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■山崎正友に対する恐喝罪被告事件第一審判決「第二章、第三章第一節~第三節」

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第二章 証拠の標目 《省略》
第三章 主要な争点に対する判断
(本章においては、争点に関する主要な証拠を引用するが、その際、証人○○の当公判廷における供述及び公判調書中の証人○○の供述部分は、いずれも「証人○○の供述」又は「○○証言」等と、○○の検察官に対する供述調書は「○○の検面調書」と略記する。また、証拠書類には請求番号を、証拠物には請求番号及び押収番号を付記することが多いが、この場合、請求番号の記載は、第二章証拠の標目における記載に倣い、押収番号はその符号のみを符4等として略記する。なお、証人の供述等については、主要な該当個所を記録中の丁数で示すことがある。)
第一節 本件犯行の背景事実について
一 昭和五二年一二月当時の状況について
1 被告人は、当時の状況について次のように供述する。
 池田は、昭和五二年八月以降の激化した宗門と学会との対立を収拾するため、同年一〇月ころ、被告人を通じて、日達に対し「池田が公に詫びを入れ、教義上の誤りを是正し、また、いわゆる池田本仏論の根を断つため、学会規則を改正して会長職を選挙制にするので、日達は訓諭を発して僧俗和合を宣言し、活動家僧侶の学会批判をやめさせて欲しい。」旨申入れ、日達は、これを了承した。ところが池田は、同年暮、訓諭が発せられることが確定したことを見極めたところで、右規則改正作業を突然中断させた。目達は、この池田の違約に激怒し、これがその後の宗門問題悪化の原因となった。なお、冒頭に「12/6部局朝礼での話し方」と記載されたメモ(弁282号)は、当時この規則改正が検討されていたことを示すものである。
 また、証人原島嵩は、「昭和五二年一二月当時、池田が日達に対し、会長職を選挙制とする学会の規則改正を約束していたが、池田はその約束を破った。」旨、被告人の右供述に沿う供述をする。
2 しかし、証人秋谷は、「昭和四五年のいわゆる言論出版妨害問題の時、池田が会長選挙制の問題を含め学会運営の近代化を宣明し、その後、その趣旨に従って規則改正、会則制定の検討を重ねてきており、昭和五二年一二月当時も学会内部で、会長選挙制その他機構の問題等についてかなり煮詰まった検討がなされていたが、同月四日のいわゆる御寛恕願いに先立って宗門側又は日達に対し規則改正の実施を約束をしたことはない。」旨供述し、証人池田及び同藤本栄道も、学会規則改正が宗門との和解の条件となったことはなかった旨供述する。
3 また、同年一二月四日から翌五三年六月三〇日までの客観的な経緯、状況等に徴しても、右一二月四日当時、学会と宗門の間に被告人主張のような約束があり、これが和解の条件となっていたとは、認め難い。
 被告人が昭和五三年一月に執筆し、同月一九日に浜中和道を通じて日達に提出した書面(
 「ある信者からの手紙」。前記第一章第一節三4参照)は、池田の言行を激しく非難する部分を含んでいるが、被告人主張のような池田の「違約」については、全く触れていない。被告人が同年三月下旬ころ執筆した「今後の作戦」と題する書面(同6参照)も、同様であるまた、同年二月九日及び同月二二日に本山で開催された時事懇談会(前同5参照)においても、日達は、学会に対しきわめて厳しい姿勢を示しながら、被告人主張のような池田の違約については全く触れるところがなかったと認められる(証人佐々木秀明の供述参照。なおこの点は、右各会合の録音テープを反訳した書面によっても肯定し得るところであり、日達は、最初の会合では昭和五二年一一、一二月当時の池田又は学会側との折衝、面談等について説明し、また二度目の会合では池田が昭和五三年二月一二日又は一四日に日達に対し学会規則を改正して日蓮正宗の法主を学会の名誉総裁にしたいと提案し、日達がこれを断ったこと等に言及しながら、会長職選挙制を内容とする規則改正の約束又はその違約については全く触れていない。)。さらに、同年六月三〇日に成立した学会と宗門の和解においても、学会の教義上の逸脱の訂正が中心となり(前同9参照)、被告人主張のような規則改正が問題になることはなかったと認められる(証人溝口及び同秋谷の各供述、北條の検面調書参照。なお、被告人の公判供述にも、右の規則改正が問題となったことを窺わせるところはない。)。
 
 仮に被告人が供述するように、同年一月初めころ、日達が池田の違約に激怒しそれが宗門問題悪化の原因となったのであれば、同年一月から同年六月までの間の前記の経過において、池田の違約の追及又は会長職の選挙制に関する学会規則の改正の問題が全く現われてこないのは不自然であると考えられる。
4 証人光久は、「昭和五二年一二月四日のいわゆる御寛恕願いの後、日達が池田に歌を贈るなど、両者が和やかな雰囲気で歓談し、このまま進めば宗門と学会の仲は落着くだろうと思った」旨供述している。同証人は、当時大石寺内事部理事補(通称お仲居)として日達に身近で仕えていた者であるところ、同証人の供述にも、被告人主張のような学会の規則改正が和解の条件となっていたことを窺わせるところはなく、むしろ、右証言は、「御寛恕願い」により後に何らの条件を残すことなく、和解が成立したことを推測させるものである。
5 前記弁二八二号のメモは、「12/6」と記載があるのみで、必らずしも昭和五二年のものとは断定できない(昭和五三年一二月当時も学会規則の改正作業が進行していたことは、前記第一章第一節三15のとおりであり、右メモがその時のものであった可能性も否定できない。)上、仮に昭和五二年のものであったとしても、それ自体からは規則改正が宗門との間の約束となっていたことを示すものではない。
6 以上の証拠を総合すると、昭和五二年一二月当時、会長職を選挙制にする学会規則改正が宗門と学会との間の約束となっていたとは認められず、被告人及び証人原島の前記供述は信用できない。
二 日達が昭和五三年一月一九日のお目通りの際「ある信者からの手紙」として活動家僧侶等に披露した書面について1 被告人は、自分は右書面を書いたことはない旨供述する。
 また、証人浜中は、「昭和五三年一月一八日、本山で目達に対し、活動家僧侶及び学会側の考えていること等について、自分の知っていることや友人達と話し合ったことを申し述べたところ、日達からその内容を書面にまとめるように命じられ、これに従って自分が書いて日達に提出したのが、右書面である。そこには被告人から聞いた話も含まれてはいるが、自分が書いたものに間違いない。」旨供述している。
2 しかし、浜中の検面調書には、「昭和五三年一月中旬ころ、被告人の事務所で、被告人から自筆の文書を渡され、『これをこそっと日達にお見せして下さい。』と頼まれた。その日の夜、大石寺の妙泉房である人に右文書を清書してもらった上、翌朝光久に『山崎さんから日達にこそっと渡してほしいと頼まれてきたものがある。』と話し、二人で日達のところに上って、自分が『山崎さんから預かってきました。絶対に内密にして下さい。』と述べて清書した文書を渡した。その日のお目通りの際、日達が山口法興に右文書を読み上げさせた。」旨の記載がある。
3 また、証人光久は、「昭和五三年一月一九日の活動家僧侶の集会の前に、浜中が自分の許に自分の妻が清書した文書を持参し、『山崎さんから頼まれて持って来たので、この文書の日達への取次ぎをお願いします。』と言って来たので、浜中を日達のところに案内し、浜中が右文書を日達に渡した。」旨供述している。
4 さらに、被告人は、かねて妙信講問題の処理等を通じて浜中を知り、同人とは親しい間柄にあったこと、「ある信者からの手紙」の内容が、被告人の執筆にかかる「今後の作戦」及び「現下の状勢について」(前記第一章第一節三6及び14参照)の内容ときわめてよく符合又は照応しており、同一人の執筆と認めるのが自然であること等の状況も認められる。
5 以上によると、右「ある信者からの手紙」は、被告人が執筆し、浜中を通じて日達に提出したものと認められ、これに反する前記被告人及び証人浜中の各供述は信用できない。
三 「今後の作戦」と題する書面を被告人が執筆した時期について
1 被告人は、この点について次のように供述する。
