠上、東洋物産関係者らが山本の取込詐欺の事実を知っていたと認むべき証拠はなく、また右交換又は代物弁済は、債権回収の方法として、弁護士が関与し、正規の契約書等を取り交して行っているものであるから、仮に山本事件の捜査の過程でその対象物件の中に駐物が含まれていたことが判明したとしても、直ちに東洋物産の関係者らが鮭物犯の容疑を受けるというものではなかったと認められる。しかし、右のような形で東洋物産が山本の刑事事件に巻き込まれること自体、東洋物産の関係者にとって煩わしいことであり、その上、山本事件の捜査の状況如何により、万が一にも東洋物産の関係者らが姫物犯の容疑を受けるような事態となれば、同社だけでなく、学会にまで社会的非難が及ぶおそれもなかったとはいえないと考えられる。
 そこで、念のために、山本事件の捜査経過に徴し、昭和五一年一〇月ないし一一月の時点において、前記昭和五〇年一二月八目の債権回収が刑事問題化する危険がどの程度あり、東洋物産又は学会の関係者がこれにどの程度の危倶を抱くべき状況があったかを検討する。
(一) 山本事件の捜査経過を概観すると、
(1)昭和五一年二月一六日、山本を被疑者とする昭和五〇年六月及び七月の不動産登記済証等の詐欺及び同年九月の約束手形の詐欺事件について告訴があり、
(2)次いで昭和五一年三月一日以降、山本を被疑者とする昭和五〇年一一月ころから翌五一年一月ころまでの取込詐欺事件(被害者合計一〇人)等について、逐次告訴又は被害届の提出があり、
 右告訴を受けた高井戸警察は、最初の告訴後間もなく捜査を開始し、告訴人等から被害状況を聴取したほか、産業サービスの商品仕入れ及び販売状況、銀行又は金融業者等からの資金借入れ及びこれらに対する担保提供状況、融通手形等による資金調達状況、商品の入出庫状況、資産の実態等について相当大掛りな捜査を遂げた上、まず前記(1)の事件につき、昭和五二年四月五日山本を逮捕し、勾留の上、同人の取調べ等を行い、同月二五日に右事件の起訴があった後、引続き前記(2)の事件につき、金融業者からの融資状況等に関する補充的な捜査と併行して、同年五月一〇日ころから山本の取調べを開始し、同年七月及び八月に産業サービスの元役員ら共犯者的な立場にあった者の取調べ等を行い、同年八月三一日及び一〇月一八日、起訴に至っている。
(二) 警察は、右捜査の過程で、前記二10のとおり、昭和五一年九月二一日及び一〇月二六日に東洋物産の役員及び社員を取り調べ、一一月二日に今井弁護士等から事情聴取を行っているが、これは、産業サービスの経営状態を解明するため、同社の債務、これに関する担保提供状況等を捜査中、東洋物産が債権者(抵当権者)として登記簿上に現れてきたところから、右債権内容及び抵当権設定の経緯のほか、その前後における東洋物産と産業サービスの取引及び債権回収状況等についても捜査を行ったものであり、右事件の捜査を通じ、警察は、東洋物産を産業サービスの大口債権者と見、昭和五〇年一二月八日の債権回収に至る経緯についても、東洋物産関係者の説明をそのまま受け入れていたものと認められる(山本事件記録中の前記昭和五一年一一月三日付司法警察員作成の捜査報告書)。なお、右捜査の過程において、産業サービスの債権者らが東洋物産による昭和五〇年一一月八日の債権回収を問題にするような言動に全く出ていないことは、前記2(二)のとおりである。
 以上のような捜査の経過に徴すると、昭和五一年一〇月ないし一一月の時点において、昭和五〇年一二月八目の債権回収が刑事問題化する現実の危険はほとんどなく、東洋物産又は学会において、これを深刻に憂慮すべき状況ではなかったと認められる。この点に関する被告人の供述は、信用できない。
4 また、当時、山本に資金援助をしてユアーズグループの経営を続けさせてみても、前記のような山本事件の捜査の進行に影響を及ぼし、事態を好転させることのできないことは明らかであった(山本事件記録によると、産業サービスの債権者らは、同社の倒産時、山本が新会社(ニューユアーズレンポー)で産業サービスの債務を引受け返済すると約束しておきながら、その後弁済に誠意ある態度を示さなかったため告訴に踏み切ったものであり、したがって、山本が告訴人らに対し、現実に被害弁償等をしない限り、告訴の取下げ等を期待
 することはできなかったと認められる。)。
5 したがって、昭和五一年一〇月六日ころ、今井が山本の手形割引の要請は断った方がよいと判断し、被告人がこれに賛同し、また今井からその旨の報告を受けた北條が今井の意見どおり処理することを承認したのは、当時の状況に徴しきわめて自然であったと認められ、この点に関する今井証言、北條調書は優に信用できる。今井作成の同月一二日付報告書の内容も、右のような判断等に基づく処理の経過を如実に示すものと認められる。
6 以上と対比すると、右の点に関する前記1(一)(二)の被告人の供述はいずれも信用できない。
 また、被告人の主張するように、当時、被告人が山本の援助要請には応ぜざるを得ない状況にあるとの判断を抱き、今井も山本の援助要請に応ずることを強く希望していたとすれば、被告人は、当然、今井に対し自分の右判断を告げた上、当面は戦術的に強く拒絶の態度を示すべきである旨を明確に指示し、北條に対しても今井からその旨の意見を具申させ、右の処理方針につき北條の承認を得るように取り計ったであろうと考えられる。当時、被告人が今井又は北條に対し、右のような自分の判断及び方針を秘匿しなければならないような事情があったとは認められない。したがって、被告人が一〇月六日ころ今井に対し右のような判断及び方針を示すことなく、ただ山本の要請を断るように指示し、同人をして北條に対し被告人の真意にも今井の真意にも反する判断及び方針を具申させて、その旨の決裁を受けさせた上、その後も一〇月末ころまでの間、(被告人の供述によれば)山本と厳しい折衝を行っている今井に対し、相変らず真意を漏らさず、ただ「断れ」「断れ」と指示し続けた(その結果、今井は、これでは事件は解決しないので、自分は責任をとって事務所を辞め、郷里に帰るとまで思い詰め、上司でもない中西治雄のところに泣きついていった-後記五2参照)というのは、はなはだしく不自然であると考えざるを得ない。
 また、前記今井の報告書の内容は、全体として、当時山本との折衝が被告人の主張するような厳しい状況にあったことを窺わせるようなものではない。