 昭和五四年二月中旬、日達が学会の違約を責め、「もはや腹を決めて学会との間の勝負を一気につけるしかない。」というのに対し、被告人は、「法義の問題等で改まらない部分について再度質問状を出し、あるいは違約を責めるなどしながらジリジリと迫って下さい。」と述べて短兵急に事を運ぶことに反対し、漸進的な方法を勧めた。「今後の作戦」はこの時に書いたメモであり、昭和五三年三月に書いたものではない。
2 しかし、証人鷹野は、「昭和五三年三月末ころ、被告人から被告人の秘書兼運転手の大豆生田勝美を通じて、被告人から日達に差しあげる書類の清書を命ぜられ、被告人の事務所で、被告人自筆の原稿を受取り、清書して大豆生田に渡した。それが「今後の作戦」と題する書面である。」旨供述している。
 また、「今後の作戦」の内容に徴しても、右文書は昭和五四年二月ではなく、昭和五三年三月ころに執筆されたものと推測される。一例を挙げると、右文書には、「現状のままで押す方法」による場合には、「五月末か六月上旬ころに、日達が学会の教義上の逸脱を徹底的に破折する指南を行い、これを学会の機関誌に掲載させる」ものとし、「一時休戦をして将来の戦いに備える方法」又は「以上の中間の方法」による場合にも、「学会に対し教義上の訂正及び運営上の改善を求める条項」等を提示する時期は「本年五月下旬から六月上旬ころ」が適当である旨の記載がある(前記第一章第一節三6参照)ところ、現実の経緯としては、昭和五三年六月八日に、宗門が学会に対し教学上の逸脱を指摘する質問書を送付し、これを受けた学会が従来の教学上の逸脱を訂正する見解をまとめ、これを同月三〇目付聖教新聞紙上に掲載した事実(いわゆる「六・三〇」、前同9参照、以下、「六・三〇」という。)が認められ、この二つの事実を併せみれば、「今後の作戦」に書かれたとおり事が運んで「六・三〇」に至ったと解するのが最も自然である。これに対し、被告人の供述するように、「今後の作戦」が昭和五四年二月に執筆されたとすると、「今後の作戦」に、学会がすでに前年六月に宗門の指摘に基づいて教義上の訂正を行い、これを聖教新聞紙上に掲載したこと、すなわち「六・三〇」を経たこと等が全く触れられていないのは不自然と考えざるを得ない。
 なお、証人光久は、「昭和五三年三月末ころ、被告人が日達にお目通りをし、池田が詫びを入れているが、本心、からの詫びではなく、必らず巻き返しがあるとして、これに対する宗門の対応について献策した。」旨供述し、その献策の骨子を述べているところ、右供述は、前後の客観的状況ともよく符合し、優に信用できる。右供述には、被告人が日達に書面を提出した事実は現われていないが、右供述によっても、被告人がお目通りの際、日達に対して述べたとされる献策の内容は「今後の作戦」の内容と趣旨を同じくするものと認められ、被告人は、右お目通りの際又はこれに近接した時期に、「今後の作戦」を日達に提出したものと推測される。
 以上の証拠によると判示の事実が認められ、これに反する被告人の右供述は信用できない。
第二節 起訴状公訴事実第一について
一 昭和五五年四月一三日のバー「シエラザード」における会談について
1 被告人は、右の点について、次のとおり供述する。
 被告人は、四月初めころ、シーホースを倒産させて任意整理の方法で会社整理を行うことを計画し、それに要する資金の見積りをしたところ、約三億円が必要と判明したため、右「シエラザード」における北條、山崎との会談(以下「シエラザード会談」という。)の席上、北僕等に対しシーホース整理の計画を説明し、北條からどの位かかるのか尋ねられた際、 「穏便に任意整理を行うためには、整理資金として三億円位が必要である」と答えてその支出を要請した。これに対し北條は、「何とかしなければならないが、三億円は大金なので、 今ここでどういうふうにして出すということは決められないから学会本部に帰って相談する」と述べ、資金援助をすることは基本的に了承してくれたが、その支出方法は検討するとのことだったので、被告人は、「右三億円を学会から支出する名目として被告人に対する退職金という形も考えられるが、いずれにせよ支出の名目については北條に一任する」旨答えた。
2 しかし、学会は、すでに同年一月三一日、被告人に一億二、〇〇〇万円を供与するにあたり、北條及び山崎から「援助は今回が最後である」旨を申し渡し、被告人にも「これ以上の援助は要請しない」旨を約束させ、その趣旨を明らかにするために、念書を徴している(判示第一章第一節四2参照)。したがって、北條が同年四月一〇日及び一三日の電話並びにシエラザード会談において被告人からシーホースに対する援助を要請されたとき、右の事
 実を指摘して、被告人の要請を断ったのは、きわめて自然であると考えられ、この点に関する北條の検面調書及び山崎証言は、当時の客観的状況によく符合している。他方、被告人から援助の要請を受けた北條が直ちに三億円というそれまでに比しても巨額な援助を行うことを基本的に了承し、援助資金の支出方法のみを問題にしていた旨の被告人の供述は、前記の事実に徴し不自然であるといわなければならない。
 また、被告人の供述によると、被告人は、シエラザードで北條等に三億円の援助を要請するにあたり、その金額の根拠となる計算書その他の資料を全く示さず、北條も、右の点につき資料を求めることも質問をすることもなく、直ちにその三億円を「何とかしなければならない。」と答えたということになるが、この点もきわめて不自然であると考えざるを得ない。被告人の供述によれば、被告人は学会のためにシーホースを「管理」していたところ、今やシーホースが倒産の危機に瀕し、任意整理を行うために三億円という巨額の資金を要することになったというのであるから、「管理」にあたる被告人が学会に右三億円の支出を要請するにあたっては、右金額を必要とする根拠について明確かつ具体的な資料を提示するのが当然であり、北條等においても右のような資料も見ず、被告人の説明も開かずに漫然三億円の支出を決定することはできなかったであろうと考えられる。
3 次に、北條の検面調書及び山崎証言によると、右シエラザード会談において、被告人は、北條から資金援助を拒絶されるや、同人に対し顧問弁護士の退職金として三億円を要求し、北條は、右要求を拒絶したものの、「僕一人で勝手にやれということですか。どうなっても知りませんよ。」などという被告人の言辞から、被告人が学会攻撃に出ることをおそれ、その対策を森田、秋谷、八尋、福島及び桐ヶ谷に諮り、さらに同月一六日の責任役員会議にかけた上、同日、右会議の決定という形で被告人に対し退職金は支払わないことになった旨を通告したということであるところ、右事実は、秋谷、八尋、福島、桐ヶ谷の各証言のほか、同日の被告人と山崎の電話の録音テープによっても裏付けられるところである。
4 右電話による会話の内容は、第一章第二節第一の一5のとおりであるが、これによると、被告人は、
(一) いきなり「まあ要するに、この場合一人で処理せいということですね。」「お前一人でやれ、とこういうことですね。」と詰問調で切り出し、
(二) 「生の人間で、僕もその限界がある。限界を越えると、自分でも自分の身がどうしようもなくなる。」「これからいろんなことでゴチヤゴチヤしている中で、どうしようもなくなった場合、誰かの力を借りて切り抜けなければならない。」「自分の持っているものを何でもいいから使えるものは使わなければならないことになる。」「そのようなところに追いっめられた場合、僕のことは皆が知っているから、自分の思うとおりにはいかないことになる。」旨を述べ、学会の対応いかんによっては、再び自分を支持する反学会勢力と結んで学会攻撃を行うこともあることをほのめかした上、
(三) 「ここ二、三日で僕も行きつくところへ行きついてしまう。」「食うために何かしなくてはというところまでいってしまう。」などと、被告人個人が窮迫した状態にあることを強調して、緊急の援助を要請し、
(四) 「その代わりに、それなりのことを僕も考えなければいけないなということをずっと考えている。」として、学会が援助をしてくれれば、被告人も宗門問題等について学会のために働く用意がある旨を述べ、
(五) 次いで「当面会社の整理には、いろいろなことに少し追銭を出さなければならない。」「僕が金を出さずに逃げてしまえば、学会の名前が出たりする。」「自分も泥をかぶり、学会も泥をかぶっていくことはなるべく避けたい。」「学会が泥をかぶるのを防ぐためにはお金が必要だ。」「だから何らかの形である程度考えて下さいとお願いしているのだ。」などと、学会に援助を要請する理由を説明し、
(六) これに続いて、「退職金という言い方がね、決して僕は自分にこれだけの功績があるからよこせと言っているのではない。それは口実であって、応援してもらうのは、慰めだとか何だとか言うことではなく、現実にお金がなければ、騒ぎが学会まで及び、これを防ぐ手だてがない。その分を何とかして欲しい。共通の利害として、何とかそれができませんかとお願いしたんです。」と述べている。
 右(一)の点は、北條が被告人に電話で退職金の支払いを拒絶した後間もなく、被告人から電話がかかってきた旨の山崎証言と符合し、右拒絶に対する憤藩を表わしたものと認められる(これに対する山崎の応答は、右のような被告人の心情を承知の上、これを宥めようとしたものと理解される。なお、この点に関する被告人の公判供述は、不自然であって信用できない。)。
 また、(六)の発言は、現に被告人が学会に対し退職金を要求していたことを前提として、実は右退職金の要求は口実にすぎず、被告人の真意はシーホースの倒産により騒ぎが学会まで及ぶのを防ぐために、「共通の利害として」何とか援助して欲しいとお願いするところにあった旨を釈明したものと理解するのが最も自然であり、シエラザード会談で被告人が三億円の退職金を要求したという北條調書及び山崎証言とよく符合する。他方仮にシエラザード会談で退職金云々が話題となった経緯が被告人主張のようなものであったとすれば、退職金が「口実」であることは誰の目にも明らかなことであり、その場に同席した山崎に対し、改めて前記のような釈明を行う必要はなかったと考えられる。なお、右電話で被告人が山崎に対し「退職金」の趣旨を実は「共通の利害として」の援助であると説明した事実は、明らかに、シエラザード会談における三億円要求についての被告人の供述と矛盾するといわなければならない。
5 また、被告人は、右電話で山崎に対し言葉を尽くして学会のシーホースに対する資金援助を要請しているが、これは、被告人が前にシエラザード会談で北條から右援助を拒絶された上、当日の北條の電話で退職金の支払いをも拒絶されるに至ったため、山崎に対し極力右援助の必要を説いて、学会側に再考を求めようとする意図に基づくものと認めるのが最も自然である。
 その上、被告人が援助要請の理由として述べているところは、シーホースの整理につき被告人個人が「ここ二、三日で行きつくところまで行きついてしまう」「食うために何かしなくてはというところまで行ってしまう」状態にあることを強調するとともに、シーホースの整理には「追銭」が必要であり、被告人がこれを出さないと騒ぎが学会まで及び学会も泥をかぶることになるので、学会が「共通の利害」として右整理に必要な金を「何とかして欲しい」と「お願い」するということにあり、しかもその間、学会が右援助をしてくれれば被告人も宗門問題等につき学会のために働く用意があるが、学会の対応如何によっては、再び反学会勢力と結んで学会攻撃に出ることもある旨をほのめかしているものと認められる。
 右の事実は、シーホースの実質上の経営者は学会であり、被告人は学会の委任を受けて同社を管理していたにすぎない旨の被告人の公判供述と全く矛盾するものであり、仮に被告人の公判供述のように、シエラザード会談において、被告人が北條等に対し、右の立場からシーホースの任意整理に必要な三億円を要求し、北條が右の支出の必要を承認していたものとすれば、その後の山崎に対する電話において、被告人が前記のような形でシーホースに対する資金援助を要請することはなかったであろうと考えられる。
 以上のように右電話の内容に徴しても、被告人の供述は信用できない。
6 弁護人が、「学会は自己の非を覆うために被告人を社会的に葬り去ろうとして本件告訴をしたものであり、学会側証人等は集団偽証をしている。」旨主張していること、北條調書は同人の死亡によって証拠とされたものであって反対尋問を経ていないこと等を考慮すると、北條調書、山崎証言等の信用性については、慎重な吟味を要するが(この点は、本件判断の全体を通ずる問題である。)、右シエラザード会談に関する北條調書及び山崎証言は前記のように当時の客観的状況に符合し、他の証拠に照らしても合理的であり、優に信用することができる。
7 結局、前掲証拠によるとシエラザード会談及びその前後の状況については、判示の事
 実が認められ、これに反する被告人の公判供述は信用できない。
二 同月一七日から二二日までの学会側と被告人との折衝の経緯について1 前掲証拠によると、同月一七日夜溝口が学会と被告人との間のいわばパイプ役となってから、同月二二日午後四時三〇分ころホテルニューオータニにおいて北篠と被告人が会談するまでの学会側と被告人との折衝等の経緯については、次の事実が認められる。
(一) 溝口は、判示のとおり同月一七日午後一一時ころ及び同月一八日午前八時ころ被告人から電話を受けた後、同日午前九時ころ、学会本部において、これを八尋弁護士に報告し、同人と相談の上、同日午前一〇時ころ、被告人に電話をかけ、被告人の「今回の件は学会の事件処理である」との主張は学会側には受け入れられない旨を伝えるとともに、学会から資金援助を受ける場合の条件について被告人の考えを示すよう求めたところ、被告人は、折り返し溝口に電話を入れ、学会から資金援助を受ける場合の条件として、顧問弁護士を辞任し、それに伴い預かっている学会の資料を全て返還すること、宗門問題から手を引くこと、金銭の要求はこれが最後であること等を提示するとともに、被告人がこれまで手懸けた学会の事件について学会側が悪口を言わないこと、仮に学会の方で悪口を言った場合には、被告人がその事件の内容を公表することを「正当防衛の権利」として認めて欲しい旨を要求した上、金額について質問した。これに対して溝口は、一億円プラスアルファが限度である旨を答えた。
(二) その後溝口が北篠及び秋谷に対し、それまでの被告人との折衝の経緯を報告したところ、北篠等は、被告人のいう「正当防衛の権利」を認めることに難色を示したので、同日午後、溝口は、被告人に対し、右「正当防衛の権利」は認められないことを伝え、折衝の末、信義上互いに悪口を言い合わないことにするということで合意に達した。
(三) 同日午後八時か九時ころ、被告人は、溝口の自宅に電話をかけ、「生き方を変えざるを得ない。物書きにでもなろうかと思っている。」などと言い出し、被告人のいう「
 物書き」が学会のことを雑誌等に執筆することであろうと察した溝口との間で若干の問答があった後、学会から被告人に供与すべき金員の額について、被告人は、「会社の金は中途半端な金では処理しきれない。」と述べ、溝口が「私の感触として一・三(一億三、〇〇〇万
 円)ぐらいは出るかもしれません。」と答えたのに対し、「岡山の実家も三、〇〇〇万円で抵当に入っているので、その分も上積みとして考えてもらいたい。」などと述べた。
(四) 翌一九日午前九時少し前ころ、被告人は、再び溝口方に電話をかけ、同人に対し、「シーホースの倒産事件のあらましが業界紙に載った。これで騒ぎになる。火がつく。守秘義務は守る。最低二億欲しい。」などと述べた。
(五) 溝口は、直ちに学会本部に出勤し、八尋及び桐ヶ谷に対し、右(三)及び(四)の電話の内容を報告するとともに、電話を受けた感触として一億五、〇〇〇万円位で被告人は納得すると思われる旨を伝え、八尋はこれを直ちに北條等に報告した。
(六) 八尋の右報告を受けた北條は、これ以上結論を留保すると被告人が暴発して学会攻撃を始めるおそれがあると判断し、この際金員を出すこともやむを得ない旨を八尋に告げた。同人は、金員を出すのであれば、顧問弁護士を辞める、資料を返還する、学会攻撃をしない等の点につき書面により被告人に約束させることを提案し、北條の了承を得て、福島、桐ヶ谷、溝口とともに文案作りを始め、同日夜までに、
(1)同年三月三一日付で顧問弁護士を辞職する旨及びその際名目のいかんを問わず学会に金銭的要求をしない旨を記載した学会あて「辞職願」案
(2)今後学会攻撃は一切せず、その証として被告人が保管している学会の資料を返還する旨を誓約する学会あて「誓約書」案
(3)シーホース及びその関連会社は学会と関係ない旨を確認する学会あて「念書」案