 すなわち右報告書の内容は、山本からの資金援助依頼の電話の趣旨について「万策尽き果てて筋違いだということを承知でお願いしているので何とかもうー度話をしてほしい。もう一度だけ生命を助けてほしい。」と言ってきているとし、これを受けた今井の感触として「山本としては八方手を尽くして可能な限りの努力をしてきたが、どうしようもなく、最後の命綱として当方を頼っているようです。」と述べ、これに対する今井の回答について「以上の再申入れについては『私としてはこれ以上取り次げない』旨の回答をしておきました。」と記載するにとどまるものであって、そこには、山本の依頼を拒絶した場合、前記昭和五〇年一二月八日の債権回収が問題とされ又は山本への捜査が東洋物産、学会関係者にまで及ぶおそれがあること等の厳しい状況を窺わせるところは全くない。
 結局、右の点に関する被告人の供述は、当時山本の援助要請に応ぜざるを得ない状況にあったという被告人の主張が前記今井の報告書の内容、すなわち現に昭和五一年一〇月上旬ころ二回にわたり今井が北條の決裁を得て山本の援助要請を断っている事実と明らかに矛盾するため、これを糊塗すべく、虚構の事実を述べているものと認められる。
五 被告人が山本と面接しユアーズグループに対する全面的な資金援助を開始するに至った経緯
1 右経緯については、前記二13ないし17の事実が認められる。なお、被告人が中西に対し山本援助の件を要請するにあたり(前記二15)、あらかじめ北條の了承を得たか否かの点について、北條の検面調書にはこれを否定する趣旨の供述記載がある。
 しかし、同年一一月一〇日付被告人(今井連署)の中西あて報告書には、「理事長には、万一のときには保障云々の件、話を通しておきました。」との記載があり、また、被告人の検面調書には、昭和五一年一〇月初めころ、北條の了承を得て、中西に山本援助を要請したところ、中西から、「北條を通して話をしてくれ、その上で考える。」といわれたため、北條に会って中西に頼んでくれるよう話した旨の記載がある。
 右被告人の検面調書の記載を参酌して、前記報告書の記載を読むと、中西は、被告人から山本援助の要請を受けた際、援助資金につき山本の返済が不能となったときは、学会が責任をもって事後の処理にあたることについて北條の「保障」を求め、被告人は、右中西の意向を北條に「通し」て、同人の承諾を得、その旨を右報告書で中西に報じたものと推認される。
 そうだとすると、右山本援助に北條が関与しなかったという北條の検面調書の記載は信用し難く、被告人は、同年二月の山本援助のとき(前記二9参照)と同様、北條の了承を得た上、中西に対して援助を要請したと認めるのが相当である。この点に関する前記被告人の検面調書の記載は、時期等について不正確な点はあるが、大筋においては信用できると思われる。
2 前記の経緯について、被告人は次のように供述する。
 今井は、昭和五一年一〇月六日ころ、山本からの京葉産業振出しの三、〇〇〇万円の手形割引の依頼を断ったものの、その後山本から毎日のように泣きつかれ、あるいは、「学会に累が及ぶようになっても防ぎようがない。」などと言われ、他方北條は何ら有効な対応策を示さなかったことから業をにやし、同月下旬中西のところへ行き同人に対し、「これでは事件が解決しない。私にも責任があることなので責任をとって事務所を辞め郷里へ帰ります。」と泣きついた。中西は、今井に対し、「北條は自分からは言い出せないので、被告人に口をきいてもらい池田を動かしてもらうのが一番いい。」と示唆するとともに、被告人に「今井も困っているようなので、山本の援助の件は何とかするしかない。北條の責任でやることと、万一の場合には保障してもらうことを北條に念を押してやろう。」などと意向を伝えた。
 この間、山本は、今井を通じ被告人に対し、三、〇〇〇万円の一回限りの手形割引ではなく、ユアーズグループに対する全面的な資金援助を要請してきた。同月末ころ、被告人は、山本を呼びよせ、山本の事業計画につき話を聞いたが、はっきりしなかったので、事業計画書、資金繰り計画書等を持参するように命じたところ、同年一一月五日ころ、山本が来て、「今どうしても三〇〇万の金がないとすべて終わりだ。」と述べ駆引きする気持を捨てたような態度を示したため、被告人は、個人的に用立てた三〇〇万円を山本に渡した上、「正直なところいくらあればやっていけるのか。」と尋ねると、山本は、軌道に乗るまでに六、〇〇〇万円、仕入れも現金でやるならば最低二億円は必要であり、それには刑事事件の示談金が含まれていない旨を答えた。
 被告人は、同月八日ころ、池田に対し山本の件を報告した。池田は、捜査が東洋物産の社員にまで及んでいることを知って激怒し、「北條の不始末なのだから、中西から北條に『北條は中西や被告人に土下座してよろしくお願いしますと言うべきだ。』『万一学会が損を被ったら保障しろ』と伝えろ。」などと指示した上、山本に全面的資金援助することを決裁した。
 被告人が、池田の指示を中西に伝えたところ、中西は、被告人から北條に池田の言葉を伝えてほしい旨を述べたが、同月八日又は九日ころ被告人が北條のところに行くと、北條は、すでに中西から池田の言葉を聞き、ふさぎ込んでいた。被告人は、北條に対し、「山本の会社が軌道に来るまでに六、〇〇〇万円、刑事告訴事件の示談に三、〇〇〇万円、場合によってはさらに商品仕入れのために一億円が必要だと考えられるが、その資金源として中西から二、〇〇〇万円、自分が保管中の機密費から二、〇〇〇万円、富士宮墓苑工事の政治工作資金として日原造園に渡っている分から一億五、〇〇〇万円出すことではどうか。」などと述べ、同人の了承を得た。
 そこで、被告人は、同月一〇日付で中西あての報告書を作成し、今井に連署させた上中西に届けさせて、千居からの二、〇〇〇万円の資金援助を要請した。
3 しかし、右被告人の供述は、今井及び中西の各証言並びに北條調書と全く相反するものである上、当時の客観的状況にも符合しない。
 すなわち、現に学会は、同年一〇月上旬ころ、二回にわたり山本の手形割引の要請を拒絶しており、かつ、当時、学会が山本の要請を容れ、手形割引等の援助を行うべき状況は存在しなかった(前記四参照)。その後、一〇月末ころまでの間に、右の状況に変化が生じたとは認められない。
 以上の経過に徴すると、被告人の供述中、
(一) 山本が学会に対する要請を一挙にエスカレートさせ、これまでの三、〇〇〇万円の手形割引の要請に代えて、ユアーズグループへの全面的な資金援助(被告人の推計によると総額が二億円近くに達するかもしれないもの)の要請を持ち出してきたこと、
(二) 今井が学会の山本への対応を不服とし、事務所を辞めて郷里に帰るとまで思い詰めた末、中西に泣きついたこと、
(三) 中西が被告人に対し山本援助のやむなき旨を示唆し、進んで援助資金二、〇〇〇万円の調達を引き受けたこと、
(四) 被告人が山本援助の件をいきなり池田に報告して、その指示を仰いだこと、
(五) 池田が被告人の報告に基づき即座に山本援助を承認したこと、
(六) 北條が苦悩の末、被告人の進言を容れて、二億円近くに達するかもしれない全面的資金援助を決定したこと
 等に関する部分は、根本的に当時の客観的状況とそごしており、信用し難い。
4 千居からの援助が決定されるまでの被告人と中西の交渉経過については、被告人作成の同年一一月一〇日付の報告書が存在するところ、同報告書には、「回収については自信がありますが、念のため、機械を譲渡担保の形でとっておくようにいたします。」「監督をきびしくしますので、いざというときの回収については、おまかせいただいて結構です」「何分、よろしくおねがいいたします。」などの記載があり、これを前に検討した「理事長には、万一のときには保障云々の件、話を通しておきました。」との文言と併せ読むと、山本援助の件は、被告人から中西に対し、回収については被告人において十分配慮し、責任をもつから是非お願いしたい旨の懇ろな要請があり、中西が「万一の場合」につき北條の「保障」を求めた上、被告人の要請を承諾したものと推認される。
 また、同報告書には、「この間には刑事事件も終わり、東洋物産からみの危険な線は切れますので、それ以上の面倒見は必要なくなると思います。」との記載があり、これによると、当時被告人と中西の間で、山本に対する援助が当面の「東洋物産からみの危険」に対処するための一回限りのものと了解されていたことが明らかである。
 以上のように、右報告書の内容は、中西証言を大筋において支持、補強するものであり(但し、同証言中、中西が「万一の場合」につき北條の「保障」を求めたことがないように供述する部分は信用し難い。)、以上と対比しても、被告人の公判供述中、中西が被告人に対し山本援助のやむなき旨を示唆し、進んで援助資金二、〇〇〇万の調達を引き受けたとか、千居からの援助が山本に対する継続的、全面的な資金援助の一環であったとか述べる部分は、信用し難い。
5 被告人の公判供述は、被告人自身の検面調書及び上申書の記載とも、基本的な事項について相反、対立している。
 すなわち、
(一) 公判供述によると、被告人は、中西から「山本の援助の件は何とかするしかない。万一の場合は保障してもらうことを北條に念を押してやろう。」などと勧められ、かつ、中西が二、〇〇〇万円の援助の調達を引き受けてくれたので、その後に池田及び北條に会って話を進めたということであるが、検面調書等には右のような供述記載は-切なく、かえって、被告人が北條と相談の上、同人の指示により中西のところに行き、山本に対する援助を要請したところ、中西は、「北條を通して話をしてくれ。その上で考える。」などと述べて、被告人の要請を断ったので、被告人は再度北條に会い、北條から中西に頼んでくれるよう話した旨、被告人の中西及び北條との交渉の経緯、その際の中西の態度等につき、前記公判供述とは全く相反する供述記載がある。
(二) 公判供述によると、被告人は、北條と会う前に池田と会って山本に対する援助の件を報告して同人の指示を仰ぎ、結局、右援助につき同人の決裁を得たということであるが、検面調書等には、右のような供述記載は一切なく、被告人は、北條と相談の上、中西に要請して千居からの援助を実施した旨の供述記載があるだけであり、右供述内容は、池田の決裁を得ていないことを当然の前提としていると理解される。
 なお、被告人の検面調書全体を通観しても、被告人が右の時点で山本援助につき池田の決裁を得た事実を窺わせる記述は全くない。
(三) 公判供述によると、被告人は、北條との相談の際、山本援助に必要と見込まれる金額を具体的に項目を上げて説明するとともに、これに充てるべき資金源についても、「中西から二、〇〇〇万円、自分の機密費から二、〇〇〇万円、日原造園の墓苑工事のための政治工作資金から一億五、〇〇〇万円を出すことでどうか。」などと意見を具申し、北條の了承を得たということであるが、検面調書等には全く右のような供述記載はなく、「昭和五
 一年一〇月初めに北條に会ってどうするか相談したところ、北條は『放っておくわけにはいかんだろう。何とか助けるよりしょうがない。』と言うので、自分は『具体的な事は中西と相談して決めます』と答え、直ちに聖教新聞にいた中西のところに行って、援助を要請した。」旨の記載があるにとどまる。
(四) また、日原に対する援助要請についても、検面調書には、「ユアーズに日原造園からも応援してもらっている。この金を出すについては、私が日原造園に頼んでいるのだが、北條にも話している。」「日原からは一度断られている。その理由は、日原がどこからか私が食品の会社に金を出すことを聞いたらしく、その業界は危ないからやめて、弁護士の仕事だけをするようにしたらどうかということだったが、私は日原に対し、いろいろいきさつがあり、少し抱えなくてはならないのでやると言った記憶がある。その際に小遣いが不自由するならやるよと言われた記憶がある。それで、日原も私が学会の仕事だからということで承諾して出してくれることになった」旨の供述記載があり、被告人が日原に対し、墓苑工事のための政治工作資金の中から一億五、〇〇〇万円の支出を要請したこと、その他、右の援助要請が被告人の主張するような大規模かつ具体的な援助計画に基づくものであることを窺わせるような状況も、全く現われていない。なお、被告人の上申書には、日原造園からの援助については、全く記載がなく、同年一一月ころのこととしては、「中西が千居から二、〇〇〇万円出してくれ、私自身借金して一、五〇〇万円位融資した」旨の記載があるにとどまる。
 また、被告人の機密費から二、〇〇〇万円を出す件についても、検面調書及び上申書には記載がなく、検面調書には、「千居からの二千数百万円の援助では未だ足りないというので、やむを得ず私の個人の金を千数百万円出した。」旨の、上申書には、前に引用したように、被告人が借金をして一、五〇〇万円位を融資した旨の各記載があるにとどまる。
 以上のように被告人の公判供述が基本的な事項について被告人自身の検面調書及び上申書の記載と相反、対立し、とくに被告人が公判供述で大いに強調する諸事実が検面調書等に全く現れず、かえってこれに反する事実が記載されていることは、被告人の前記公判供述の信用性に重大な疑問を投ずるものといわざるを得ない。