(4)被告人が(ア)顧問弁護士在職中に知った学会に関する事項を一切公表しないこと、(イ)シーホース及びその関連会社は学会と何ら関係がないこと、(ウ)今後名目のいかんを問わず学会に対し金銭的要求をしないこと、(エ)今後宗門問題には関与しないことを確認する溝口あて「確認書」案 の各文書案を作成した。
 そして、同日午後九時ころから、北條、森田、秋谷、八尋、桐ヶ谷、福島及び溝口が右文書案及び被告人に供与すべき金員の額について検討し、結局、被告人が右各文書により学会攻撃をしないこと等を約束するのであれば、一億五、〇〇〇万円を供与することもやむを得ないとの結論に達した。
(七) 翌二〇日、右四通の文書案が確定し、同日午後八時ころ、溝口は、清書された右四通の文書案(以下「第一次文書案」という。)を持ってホテルグランドパレスに赴き、
 同所でこれを被告人に示したところ、一読した被告人は、「このままお持ち帰り下さい。」
 と強い拒否の態度を示し、やむなく立とうとした溝口に「金額はどうなんだ。」と問いかけ、同人が「一・五(一億五、〇〇〇万円)の線で何とかなるでしょう。」と答えたところ、「ともかくお帰り下さい。」と述べた。
 溝口は、学会本部に戻り、待っていた北條等に右経過を報告した。北條等は、対応策を検討したが、被告人の様子を見るほかはない、との結論に達した。
(八) 被告人は、翌二一日午前零時すぎころ、溝口の自宅に電話をかけ、いきなり居丈高に「お前さん達、俺を挑発しようというのか。人の弱みにつけ込んで、あんまりひどい文面じゃないか。」と詰問した。溝口は、被告人の暴発をおそれ、「今からそちらに行きますから、会って話をしましょう。」と被告人を宥めて電話を切り、前記四通の文書案のコピーを持って直ちに三番町ヒルトップマンションの被告人方へ赴き、「一体どこが気に入らないのか、あなたの気に入るように直してみて下さい。」と言って右書面を被告人に渡した。
 被告人は、
(1)学会あて「辞職願」案中の「今後名目のいかんを問わず学会に金銭的要求をしない」旨の条項を削除し、
(2)学会あて「誓約書」案中の「誓約書」との標目及び「今後学会攻撃は一切しない」旨の条項を削除し、「顧問料、報酬等いかなる名目においても債権債務が残存していないことを確認する」旨の条項を加えてこれを右(1)の「辞職願」案に続けて一本化し、
(3)学会あて「念書」案中の「念書」との標目を「確認書」と訂正し、「シーホース等は私の責任において設立、運営してきたものである」旨の条項を削除し、
(4)溝口あて「確認書」案中の「確認書」との標目を「念書」と訂正し、「学会関係者が私の過去の仕事につきいかなる評価を下そうとも一切反論しない」旨及び「今後名目のいかんを問わず学会に金銭的要求をしない」旨の各条項を削除し、「シーホース等は学会と関係のないことを確認する。」との条項を「……関係のないこととして処理する。」と訂正し、そのあて先に八尋、福島及び桐ヶ谷を加える
 などの修正を加えて溝口に返した上、「金額はどうか。」と尋ねた。溝口は、「一億八、〇〇〇万円で努力してみましょう。」と答え、さらに「二億円ならばどうなんですか。」と打診したが、被告人は、返答をしないままに終わった。
(九) 同日午前一〇時ころ、学会本部において、溝口は、北條、秋谷、八尋等に対し、右被告人との折衝を報告した。北條等は、被告人が手直しした文書案について検討し、学会側の最低限の要求である「学会攻撃をしない」という条項が削除されたのでは、金員を供与することはできない、との結論に達した。
 溝口は、その場から被告人に電話をかけ、「金額が一・八(一億八、〇〇〇万円)にな?たとしても、あなたの手直しした文案は学会側はのめないと言っております。私としてももうパイプ役はたくさんです。」と述べた。これに対し、被告人は、「要はやらないと分からんのだな。」と言い放って電話を切った。
 右電話について報告を受けた北條等は、事態を厳しいものと受け止めたが、さしたる対応策も見出せず、結局、桐ヶ谷が中心になって、学会側の意向に添い、かつ被告人も納得する
 ような文書案を作成し直す作業を行いながら、同日午後一時から予定されたシーホースの債権者会議の結果を待つこととなった。
(一〇) その後、被告人から同日午後一一時ころ福島に、翌二二日午前一時ころ溝口に、それぞれ判示のような電話があり、これに対して、福島は、もう一度首脳と話し合うからもう一日待って欲しい旨、溝口は、被告人の意向は北條に伝える旨をそれぞれ答えた。また、同人らは、いずれも直ちに八尋の自宅に電話をし、被告人からの電話の詳細を伝えた。
 八尋は、翌二二日午前九時ころ、これを北條に報告し、北條は、至急対応策を検討するため、直ちに緊急首脳会議を召集した。
(一一) 右会議には、北條会長、森田理事長、秋谷、和泉、辻、青木、原田稔各副会長等が出席し、まず福島、溝口が前記被告人からの電話について報告し、次いで被告人が脅迫の材料としている個々の事項について、それぞれ関係役員等からその経緯、実情等の説明があり、被告人がそれら事項につき虚実とりまぜた事実を公表して学会を攻撃することとなった場合、学会が蒙るべき打撃、損害等について、種々検討した結果、この際は被告人の要求どおり三億円を供与せざるを得ないとの結論に達し、但し、右供与の条件として、今後は一切学会攻撃をしないこと等を被告人に確約させることに決まった。その後、北條、秋谷、八尋、福島、桐ヶ谷等が、大急ぎで被告人から学会あてに提出させるべき文書案の作成にあたり、前日桐ヶ谷が中心となって作っていた原案を検討の上、これに若干の手直しを加えて、同日午前中に、
(1)今後一切学会攻撃をしない、顧問弁護士を辞任し、それに伴い被告人が保管する学会関連の資料を返還する等の条項を記載した学会あて「確認書」案
(2)シーホース及びその関連会社は学会と関係ない旨の学会あて「確認書」案
(3)顧問弁護士であった期間中知った学会の事項について秘密を守ること、宗門問題には関与しないこと等を記載した溝口ほか三名あて「念書」案
を確定した。
(一二) 同日正午ころ、福島及び溝口は、三番町ヒルトップマンション五〇一号室の被告人方に赴き、付近の同都千代田区一番町二五番地ダイヤモンドホテル内の喫茶店において、被告人に対し右三通の文書案(以下「第二次文書案」という。)を示し、「山崎先生の話はこちらもよくわかりました。学会としては、こういう条件で話合いをしたいと思っています。これでいかがでしょうか。」と述べた。被告人は、前記(一一)(1)の確認書冒頭の「学会攻撃はしない」旨の条項については承諾できない旨述べたので、福島等は、右条項の削除に同意した。
 さらに被告人は、学会から供与されるべき金員は税金がかからないように手取りで欲しいこと、債権者への対応があるので早急に処理して欲しいこと等を要請し、福島等は、「分かりました。検討しますが、お金のことについて具体的なことは北條会長と話して下さい。」と答えた。被告人は、「相談する人がいるので、最終的な返事は三時まで待って欲しい」と述べ、確定的な回答を留保した。福島等は、学会本部に戻り、待っていた北條等に前記折衝 の模様を報告した。
 なお、被告人の申出により福島が削除に同意した「学会攻撃はしない」旨の条項については、あらかじめ、被告人が削除を要求したときは、交渉の決裂を避けるため、右要求に応ずるのもやむを得ないことを北條等が了承し、福島にその旨を指示していた。北條等としては、右条項を確認書に明記しなくても、右(一一)(3)の溝口ほか三名あて「念書」案に「顧問弁護士であった期間中に知った学会に関する一切の事項を守秘し、方法のいかんにかかわらず口外しない」旨の条項があるので、何とかカバーできるのではないかと考えた。
 (一三) 同日午後二時三〇分ころ、被告人は、福島に対し、電話で「あの条件で結構です。」と回答した。そこで、同日午後四時三〇分ころから北條と被告人がホテルニューオータニで会談し、被告人は、前記確認書二通及び念書に署名し、北條は被告人に対し三億円を供与することを約した。
2 以上の点について、被告人は、事実を否定し、次のように供述する。同月一七日午後一一時ころ、溝口に電話をかけ、同人に対し、シーホース管理に至る経緯を説明した上、「任意整理をして学会に累が及ばないようにするにはさらに三億円が必要だと北條に話した。二一日にシーホースの債権者集会があるので、その前までに学会の結論を出して欲しい。それによって債権者集会への対応を考える。」などと述べたところ、溝口は、「金のことはもう問題じゃない。シーホースの整理のために金を出さなければいけないのは分かっている。ただ学会の偉い人でボス(被告人の意。)に対し感情的になっている人がいて、その感情的な問題の処理のために私がパイプ役に選ばれた。その辺をよくわきまえてボスも対応して下さい。」などと述べた。そのことからも、学会側が一七日までにシーホースの整理資金を出すことを基本的に了承していたことは明らかである。