 そして、前に検討したところに照らすと、右(一)ないし(三)の事項については、検面調書等の供述記載の方が真実に近いことが明らかであり、被告人の前記公判供述は、これら検面調書等と対比しても、信用し難い((四)の点については、後記六参照)。
6 被告人は、仮に今井証言が真実であるとすれば、その今井が一一月一〇目付の中西あて報告書に被告人とともに連署する筈がなく、また中西が山本援助についての被告人の要請を承諾する筈がない旨を主張する。
 しかし、今井が中西あての報告書に連署した経緯については、今井証言によると、今井は被告人から山本の件はこういうふうにしたと言われて右報告書を示され、そこには山本に資金援助をする旨記載されていたため納得できなかったものの、すでにその方向で北條及び中西に話が通っている旨書かれていたことから、今さら反対してもどうにもならないと思い、渋々被告人の指示に従い署名捺印したものと認められ、当時の今井の立場を考慮すると、右のような状況下で、今井が不本意ではあるが、あえて被告人の意向に逆わず、被告人の作成した報告書に連署したことも不自然ではないと認められる。
 なお、被告人が報告書に今井の連署を求めたのは、当時、山本援助問題が今井の所管であり、かつ、今井がこれまでは北條に対し援助を拒絶すべきである旨の意見を具申し、同人の承認を得た上、その方針に従って山本と折衝してきたという経緯があったことから、右の方針を変更し、山本に二、〇〇〇万円の援助を行うことを内容とする被告人の報告書を提出するに際しては、主管者である今井がこれに同意していることを示すため同人に連署してもらう必要が大きかったことによるものと推認される。
 これに対し、被告人の公判供述によると、当時すでに山本援助については被告人が中西と相談し、池田の了承を得、北條と具体的な計画を練った上、自ら責任者として実施の任にあたる態勢にあったというのであるから、右のような学会最高首脳の決定により、山本援助の件は完全に今井の所轄から離れて被告人の所轄に移り、しかも、中西は右の事情を十分承知していたということになる。このような状況の下で、被告人が中西に提出する報告書にあえて今井の署名を求める必要はなく、むしろ、右援助計画等について全く知らない今井に署名をさせる方が不自然であるとも考えられる。
 したがって、右報告書に今井の連署があることは、必ずしも今井証言と矛盾せず、また被告人の主張を支持するものではないといわなければならない。
 次に、中西が被告人の山本援助の要請を承諾した理由は、中西証言によると、被告人から「山本が取込詐欺の疑いで高井戸警察署に告訴されており、東洋物産の社員も警察の事情聴取を受けているところ、山本を怒らすと警察で何を言い出すか判らない」旨の説明を受けたためであると認められる。被告人が中西に対し右のような説明を行ったということは、当時の客観的状況からみて自然である上、前記一一月一〇日付の報告書において山本援助が当面の「東洋物産からみの危険」に対処するための一回限りのものとして記述されていること(前記4参照)とも符合しており、この点に関する中西証言は、優に信用できる。
 当時、客観的な事実として、山本の援助要請を拒絶した場合、直ちに山本が学会に恨みを 79含み、警察の取調べに対し、事実を虚構して東洋物産の関係者に不利益な供述をする現実の危険が存在したか否かは疑問であり、この点に関する被告人の説明は、事実を誇張している疑いが強い。前記のとおり、山本は、東洋物産に多大の損害を与え、迷惑をかけた男であり、今さら同社又は学会に対し援助を求め得る立場にはなく、前記今井の報告書によると、山本も右のような立場は十分認識しており、今井に対しひたすら情誼に訴えて援助を懇請している状況にあったと認められる。したがって、学会が山本の要請を拒絶しても、その過程で山本の感情を著しく損うようなことでもない限り、山本から強い恨みを買うことはないと判断することにも、相当の理由があり、今井は、少なくとも一〇月一二日ころまでは、右のような判断をもっていたと推認される。
 しかし一般に、犯人が他の事件関係者に恨みを含み、自己の罪責を少しでも軽減しようという気持と相侯って、その関係者の事件における地位、役割等を著しく誇大に供述することは、世上往々見聞するところであるから、山本に対する援助の問題を担当している弁護士である被告人が中西に対し前記のような説明をした場合、これが強い説得力をもち、中西が右の説明を受け入れて、援助を承認することも、ごく自然であると認められる。
 したがって、中西が被告人の山本援助の要請を承諾したことは、何ら今井証言と矛盾するものではないと認められる(なお、被告人は、北條に対しても、山本援助を必要とする理由につき、同様の説明をしたと推認される。)。
7(一) 被告人は、第六七回公判の供述において、昭和五一年一〇月の時点では山本に示談のための資金を出してやって告訴人らと示談させ、告訴を取下げさせて、捜査を終結させることが処理の眼目であった旨を強調した上、しかし、山本から「告訴している債権者以外にも、自分が新しい事業をやりつつ金を返すと言って押えている債権者達があり、もし会社がつぶれたらその人達にも告訴される。」と聞かされていたので、告訴している債権者に対する示談の資金を出すだけでは足らず、併せて山本の会社に対する資金援助をせざるを得なかった旨供述する。
 そして、被告人の供述によると、同年一一月七日ころ、被告人が示談のための資金を用意し、弁護士に示談交渉をさせたいと山本に申し入れたところ、山本は、示談交渉は自分に任せてほしいと述べたので、同年一二月二〇日ころに二回に分け、二、〇〇〇万円と一、〇〇〇万円合計三、〇〇〇万円を示談金として山本に渡したが、示談交渉はすべて山本に任せたということである。
(二) しかし、山本及び今井の各証言によれば、山本は、同年一〇月末ころ、被告人から呼ばれて事情を聞かれた際、告訴されていることを歯牙にもかけない態度を示していたこと(前記二13参照)が認められ、これに対し、被告人が山本から各告訴事件にかかる債権者の氏名、取引の状況、債務額、産業サービス倒産後における告訴人らとの交渉経過等に関する具体的な事実関係を聴取し、又はこれらについての資料を提出させたような形跡は全く認められない(被告人の検面調書、上申書にはこの点を窺わせる記述はなく、公判供述もあいまいで具体性を欠く。)。
 右のような状況からみて、当時、被告人と山本の間で、告訴の問題が真剣に検討の対象とされていたとは認め難い。
(三) 山本証言には、山本が被告人から示談のための資金の提供を受けた事実は全く現れていない。