 翌一八日午前一一時ころ溝口から電話で、「二一日の債権者集会までということは、二〇日中に話をまとめることが必要であり、それには今日中に大体の話を進めておきたい。」旨の申入れがあり、同日夕方、同人がホテルグランドパレスに訪ねてきて被告人の保管している学会関係の資料の引渡しを求めたので、それを承諾すると、次いで、同人は、四通の文書案(第一次文書案)を示して、そのような文書を学会に差入れるように求めてきた。しかし、右各文書案の内容が納得し難いものだったので、被告人が右文書案を溝口に突き返したところ、翌一九日午前一時ころ、溝口が三番町ヒルトップマンションの被告人の事務所に右四通の文書案を再度持参し、自分たちの配慮が足らず被告人を傷つけたとしてこれを詫びた上、被告人の好きなように訂正して欲しい旨申し出たので、被告人は、右各文書案に訂正を加えた。溝口は、右訂正した文書案の内容をその場で学会本部に電話で連絡した上、被告人に対し、学会本部でも右訂正を承諾した旨を述べた。被告人は、この時点で、学会との間で書面の内容に合意が成立したと判断し、右文書に署名した。
 同日朝、溝口に電話し、「シーホースの倒産記事が業界紙に載り、学会のことが多少書かれた。」などと説明すると、溝口は、「すでに業界紙に書かれたのでは、念書第二項のシーホースと学会は何ら関係ないこととして処理する旨の条項は不要になったので削除したい。」と言い出したが、被告人は、右条項は削除しないよう求めた。その際、溝口は、「守秘義務に関する条項について学会本部で再検討したが、方法のいかんにかかわらず公にしない旨を書き加えたい。」と言い出し、その点は了承した。
 ところが、その後、溝口から再び電話があり、「金の出し方でもめている。金が出るのが遅くなる。どうしても三億円いるのか。自分の手に負えなくなったら投げ出しても良いか。」などと言われ、学会首脳部の間でもめているのかと思った。なお、その電話で、溝口から「四月二〇日は池田が中国へ出発する直前で北條の身体があかない。調印は二一日に池田が出発した後の夜にしたい。」との申出があった。
 同日夜、福島と電話で話した際に「君らが言うように頭を下げているのに、訳の分からない書類を書かされたり、金の出し方がむつかしくて、先に延びるかもしれないと言われたりしている。債権者集会でうるさいのがいたら自己破産の申立てをして、その後私個人に負担がかかってくるならこれまでの事件処理の報酬として学会に正式に請求させてもらおうかと思っている。」などと愚痴を言うと、福島は、「そんなに思いっめることはない。溝口がパイプ役なので脇で見ていたが、私の出番ですね。私が根回しするので任せてください。」と言ってくれた。
 そして、翌二〇日午後一〇時ころになって福島及び溝口からそれぞれ電話で「三億円が学会から出ることについては話がついたが、この間の書面を少し手直ししたいので、明日伺いたい。」との連絡が入り、翌二一日午前一〇時すぎころ福島と溝口が被告人の事務所を訪れ、付近のダイヤモンドホテル一階の喫茶店で会談した。福島等は、新たな三通の文書案(第二次文書)を被告人に示した。そのうち、前記1(一一)(1)の「確認書」案の冒頭数行はすでに削除されていた。被告人は、自ら第一次文書案に訂正を加えた「シーホースは学会と何ら関係のないこととして処理する」旨の条項が削除されていたことが不満であったが、自分に任せてはしいとの福島の説得により、右各文書案の内容を承諾することとした。その際福島から「今夜北條と会ってくれますか。」と調印を同日夜に行いたいとの意向が示されたのに対し、「債権者集会の結果を見ないと分からないところもあるので、明日以降にしてほしい。」旨返事をし、翌二二日午後四時三〇分ころ、ホテルニューオータニで北條と面談した。
 そして、右各文書案のうち、第一次文書案(但し「辞職願」案を除く。)の日付がいずれも四月二〇日であり、第二次文書案(但し「念書」案を除く。)の日付がいずれも四月二一日であるのは、各文書案を作成した学会側関係者がそれぞれその日に正式に調印することを予定していたからである。
 以上のように、四月二一日午前中までには三億円援助について合意ができていたのであるから、同日夜ないし翌二二日未明に福島等に検察官主張のような脅迫的電話をかけるはずがない。
 なお、被告人がシーホースの整理資金として要請した三億円については、学会側もそれを出すことを基本的に了承していたのであって、被告人はこの間一貫して三億円を求めていたのであり、「五億円欲しい。」とか「最低二億円欲しい。」などと話したことはない。
3 被告人の右供述は、被告人と溝口が折衝を開始した同月一七日午後一一時ころの時点において、学会が被告人に対し三億円を供与することは基本的に了承しており、その供与についての条件等を詰める作業のみが残っていたことを前提とするものである。
 しかし、本件証拠によると、右の点は全く事実に反すると認められる。
4 同月一〇日から同月一六日までにおける被告人と学会の折衝の経緯は、前記罪となるべき事実等第一の一の1ないし5のとおりと認められる。すなわち、北條は、同月一三日のシエラザード会談において被告人の援助要請を拒絶し、その際被告人から持ち出された三億円の退職金の要請についても、同月一六日の電話によりはっきり拒絶の意思を表示しており、被告人は、同日山崎に電話をかけ、学会の再考を求めるべく、言葉を尽くして援助を要請している状況にあった(前記一参照)。
 また同月一七日午後八時ころから行われた北條と被告人の会談の模様及び右会談に基づき溝口が「パイプ役」として被告人との折衝にあたることとなった経緯は、前記罪となるべき事実等第一の一の6のとおりと認められる。
 したがって、溝口が被告人と折衝を開始した時点における学会の方針及び溝口の立場は、公式には被告人の援助要請は拒絶するという建前をとりながら、実際には溝口が北條等学会首脳の意を受けて被告人との折衝にあたり、被告人の苦情や言い分を聞いて学会首脳に伝えるとともに、学会側の意向を被告人に伝え、極力被告人を宥めて、その暴発を防ぐものとし、そのため必要とあらば、被告人に対し相当額(最大限一億円程度)の援助を行うこともやむを得ない、但し、援助を行う場合には、被告人から再び学会攻撃をしないこと等について書面により確約をとりつける、というものであったと認められる。
5 同月一七日から同月二一日までの間における被告人と溝口の折衝の経緯、模様等(前記1参照)に関する溝口証言は、以上のような当時の学会の方針及び溝口の立場とよく符合し、自然であると認められる。
 他方、被告人の供述によれば、溝口は、同月一七日の電話で「金のことはもう問題じゃない。シーホースの整理のために金を出さなければいけないのは分かっている。」などと、三億円の支出は決定済みである旨を述べたということであるが、この点は、前記のような客観的状況と全く符合せず、信用し難い。
 また、被告人の供述によれば、溝口は、同月一八日午前一一時ころの電話で、被告人に対し「二一日の債権者集会までということなら、二〇日中に話をまとめる必要があるので、今日中に大体の話を進めておきたい」と申入れ、同日夕刻被告人の許に第一次文書案を持参したが、その文書案にはすでに四月二〇日の日付が記入してあったということであるが、この点も、はなはだ不自然である。前記のような溝口の立場からすると、同人が右のようにもっぱら被告人の希望に従い、そのペースにのって交渉を急ぎ、しかも、同月二〇日に正式に合意が成立し、調印に至ることを予定して、あらかじめ同日の日付を入れた文書案を被告人の許に持参するなどということは、全くありそうにないことだと考えられるからである。
 溝口が右第一次文書案を被告人の許に持参したのは、前記(1(六)参照)のとおり、同月一九日、これ以上結論を留保すると被告人が暴発するおそれがあるとの判断から、学会が一億五、〇〇〇万円程度の金員の供与を決定したことに基づくもので、その時期は同月二〇日午後八時ころであり、右文書案の日付は右文書案を作成(確定)した日を記載したものと認めるのが自然である。
6 同月一七日から同月二一日までの折衝の過程における被告人の溝口に対する言動等にっいても、溝口証言は、具体的かつ明確である上、当時及びその前後の状況とも符合するので、信用性が高いと認められる。
(一) 被告人が同月一七日の電話で「今度の件はシーホースの債権者が学会や公明党に押しかけて社会的な騒ぎになることを防止するために必要な金をもらうのだ。」「学会と自分は運命共同体だ。」と述べ、同月一八日の電話で「全部放っぼり出そうか。債権者が押しかけて来ても、俺の方は学会に行ってくれと言えばそれで済む。困るのは学会の方だ。」と述べたとする点は、同月一六日の山崎に対する電話で被告人が学会に援助を要求する理由として学会と被告人の「共通の利害」を強調していた(前記罪となるべき事実等第一の一の5(七)参照)のと軌を一にし、その論理をいっそう推し進めたものと認められる。
(二) 被告人が同月一八日の電話で「報酬請求訴訟を起こす。その中で学会の過去の事件を一つ一つ明らかにする。」などと述べたとする点は、前記山崎に対する電話の中で被告人がほのめかしていた学会攻撃を具体的な形で示し、恐喝の手段に用いるに至ったものと認められる。また、学会攻撃を報酬請求訴訟という形で行うものとしたのは、被告人が学会の秘密を暴露して学会を攻撃しようとする場合、弁護士の守秘義務と衝突するので、これを回避するため、被告人において右のような形の攻撃を案出したものと推認される。被告人が六月三日の喫茶店ルモンドにおける桐ヶ谷との会談及び同月四日の山崎に対する電話の中で、学会関係の訴訟の証人となって学会の秘密に属する事項を証言する用意があることを繰り返し述べている事実に徴しても、被告人が報酬請求訴訟という形の学会攻撃を案出したこともきわめて自然であったと認められる。
 また、真実被告人が右のようなことを溝口に述べなかったとすれば、溝口が右のような事実を担造して証言することは困難であろうと考えられる。
(三) 被告人が四月一八日夜の電話で「物書きにでもなろうかと思っている。」と述べたとする点は、一見唐突の感があるが、被告人が六月三日のルモンドにおける桐ヶ谷との会談で同様のことを話題にしていることに徴すると、不自然ではないと考えられる。これまたきわめて個性的な事実であり、溝口の虚構による証言とは認め難い。被告人が同月二二日午前一時ころの電話で「もし話がつかないなら、学会のことを何冊にも本にして出す。」と述べたとする点についても、同様に考えられる。
(四) 被告人が同月一九日午前九時ころの電話で「最低二億欲しい。」と述べたとする点は、溝口が右電話を聞きながら作成したメモによって裏付けられる。右メモには、「業界紙にのった」「守秘ギムについてはいい」などと記載された後に「最低②は必要」との記載があるところ、右「最低②は必要」の部分は、溝口が証言するように、「最低二億円は必要」という意味に解される(これに対し、被告人は、右電話で第一次文書案のうち被告人が手を加えた念書第二項のことが話題となり、溝口が削除したいと言うのに対し、被告人が右条項は必要と答えたため、溝口が条項全体を丸で囲った第二項を意味するものとして「②」と書いたものと思う、と供述しているが、条項が丸で囲まれているとは言っても項の部分は「2」であって「②」ではないこと、「最低」との記載があること等に照らし、信用できない。)。
 右の点は、被告人の供述に反して、同月一九日の時点においても、被告人と溝口の間で金額に関する折衝が行われていたことを示すものである。
 なお、被告人が四月一三日のシエラザード会談において北條等に三億円を要求し、最終的に学会から三億円を受領したことは明らかであり、弁護人の主張するように学会側証人が被告人を罪に陥れようとしているのであれば、交渉の間において被告人が二億円を要求することが全くなかったのに、これがあったなどとことさら虚偽を述べるとは考え難い。
7 被告人の同月二一日午後一一時ころの電話による福島に対する脅迫及び同月二二日午前一時ころの電話による溝口に対する脅迫に関する福島証言及び溝口証言も、その内容に具体性があり、自然であって、信用性が高いと認められる。
8 被告人は、四月二二日正午前後の被告人の行動について、次のとおり供述し、そのころ福島及び溝口が被告人の事務所を訪れ、第二次文書案についての検討等を行ったとされる点に対して、アリバイを主張する。
 被告人は、同日午前一〇時四〇分ころ東京都新宿区四谷所在の大成不動産四谷支店に赴き、同支店長佐藤正己を相手に、新たに賃借することとした同所所在の新一ビル八〇一号室に関する賃貸借契約書の調印、敷金の支払等をし、次いで、右賃貸借契約の連帯保証人として同所に同行していた峰岸博の要請により、午前一一時すぎころから右事務所近くの喫茶店で同人経営の会社の業務等に関し同人の相談にのり、正午ころ、同人とともに右新一ビル八〇一号室に赴き、そこで前記佐藤正己及び被告人の指示により同所に来ていた被告人の事務所の従業員岩佐敬子及び立場川チセと会い、峰岸、岩佐及び立場川に右部屋の清掃、じゅうたん、カーテン等の購入を指示し、午後一時ころ同所を出てホテルニュージャパンに向ったのであり、検察官主張のように同日正午前後に三番町ヒルトップマンションで福島、溝口と会ってはいない。
9 しかし、福島及び溝口は、それぞれ、同月二一日午後一一時ころ及び同月二二日午前一時ころに被告人から判示脅迫を受け、同日午前九時ころから開かれた緊急首脳会議において三億円の支出が決定された後、同日正午ころ、三番町ヒルトップマンションの被告人の事務所を訪れた旨を明確に証言しており、右証言は、同月一七日から同月二一日までの被告人と溝口の交渉の経過との関連でも自然であって信用性が高いと認められる(前記1・4ないし7参照)。
 また、同月二二日午前九時ころから緊急首脳会議が開かれ、三億円の支出が決定されたことについては、証人秋谷、同八尋及び同桐ヶ谷の各証言がある。
 なお、被告人の福島に対する脅迫の行われたのが同月二一日の午後一一時ころであったことについては、その直後に福島からの電話で右事実の報告を受けたという証人八尋の供述及び同人が右電話を聞きながら、その内容をメモしたというノートの記載がある。右ノートは、同証言によると、八尋が日常備忘のため仕事上の会議、電話等の内容を記載しているものであるところ、右ノートには同月二一日の事項として、被告人から福島に電話があったこと、その内容として「俺はもうやめた。覚書はひどすぎる。」「訴訟をおこす。一週間内。一千万でも良い。情を受けたくない。事件一覧表。それに対する報酬。時効でも何でもよい。」「会社のあと始末。三億。」「中途半端ではこじきになる。節を曲げないでやる。金はいらない。」「一・八(億)では足りない。三(億)以上。四、五千万けずってどれ位値うちがあると言うのだ。」「ミサイル二、三発ぶち込む。-か月ほど戦争する。全面戦争。絶対頭を下げてくる。」「事態の深刻さ、北條会長が知っている。」「追いつめられたのは学会だ。手負いの虎の尾。」「手数は必要なし。一発でよい。」「恐喝でもよい。俺は戦いを始めた。」等の記載がある。
 右ノートは時間の流れに沿って記載されているところ、前記の福島からの報告の記載より前に、二一日に行われた債権者集会の状況が福島からの報告として記載されているのであり、被告人が福島に脅迫内容の電話をしたのが二一日夜だったとの証人福島の供述を裏付けるものである。
 また、第二次文書案に四月二一日の日付が入っている点については、福島証人が「四月二
 二日の首脳会議の後、前日桐ヶ谷が中心となって作っていた文書案の原稿を検討し、これに手直しを加えて確定稿を作り、これを本部職員に清書させたが、その際、右原稿に入っていた四月二一日の日付が訂正されないまま清書されてしまったものだと思う。」旨供述しており、前記のような第二次文書案作成の経緯からすると、そのような過誤の生ずることも不自然ではないと考えられる。
 なお、弁護人の主張するように、学会側証人らが集団偽証して被告人を罪に陥れようとしているのであれば、被告人と学会側関係者が文書案について折衝を行い、おおよその合意が成立した日時等についてまで、同証人らがことさら虚偽を述べる必要はなく、また、そのような虚偽供述はこれに反する客観的証拠によって糊塗し難い欠陥を露呈する危険性の大きいことが明らかであるから、福島、溝口証人が右のような点についてまで虚偽を述べているとは考え難い。