 これに対し、丸尾証人は、昭和五一年一二月七日の一、〇〇〇万円及び同月二〇日の二、〇〇〇万円合計三、〇〇〇万円が示談金として山本に渡された旨、被告人供述に沿う証言をしている。(丸尾供述)。
 しかし、山本証言によると、右三、〇〇〇万円は示談のための資金として山本個人に供与
 されたものではなく、ユアーズグループに対する資金援助であったということであり、事実、三木省二作成の借入金メモ、借入金関係一覧表、シーホース経理帳簿を見ると、いずれも右三、〇〇〇万円は、ユアーズグループへの援助金として処理されている。また、昭和五二
 年三月ころ被告人が作成した通告書には、被告人がユアーズグループに対し資金援助をした経緯が詳細に記載されているが、そこには示談金についての記載が全くないばかりでなく、被告人と山本の間で、援助資金を旧債の返済にあてないことが合意されていた旨の記載がある。
 以上の証拠関係からすると、昭和五一年一二月七日及び同月二〇日の合計三、〇〇〇万円が示談のための資金として供与された旨の丸尾証言は、信用し難い。
(四) 被告人の検面調書及び上申書には、いずれも、当時被告人が山本に示談のための資金を提供して示談をさせることを処理の眼目としていた旨の記載又は現実に被告人が山本に示談のための資金を提供した旨の記載はなく、かえって検面調書には、「山本には当時刑事告訴事件があったので、その示談金は出してやり、その始末をつけさせ、またユアーズグループの負債については後に債権者が来たとしてもうまく解決できる見込みでいた。ところが山本が逮捕され予定が狂った」旨、現実には示談金を出していないことを自認する趣旨の供述記載がある。
(五) また、被告人の主張するように、当時、山本に告訴人と示談させ、告訴を取り下げさせることが処理の眼目であり、そのために山本に対し、三、〇〇〇万円という高額の示談金を供与するというのであれば、その手続についても、例えば、山本に個々の告訴人と下交渉させ、それがまとまったところで然るべき弁護士等を立て、右弁護士等を通じて告訴人と正式に示談契約をし、示談金を渡すなどして、示談が手落ちなく円滑に進行、成立し、示談金が確実に被害者の手に渡るよう配慮した上、告訴人から受領した示談書を遅滞なく山本から警察に提出させるものとするのが当然のことと考えられる。ところが、被告人の公判供述によると、被告人は、山本から言われるままに、いわばどんぶり勘定で同人に三、〇〇〇万円を渡したまま、右のような配慮を全くせず、その後山本から「債権者との話がまとまり金は仲介人に渡したが示談書等はまだこちらに来ていない」(被告人供述)旨の報告を聞いただけで放置し、山本が告訴人らとの示談交渉を全く行っていなかったことを少しも知らなかったということになるが、これは常識に外れた杜撰な処理の仕方であり、当時弁護士で 81あり、またこの種事件処理のエキスパートであると自他ともに認める被告人が、この問題についてそのような処理の仕方をしたとは考え難いところである(この点は、被告人が山本に対する全面的資金援助についてきわめて積極的かつ熱心であったことと対比すると顕著であり、示談の成立が処理の眼目であったとする主張と矛盾する。)。
 以上の理由により、被告人が山本に対し示談の資金として三、〇〇〇万円を提供した旨の被告人の公判供述は信用できない。
(六) 仮に被告人が主張するように、山本に三、〇〇〇万円を供与して示談させることが処理の眼目であったとすれば、その上さらにユアーズグループに対する全面的な資金援助を約し、いわば丸抱えでその面倒を見る必要があったか否かきわめて疑わしい。
 もともと、山本は、産業サービスの倒産にあたって同社の債権者らに対し、新会社により事業を継続しながら返済する旨を約しながら、その後ごく一部を除いては全く弁済をせず、また誠実に弁済しようとする態度を示さなかったため、同社の債権者らから告訴されるに至ったものであり(前記二10参照)、右のような経緯の下に産業サービスの倒産からすでに一〇か月を経過した時点において、産業サービスの債権者中未だ告訴をしていない者らが、なおも山本がユアーズグループにより事業を継続しながら債務を返済してくれるものと期待しており、そのためユアーズグループが倒産したら、次々に山本を告訴するような状況にあったとは認め難い(山本事件記録中の昭和五一年一一月八日付司法警察員作成の「告訴以外の被害調査について」と題する捜査報告書によると、当時、警察から告訴又は被害届提出の意思を確認された被害者(すでに告訴しているものを除く。)二十数社のうち、告訴の意思を有するものはなく、被害届提出の意思を有するものは僅か二社にとどまったと認められる。)。
 また当時、ユアーズグループが倒産すると、産業サービスの債権者らが次々に山本を告訴するおそれがあるか否かを判断するためには、右債権者らについて産業サービスとの取引状況、債権額、同社倒産後における山本との交渉の状況等を具体的に把握する必要があることが明らかであるが、被告人が右の点について山本から事実を聴取し、資料を提出させるなど、必要な調査を行った形跡は、証拠上全く認められない。
 被告人が右のような調査をせず、いわば山本の言葉を鵜呑みにして、ユアーズグループに対する全面的な資金援助(被告人の推計によると総額が二億円近くに達するかもしれないもの)を決意し、学会首脳も被告人の意見をそのまま受け入れたというのは、余りに不自然であり、信じ難い。
8 以上、いずれの観点からみても、被告人が山本と面接し、チアーズグループに対する全面的な資金援助を開始するに至る経緯に関する被告人の公判供述は、信用できない。
六 日原造園のユアーズグループ援助
1(一) 被告人は、この点について次のように供述する。
 昭和五一年一一月八日又は九日ころの北條との会談(前記五2参照)で、被告人が、山本に対する資金援助として必要な九、〇〇〇万円と場合によってはさらに必要な一億円合計一億九、〇〇〇万円のうち、二、〇〇〇万円を中西から、二、〇〇〇万円を被告人の手元にある機密費からそれぞれ支出し、残りの一億五、〇〇〇万円については日原に渡っている富士宮墓苑工事の政治工作資金の中から支出してもらうことを相談したところ、翌日ころ北條からその旨決定されたと伝えられた。そこで、直ちに同人の指示に従い、日原造園東京事務所において日原に対し東洋物産の処理以来の経緯を説明した上、「学会の事件処理として協力してもらいたい。さしあたり三、四千万円、もしかしたらさらに一億円位ユアーズグループに資金援助してほしい。期間は一年位でいい。」などと述べてユアーズグループへの援助を依頼したところ、日原の快諾を得たので、北條にその旨報告するとともに、北條からも日原に一言声をかけてほしいと依頼した。その後日原から電話で、「今北條さんからも頼まれました。会社の経理部長にも話して金の用意をさせておきましたから、必要な時はいつでも言って下さい。」と返答があり、その結果、同月一五日の五〇〇万円を皮切りに日原造園からユアーズグループへの貸付けが実行された。