10 他方、前記被告人の主張するアリバイについては、次のような証拠調べが行われている。
(一) 第四二回公判において、弁護人申請の証人佐藤正己は、次のとおり証言した。
 自分は、大成不動産四谷支店長であるが、昭和五五年四月二二日には、午前一〇時三〇分ころ被告人が、それから一〇分か一五分遅れて峰岸が、それぞれ前記支店に来店し、一一時ころ三人で新一ビル四階の大家佐藤文平方に赴き、同人との間で同ビル八〇一号室の賃貸借
 契約の調印等をし、雑談の後、正午ころ、被告人が「正午に待ちあわせている」と言うので、被告人又び峰岸と一緒に同ビル八階八〇一号室に行ったところ、間もなく被告人の事務所の女子事務員とお手伝いのおばさんが来た。自分は午後零時一〇分か三〇分ころ同室を出て店に帰った。
 なお、同証人は、佐藤文平方における契約締結の模様やその後八〇一号室に行ったときの状況について詳細、具体的に供述し、記憶の正確性について再々尋問されても、間違いない旨を断言した。
(二) 第四三回公判において、弁護人申請の証人岩佐敬子は、次のとおり証言した。
 自分は、被告人の法律事務所の事務員をしていた者である。昭和五五年四月二二日、被告人は、午前九時三〇分すぎに事務所に来て、自分と立場川チセに、掃除をしてもらうから正午に四谷の新一ビル八階の部屋に来るように言いっけ、一人で外出した。正午少し前に立場川とともに新一ビル八階に行くと、間もなく被告人と峰岸が上がって来た。被告人はその部屋に午後零時五〇分ころまでいた。
(三) 第四九回公判において、弁護人申請の証人立場川チセは、同月二二日新一ビルに赴くまでの経緯につき、右岩佐とほぼ同様の証言をした上、「正午少し前に新一ビル八階の部屋につくと、間もなく被告人、峰岸、大家のおじいさんなど四、五人が入って来たと思う。」旨供述した。
(四) また、弁護人から、同日、引越先でじゅうたん、カーテン、冷蔵庫及び洗濯機を購入したことを示す同日付の領収証が提出された。
(五) ところが、第五九回公判(昭和五九年六月一八日)において、検察官申請の証人灰田公彦は、次のとおり証言した。
 自分は、半蔵門病院の医師で佐藤文平(昭和五六年一〇月一七日死亡)の主治医であった者であるが、同人についての血液透析経過表によると、同人は、昭和五五年四月二二日午前九時四分から午後二時四分まで半蔵門病院において血液透析を受けており、その間病院のベッドから離れることはできない状態にあった。
 なお、検察官から右血液透析経過表が提出された。
(六) その後第六〇回公判(昭和五九年七月三日)において、再度尋問された証人佐藤正己は、第四二回公判における証言を一部訂正し、次のとおり証言した。
 当日、被告人及び峰岸が来店した後、二、三〇分かけて家賃の日割計算、契約書への署名を行い、その後、被告人及び峰岸は、正午ころ新一ビル八〇一号室で落ち合うことを約して、店を出た。正午ころ右八〇一号室へ鍵をあけに行ったとき同室内で被告人に会ったと思う。
 しかし、同証人の供述態度及び供述内容からすると、同証人は、右四月二二日の模様及びその前後の状況について、確かな記憶をほとんど有していない疑いがきわめて強い。
 また、同証人は、第四二回公判で証言するに至った経緯について、「前回証人として出廷する前、被告人と話をし、被告人から、自分の記憶によるとこうだったんだけど、と言われ、自分も記憶をたどりながら、急に言われたので忘れたから、そのことでいろいろ被告人の記憶によるとこうだったんだけどということになれば、こっちもそうだったかなということで証言した」旨供述し、また、「昭和五九年六月ころ、被告人から、『実は当日(昭和五五年四月二二日の意。)佐藤文平は半蔵門病院で透析をやっていて、その時間は新一ビルにいなかったと言われた』との電話があった。」旨をも供述している。
(七) 第七〇回公判において、証人峰岸博は、次のとおり証言した。
 自分は、航空会社に勤務していた昭和五四年春ころ被告人と知り合い、日蓮正宗の海外法人設立に付随する海外渡航の面での手伝いを依頼されて承諾し、その後右仕事上の関係もあり被告人の事務所に度々訪問するなどし、昭和五五年四月の被告人の事務所の引越の際も荷造り等の手伝いをしていたが、同月二二日午前九時過ぎに被告人の事務所に顔を出した際、被告人から、不動産屋で契約をするので一緒に行ってほしいと頼まれ、午前一一時少し前大成不動産で被告人と落ち合い、保証人として署名した後、午前一一時過ぎころから被告人に頼んで時間をもらい、付近の喫茶店で自己の経営する会社のことについて相談し、正午ころ被告人と一緒に新一ビル八〇一号室へ行ったところ、岩佐、立場川等がすでに来ていた。被告人は午後一時少し前に同所を出て行った。
11 以上のような証拠調べの経過を考慮して、各証言の証明力を検討する。
(一) 証人佐藤正己は、四月二二日のことについて、確かな記憶がほとんどないのに、第四二回公判前、被告人から「自分の記憶によるとこうだったんだけど」と、当日の模様について具体的な教示を受け、同公判では、被告人から教示されたところを、そのまま自分の記憶として証言した疑いがきわめて強い。同証人は、第六〇回公判では四月二二日正午ころ新一ビル八〇一号室で被告人と会った旨証言するが、同人の記憶等に信が置けないことは前記のとおりであり、右証言も全く信用できない。
(二) 岩佐敬子及び立場川チセの各証言については、前記じゅうたん、カーテンの領収証の存在等と併せ検討すると、同人らが四月二二日に新一ビル八〇一号室に赴き、部屋の掃除やじゅうたん、カーテン等の購入にあたった事実は認められるが、各証言中、同日正午ころ被告人が右八〇一号室に来て午後零時五〇分ころまで同所にとどまっていたという部分については、これを裏付ける確実な証拠がなく、同証人らがかつて被告人の従業員であったこと等の事情を考慮すると、同証人らの証言内容が、前記佐藤証人の場合と同様、被告人の教示、示唆等により影響され、記憶の正確性等を欠いている疑いもあり、直ちには信用できない。
(三) 証人峰岸博は、前記のとおり、第五九回公判における灰田証言及び第六〇回公判における佐藤証言により、被告人が四月二二日の午前中新一ビルの佐藤文平方において同人と賃貸借契約の締結にあたっていたというアリバイが完全に崩れた後、これに代わるアリで・ バイの立証のために請求された証人であるが、右アリバイの基礎となった佐藤証人の第四二回公判における供述は、あらかじめ被告人から具体的な教示を受け、その教示されたところをそのまま自分の記憶として供述した疑いがきわめて強いものであった(前記10(六)、(一)参照)。右のような経緯のほか、同証人がかつて被告人と密接な交際があったこと等の事実に徴すると、同証人の証言についても、前記岩佐及び立場川の各証言と同様の疑いを免れず、直ちにはこれを信用できない。
(四) 以上のように、アリバイに関する証人らの証言には、いずれもその信用性に疑いがあり、四月二二日正午ころ福島及び溝口が被告人の事務所を訪れ、付近の喫茶店で第二次文書案についての検討を行ったことを証明する前記各証拠と対比すると、いずれも信用することができない。
三 北條等学会首脳の畏怖について
1 被告人は、同月二二日当時の学会をとりまく情勢について、
(一) 宗門問題については、日蓮正宗と学会とはかつてないほどの緊密な関係にあり、いわゆる若手活動家僧侶も同月二日のいわゆる池田所感(「恩師の二三回忌に思う」)により矛を収め、「檀徒」も静まり、また被告人には若手活動家僧侶に対する影響力はなく、
(二) 宗会議員選挙については、同年三月に宗規が改正され、宗規改正には宗会のほか責任役員会の議決を経ることも必要とされることとなったので、宗会が若手活動家僧侶に多数を占められても宗規が改正されるおそれはなくなり、
(三) 原島資料については、学会側が最も公表を恐れた昭和四九年の二通の北條報告書及びいわゆる池田語録の重要部分は昭和五五年三月までに公表されており、それ以外は公表されてもさほど影響のないことを学会も承知していたのであるから、
 学会側が被告人を恐れる事情は全くなかったと供述する。
2 しかし、