(二) また、証人増田朝太郎(当時の日原造園取締役。現在は同社代表取締役社長)は、次のように供述する。
 同月三日夜、日原から電話があり、「実は北條さん、山崎さんに頼まれてセントラルユアーズという会社に融資することになった。北條さん、山崎さんの言うことだから、これから墓苑の仕事をやるためにも何とかしてやりたい。取締役会を開いて承認を取ってほしい。」
 旨言われ、翌四日取締役会を開いた。同日付取締役会議事録はその時のものである。
(三) そして右議事録には、右取締役会議長の説明として、「先日日原会長が学会の北條理事長及び顧問弁護士山崎正友氏と会った時、北條理事長から、山崎に全面的に協力し是非応援してやってほしいとの依頼があり、また山崎弁護士からは、セントラルユアーズは北條理事長の弟が関係している会社でもあるから、自分も応援しているが是非資金援助をしてほしいとの話があったとのことである。その後山崎先生を通して融資の申入れがあったが、山崎先生は工事関係のみでなく当地における学会関係の仕事についてはすべて窓口となっており、実力者であるので、学会との取引を円滑にするためにも山崎先生の意向に副いたい旨の発言があった。」旨の記載がある。
(四) これに対し日原の検面調書には、「被告人から前記二16のような要請を受けたが、昭和五一年一一月当時は、日原観光が富士宮墓苑用地を取得して保有していた時期であり、右墓苑事業計画の設計、地元対策等が進められている最中であった。しかも、被告人は学会の顧問弁護士として常に地元交渉や協定等の窓口となっており、墓苑事業に対する発言力もきわめて強い立場にあった。私自身、今まで地元との折衝などの際には必ず学会側へつき、窓口となっている被告人を常に援護し、交渉等が被告人の希望する方向でまとまるよう_に根回ししてきた。私としてみれば、墓苑事業に関し絶大な発言力を持つ被告人に恭順の意を示し、にらまれないように努め、予定されている墓苑事業を実質上日原造園に請負わせてもらいたい一心から、地元交渉などについても被告人の意向に沿うように振舞ってきていた。被告人の気持ち一つでいつでも墓苑事業計画から外されてしまうおそれは常にあり、日原造園は弱い立場にあった。そのようなときに、被告人からユアーズへの資金援助の依頼があったのである。この依頼は、日原造園にしてみれば、むしろありがたい話だと思った。つまり、被告人の意向に沿うように資金援助を行えば、それだけ日原造園と被告人との結びつきが強くなるので、当然墓苑事業の仕事も日原造園にとって有利に展開するものと判断した。そこで、被告人の依頼を即座に承諾し、日原造園の社長や役員らにも、被告人からの申入れの都度ユアーズへ貸付けを行うよう指示しておいた。ユアーズへの貸付けについて北條から直接頼まれたことは一度もない。また、北條に尋ねたり、確認をとったりしたこともない。」「昭和五二年三月中旬ころ被告人から再度ユアーズへの貸付けを依頼された時期は、すでに学会が墓苑の事業計画書を静岡県に提出しており、日原造園としても進入路用地買収を行い、一歩ずつ墓苑事業に近づいているころであった。もちろん、墓苑事業に関する学会の窓口は被告人であった。そこで、前と同じ理由でユアーズへの再度の貸付けも承諾したのである。被告人は、学会の大物で雲の上の人のような存在であり、請負業者という弱い立場にあった日原造園としては、とても担保や利息を求めることができる立場にはなく、むしろ、緩い条件で貸付ける方がよりいっそう被告人との結びつきが強くなり、会社にとっても得なことであると考えていた。また、私の考えとしては、貸付けが形式上はユアーズであっても、むしろ学会における地位も発言力もある被告人個人へ貸付けているという気持が強かった。」旨の供述記載がある。
(五) また、北條の検面調書には、「被告人からユアーズへの融資について日原に口をきいてくれるように頼まれたことはない。」旨の記載がある。
2 被告人の公判供述中、同年一一月八日又は九日ころの被告人と北條の会談の結果、山本援助に要する資金のうち一億五、〇〇〇万円を日原に頼んで富士宮墓苑工事の政治工作資金の中から出してもらうことに決った旨の供述が信用できないことは、前記五のとおりである。
 山本援助について、学会は、同月一〇日ころ、千居からの手形害帽l及び商品仕入れという形式で二、〇〇〇万円の融資を行うことを決定しているが、その経緯及び理由は、前記五6
 のとおりであり、学会は、被告人の「山本が取込詐欺の疑いで告訴されており、東洋物産の社員も警察の事情聴取を受けているところ、山本を怒らすと何を言い出すか判らない。」旨の説明を受け入れ、いわば山本を慰撫ないし懐柔する目的で、右融資を決定したものと認められる。
 当時の状況(前記四参照)からすると、学会が右二、〇〇〇万円の融資を行うこと自体、山本にとっては過分な取計いであり、学会が山本に対し右融資のほかさらに資金援助を行う必要はなく、とくに墓苑工事の政治工作資金の中から一億五、〇〇〇万円もの大金を割いて右援助にあてるべき理由は全くなかったと認められる。
 したがって、前記被告人と北條の会談による決定に従い、被告人及び北條がそれぞれ日原に対しユアーズグループに対する援助を依頼した旨の被告人の供述は、信用し難い。
3 次に前記証人増田の供述及び取締役会議事録の記載について検討すると、それらの内容は、被告人が日原にユアーズグループ援助を依頼することを北條に提案しその決裁を得たのが同月八日又は九日であるとする被告人自身の供述とも矛盾する上、日原の検面調書には、右議事録について、「日原造園としては取締役会議事録を税務署対策用に作成しており、決算期が毎年六月三〇日であるので、大体そのころまでに当該年度のものは作成するようにしている。特に貸倒れの場合、役員会の承認を得た貸付けであることが損金処理の要件であるので、この点に議事録を作成する意味がある。したがって、税務署に説明し易くするために貸付けの経緯など多少歪曲することもままある。昭和五一年一一月四日付議事録は、増田常務が作成したものであるが、その日に作成したのではなく、爾後に書いたものをその日付に遡らせておいただけのことである。このユアーズへの貸付けについては、私自身が日原造園の役員らに説明する際、北條理事長からも頼まれたかのように話をした。そのように話しておけば、それだけ学会が直接関与しているように思ってもらえ、税務署への説明もし易くなると思い、そのように話したもので、北條理事長から頼まれたというのは真実ではない。」旨の記載があり(なお、増田朝太郎の昭和五六年二月九日付検面調書参照)、右の事実及び証拠に徴すると、前記増田証言及び取締役会議事録の記載も、被告人の公判供述を裏付けるものとはなり得ないと考えられる。
4 他方、前記日原の検面調書は、その内容が具体的で自然である上、同調書中、日原が被告人の依頼によりユアーズグループ及びシーホースグループに対して資金援助を行った理由として挙げる事実については、他の証拠による裏付けがあり、十分信用できると認められる。以下、項を分けて説明する。
(一) 被告人と日原の関係被告人と日原との関係については、日原の検面調書のほか、被告人作成の各報告書及び被告人の当公判廷における供述によって次のように認められる。
 被告人と日原との関係は、昭和四八年ころ、大石寺の正本堂の建設をめぐり、日達と池田が大石寺の地元である富士宮市民に不動産侵奪罪等で告発された際、被告人が学会の担当者として右告発事件の解決等のため、富士宮市の政治関係者と折衝を重ねるうち、昭和四九年三月、同市議会議員で有力者であった日原と会談したことから始まる。
 当時、日原は、学会及び宗門にとっては「反対派」の中心、的人物であったが、右会談以降は次第に学会及び宗門の側に立ち、学会及び宗門の富士宮市との関係の改善のために働くようになった(同年二月一九日付「富士宮の件」、同年三月一日付「富士宮の件」及び同月二日付「富士宮市、日原議員の件」と題する各報告書)。
 その後、被告人は、学会の富士宮市関係の政治工作等の担当者として、日原と密接な関係を保ち、
(1)学会が昭和四九年から同五一年にかけて行った池田公園及び天母山公園の造園にあたり、その造園工事や苗木の調達を日原造園に請負わせ、
(2) 日原観光開発が昭和四九年ころ建設して開業した富士宮市内のホテルの落成祝いに池田はじめ学会首脳が出席するように取計うとともに、学会首脳に対し学会関係者の右ホテル利用について配慮を上申し、
(3)同年ころ、池田に要請して同人の斡旋により日原が三億円の銀行融資を受けられるように尽力する
 など、日原に対し種々の恩恵を与えた。
 他方、日原は、学会のために、
(1)大石寺周辺の土地問題の処理、
(2)池田教育基金の設定、富士宮市とサンタモニカ市の姉妹都市の合意、池田を富士宮名誉市民とする条例の制定等に関する政治工作
(3)静岡県議会議員選挙のための地元工作
 等について種々尽力するところがあった。
 被告人は、日原が学会の好意ある取計いに深く感謝し、学会、公明党等のために大いに活躍している状況をその都度学会首脳に報告し、同人が学会に忠実であり、かつ富士宮市における政治工作、地元工作等の面できわめて有能であることを強調して、同人を強く引立て、墓苑建設工事との関連でも、つとに「日原は将来墓地の造成その他で充分使える男だと思います。」と推薦していた(同年四月三〇日付「安母山の件」、同年六月一四日付「富士宮の件」、同年七月二三日付「日原の件」、同年八月一三日付「富士宮関係」、同年九月一九日付「富士宮の件」、同月二九日付「日原の件」、同年一〇月七日付「富士宮関係」、同月三一日付「土橋、土地の件」、同年一二月三〇日付「本山周辺土地について」、同年九月四日付「富士宮の件」、昭和五〇年二月五日付「富士宮市関係」、昭和四九年九月二三日付「富士宮、静岡の件」及び同年一〇月二目付「富士宮の件」と題する各報告書)。
(二) 富士宮墓苑建設の経緯及びその間における被告人及び日原の立場富士宮墓苑の建設計画は、被告人が中心となって立案推進したものであり、昭和五〇年九月ころ、被告人の報告を基に学会首脳による会議が開かれ、同月末の宗門との連絡会議において宗門の了承も取付け、同年一〇月には実務担当者を含めた検討が行われ、同年一一月一五日富士宮市に対して開発事前協議申請手続をとるはこびとなったものである。
 右墓苑建設準備の段階で、日原は、墓苑用地の取得、地元対策等に関し、被告人と密接な交渉をもち、全面的にこれに協力する関係にあり、同年一二月には日原観光開発が学会のために右墓苑の予定地約三四万坪を野田力三、山下商事等から買収する(契約書上の売買代金は合計約七億三、〇〇〇万円)に至っている。
 被告人は、かねて学会首脳に対し、日原を墓苑造成工事に使える男と推薦していたが、富士宮墓苑建設計画については、右のように日原が被告人との親密な結びつきを基礎に準備段階からこれに深く関与し、用地の取得にもあたるという状況であったので、日原造園が右工事の受注を期待できる立場にあった。
 その後、昭和五一年三月に学会と大林組との間で墓苑本体工事請負仮契約が、昭和五二年七月三〇日に大林組と日原造園との間で右工事下請負仮契約がそれぞれ締結され、本体工事(用地の造成、整地、道路整備等)については大林組が元請け、日原造園が下請けとして、これにあたることとなった(日原は、かねて日原造園が元請けとして右工事にあたることを希望していたので、元請けとして大林組が入り、日原造園がその下請けとなることには難色を示したが、被告人が学会の担当者として日原と折衝した末、「日原から下請けの形でも実質的に主導権を持ってやらせてもらえるなら形態等は一切被告人に委ね、その指示どおり動くという約束を取りつけたので、コントロールが充分つくと思う。」旨の報告書を提出し、結局、前記のような形に落着したものである。)。なお、学会は、同月二七日、日原造園の保有していた前記墓苑用地を買収した(契約書上の売買代金は合計一三億三、九〇〇万円)
 次いで同年一二月三〇日、学会と大林組及び大林組と日原造園の間でそれぞれ右工事に関する正式契約(大林組と日原造園間の下請契約の工事額は約四四億円)が締結されるとともに、学会と日原造園の間で右墓苑の造園工事請負工事契約(工事金額約四七億二、二〇〇万円)が締結され、墓苑内の石積み、植栽、芝張り等は日原造園が学会から直接請負って施工することとなった(但し、昭和五三年一月初めころ、日原が墓苑本体工事の下請けにつき工事金額の増額を要求して下請を拒否するなどと言い出し、紛糾したが、このときも被告人が調停に入り、種々折衝の末、学会が一〇億円の増額を認めることで、同月三一日に妥結した。)。
 その後昭和五三年三月三一日に静岡県知事から許可が下り、同年四月一日から工事が開始されることとなったが、同年一二月一五日、学会、大林組、日原造園の間で墓石五、〇〇〇基増に伴う工事変更契約が締結され、日原造園の墓苑本体工事に関する下請工事金額は約四六億八、八〇〇万円に、造園工事に関する工事金額は約六八億円に増額されるとともに(このときも、日原と学会建設局との交渉が難行したため、被告人が調停に立ち、ようやく妥結した。)、学会と日原造園の間で墓所工事請負契約(工事金額約五八億七、九〇〇万円)も締結され、さらに昭和五四年一月一〇日には、学会と日原との間で植木売買及び管理契約が七億九、六〇〇万円で締結されるに至ったため、結局、右墓苑に関する以上の工事金額等の総額は、一八一億円を超えることとなった。なお、右工事は、昭和五五年一〇月に一応完成した(佐野供述、北條の検面調書、日原の検面調書、被告人の申述書、被告人作成の昭和五〇年九月一八日付「墓園の件」、同年一〇月八日付「富士宮墓園計画について」及び昭和五一年三月五日付「富士宮墓苑の件」と題する各報告書)。
(三) 昭和五一年一一月当時の状況被告人が日原に対し最初にユアーズグループ援助を依頼した昭和五一年一一月当時は、右墓苑建設計画が着々と進行し、学会による用地の買収、工事の発注等が問題となる時期にあたっていた。そのような状況の下で、日原としては、かねて右墓苑建設計画につき被告人に全面的に協力し、現に墓苑予定地を保有しているという経緯もあるので、総工費が二〇〇億近くに達すると予想される右墓苑工事を是非日原造園において有利な条件で請負いたいと考え、学会において右墓苑建設の計画、推進の中心的な役割を果し、今後も墓苑用地の買収、請負業者の選択、請負契約の決定等の面で強い発言力をもつと思われる被告人といっそう親密な関係を保ち、被告人が右の面で日原のためにできるだけ好意ある取計いをしてくれるこ 87とを期待する気持が強かったと推認される。
 また、被告人が日原に対し再度ユアーズグループ援助を要請した昭和五二年三月当時の状況も、基本的には、前記のところと異ならなかったと認められる。
(四) 以上の経緯及び状況に徴すると、日原が被告人から前記二16のような要請を受けた場合、それが被告人の個人的な要請にとどまり、北條その他学会首脳からの口添え等が全くなかったとしても、日原が、同人の検面調書にあるような配慮から、被告人の要請に応じ、ユアーズグループに対する資金援助を行うこともきわめて自然であると認められる。したがって、右の事実に関する日原の検面調書の供述記載は、信用性が高いと考えられる。
5 日原の検面調書の供述記載は、右以外の部分についても、その内容がおおむね他の証拠によって認められる客観的事実に符合し(後記八4、5(三)等参照)、自然であるので、全体として信用性が高いと認められる。
6 日原は、当公判廷に二度証人として出廷しながら、いずれも正当な理由なく宣誓を拒否し、右拒否の理由として、「自分が証言すると、①刑事事件に巻き込まれるおそれがある。②自己の経営する日原造園が倒産するおそれがある。③富士宮市政が大混乱に陥るおそれがある。」旨陳述した。
 弁護人は、右②の点を援用して、日原の宣誓拒否は同人が公判廷において「ユアーズグループ及びシーホースへの融資は北條等学会首脳からの依頼に基づいて行ったものである」旨、検面調書の内容とは異なる真実を証言した場合、日原造園の学会との今後の取引に影響が及ぶことを恐れ、これを避けようとしたものであると主張する。
(一) しかし、日原の右陳述は、同人の一方的主張に過ぎず、これを額面どおりに取ることはできない上、その内容も漠然としており、同人の陳述から直ちに弁護人主張のような推論を引出せるものではない。
(二) 日原は、前記のように、被告人と組み、学会の富士宮市対策に関し種々の内密の政治工作を行い、富士宮墓苑工事についても裏の地元工作をしてきた経緯が認められる。そこで、日原は、公判廷において、右のような隠微な政治工作等について証言をした場合、これが政治問題化して、富士宮市政に混乱をもたらすとともに、自己の政治生命が著しく損われ、ひいては日原造園の経営にも打撃を受けることを恐れ、宣誓を拒んだ可能性がきわめて大きい。
(三) 日原が宣誓を拒否した当時における日原造園と学会との関係をみると、富士宮墓苑工事は、細かな付属工事を除いては完了し、右付属工事についても、日原造園が担当する部分はなく、工事代金一四〇億円も契約どおり支払い済みであることが認められ(佐野供述、増田供述)、また、右富士宮墓苑工事以外の工事の受注について日原造園と学会の間で具体的な交渉等が存在することを示す証拠はない。
 また、本件公判には、日原の前秘書の増山寓里子及び日原造園の代表取締役社長の増田朝太郎が弁護側の証人として出廷し、北條が日原造園のユアーズグループに対する援助に関与したか否かという、当面の争点に関連して、学会にとってきわめて不利な事実を積極的に(全く躊躇の色を示すことなく)証言しているところ、右証言がいずれも信用し難いことは後記のとおりであり、同証人らが被告人のためにことさら被告人に有利な証言をした疑いが強い。仮に右の争点に関し日原が証言をすることに弁護人主張のようなおそれがあるとすれば、日原及び日原造園首脳としては右増山及び増田が弁護側の証人となって右のような証言をすることの結果についても同様の危倶を抱くのが自然であり、特に、現に日原造園の社長である増田が右のような証書をすることはなかったであろうと考えられる。ところが、増田は、証人として出廷した上、問題の昭和五二年一二月二四日付「追伸」と題する報告書コピー(後記一〇参照)は自分から進んで弁護人に提出した旨を述べるなど、証言にあたり弁護人の調査に積極的に協力する関係にあったことを隠そうともしなかった状況が認められる。
(四) 日原が被告人と長年親密な関係にあった上、富士宮市の政治工作、地元工作等に関し種々の秘密を共有する間柄にあったこと等の事情をも考慮すると、日原の宣誓拒否の理由については、種々の可能性が考えられるところであるから、弁護人主張のように、右宣誓拒否は法廷で真実を述べることにより学会との取引を断たれ、日原造園の倒産を恐れたためであると推測し、日原の検面調書の信用性を否定することはできない。
7 以上の証拠によると、日原造園からユアーズグループに対する資金援助は、被告人が個人的に日原に要請し、日原がこれに応じて行ったもので、北條その他の学会首脳がこれに関与したことはないと認められる。これに反する被告人の供述は、信用できない。
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