(一) 秋谷証人は、当時の状況について、「同年六月に予定された宗会議員選挙で活動家僧侶派が三分の二以上の多数を占めた場合、池田名誉総講頭辞任要求、日顕退陣要求、学会を宗門の被包括法人とする要求(学会解散要求)等を宗会で決議し、これを宗内与論として激しい学会批判運動を展開し、また、被告人が内藤その他のジャーナリストと活動家僧侶、「檀徒」を結び付け、マスコミにおいても学会のあり方を社会問題化するなどして学会批判を展開するおそれが大きいと判断していた旨供述し、また北條調書にも同旨の供述記載があるところ、右各供述は、前に認定した当時の客観的状況(前記第一章第一節四3、4参照)に符合し優に信用できる。
(二) そして、右のような状況の下で、被告人は、同年四月二一日午後一一時ころの福島に対する電話で、「報酬請求訴訟を起こし、いろいろな事件の一覧表をつけて、訴訟の場で一切を明らかにしてやる」として、新宿替玉事件、千里ニュータウン、公明協会の件、月刊ペンの内情、宗門の問題、北條記録、池田の女性問題、新宗達に対する謀略工作などを挙げた上、さらに「この深刻な状況が分かるのは、北條会長一人だ。」と述べ、暗にいわゆる「宮本邸盗聴事件」の真相なるものをも暴露する旨をほのめかしているところ、これらの事項の中には学会の機密に属するものが多く、被告人が学会の顧問弁護士及び幹部として右事項等の処理に関与している上、日達に親近し、宗門の内情にも通じている立場を利用し、これらの事項につき虚実とりまぜて学会に不利益な事実を公表した場合、それが学会の社会的信用及び名誉を毀損することはもとより、若手活動家僧侶、「檀徒」等反学会勢力に絶好の攻撃材料を与え、宗門内の情勢をいっそう悪化させ、また一般学会員の動揺、離反を招くおそれが大きかったと認められる。この点についての秋谷証言、北條調書等は、きわめて自然であって優に信用することができる。これと対比すると前記被告人の供述は、信用できない。
第三節 起訴状公訴事実第二について
一 内藤の月刊現代昭和五五年七月号掲載記事に対する被告人の立場について
1 被告人は、右の点について、次のとおり供述する。
 五月二〇日に内藤から示された第二稿には、五月一八日に示された第一稿の内容にはなっていなかった宮本邸盗聴事件、新宿替玉投票事件、月刊ペン裁判の裏工作、池田の女性スキャンダルが書き加えられていた。そのような内容の記事が出されたのでは被告人が情報源と分かってしまうため、内藤を説得して池田の女性スキャンダル等の部分を削除させようと何回も試みたが、内藤はそれに応じなかった。右記事に書かれたいわゆるマジック事件の情報を提供したことはない。
 また、その後、五月二七日ころから六月一目ころにかけて、週刊新潮、週刊ポスト、週刊文春の記者からの内藤記事に関する取材を受けたが、それには応じなかったのであり、内藤に対して週刊新潮や週刊文春にも情報を提供することの了承を求めたり、内藤ゲラのコピーを右各週刊誌の記者に渡したことはない。右各週刊誌に内藤記事に関する記事を掲載させたのは内藤である。
 したがって、被告人が右記事ゲラのコピーを進んで溝口に提供したことはなく、また、六月三日に桐ヶ谷とルモンドで会談したときは、前記の事情を桐ヶ谷に説明して理解を求めている。被告人には、右記事を学会攻撃に利用する意図は全くなかった。
 弁護人は、右被告人の供述を前提として、内藤は学会の内情に関する記事を書く際に被告人を執筆過程に巻き込んで学会組織からあぶり出そうと考え、あたかも被告人が内藤に情報を提供して記事を書かせ、学会攻撃を図ったかのように仕立てたのであって、内藤の「被告人からマジック事件の幼児が実は池田の隠し子であることを伝えられた。」旨及び「被告人から、週刊新潮や週刊文春の記者にいわゆる宮本邸盗聴事件、マジック事件等の情報を提供することの了承を求められた。」旨の各供述は、内藤の右のような不純な動機を糊塗するための虚偽の供述でありいずれも信用できないと主張する。2 しかし、内藤証人は、学会とも被告人とも利害を異にするという立場にあり、その証言態度、供述内容等に徴しても、その証言は、信用性が高いと認められる。とりわけ同人が昭和五四年一〇月ころ以降被告人と頻繁に接触して学会の内部情報、内部資料等を入手し、また被告人の協力で池田との会談を実現した経緯(内藤供述、被告人の申述書)及び内藤の当公判廷における証言態度、供述内容等に徴すると、内藤は、ニュースソースである被告人の立場に配慮し、被告人の行為に関しては、尋問者の尋問に最少限回答するに止めるべく、慎重に証言している様子が窺われるのであって、同証人が被告人にとって不利益になる被告人の情報提供を肯定し又は裏付ける事実に関して供述している部分は、特に信用できると考えられる。
 さらに、内藤は、弁護人の主張する被告人を組織の外にあぶり出す意図を有していたという自己に不利益と思われることも率直に証言しており、弁護人の主張するように、自己の立場を良くしようとして、ことさら虚偽の証言をしているとは考え難い。
3 また、被告人は、昭和五五年五月二〇日夕方、内藤から右記事の第二稿を見せられたときには、「前の原稿の方が穏やかでよかった。女の話は、内藤さんは書くべきでない。」などと言って、内藤が池田の女性スキャンダルを扱うことに反対してはいるものの(判示罪となるべき事実等第二の一の2参照)、もともと右記事の素材となった重要な情報を内藤に提供していたものであって、右記事に反対した理由も、学会の利益を図ってのことではなく、被告人が情報源であることが確実視される宮本邸盗聴事件等と同じ記事で池田の女性スキャンダルが扱われた場合、後者についても被告人が情報を提供したと疑われることを恐れたことにあったと認められる。
 また、被告人は、内藤が被告人の説得にもかかわらず、第二稿の根本的な修正を拒否し、これに若干の手直しを加えたものを出稿した後においては、内藤の依頼により同月二三日右記事のゲラを校閲し、その後これについて内藤に苦情等を述べることがなかったばかりでなく、かえって、「週刊新潮と週刊文春に内藤さんに話したようなものを話してよいですか。」などと、週刊誌の記者にいわゆる宮本邸盗聴事件、マジック事件等に関し情報提供をすることの了承を求めたことが認められる(判示前同3及び5参照。なお、この点に関する内藤証言が信用できることは前記のとおりである。)。
 したがって、被告人は、少なくとも同月二三日ころ以降においては内藤記事の掲載発表について消極ではなく、かえって、週刊新潮及び週刊文春にも同様の情報を流し、記事にさせる意図を有していたことが推認される(なお、現に同月三〇日ころから週刊新潮及び週刊文春の記者が学会に対し内藤記事に関するコメントを求め、取材を始めている。判示前同9参照。但し、被告人が右各誌に情報提供をしたことを示す直接の証拠はない。)。
4 さらに被告人は、六月三日ルモンドで桐ヶ谷と会談した際、マスコミの学会批判が話題となるや、「内藤さんが火つけ役よ。」「ここで大いにやってもらおう。」と述べた上、今後マスコミの学会批判がさらに激しくなることを強調し(判示罪となるべき事実等第二の二の2(一)参照。)、同月四日の山崎に対する電話の際も、進んで週刊新潮、週刊文春、内藤記者等の動きを話題にする(判示前同5(一)参照。)など、マスコミの学会批判が激化しつつあること、その中で被告人が右学会批判の「火つけ役」である内藤と密接な関係にあり、週刊新潮や週刊文春とも接触があること等の状況を、学会に対する脅迫の有力な材料として利用していることが明らかである。
5 溝口証人は、同年五月二四日午前一時ころ、被告人から電話で呼ばれて新一ビルの被告人方に出向いたところ、被告人が内藤記事のゲラを見せ、「女の問題だけは俺じゃないよ。」と述べた事実を具体的に証言しているところ、前記の状況からすると、被告人が進んで内藤記事のゲラを溝口に示し、「女の問題だけは俺じゃないよ。」などという弁明を加えることも、きわめて自然であると認められ、この点に関する溝口証言も信用できる。
二 篠塚を介するシーホースの負債メモの送付について
1 右の点について、被告人は、次のように供述する。
 もともと右メモの原本は、シーホースの整理計画をたてる資料として四月三日に作成して、坂本等に渡してあったもので、同月末ころ、そのコピーが坂本から篠塚に渡ったものである。被告人が五月二八日に負債メモを篠塚に渡し、学会執行部に届けるよう依頼したことはない。
 同日は午後二時ころ篠塚と、午後四時ころ税務関係のコンサルタントをしている秋山二郎とそれぞれ会う約束をしていたが、秋山が約束の時間より早く午後三時過ぎころ来訪したので、同人と新一ビル二階の喫茶店「多賀美」でシーホースの税務処理等について話をした。その途中で篠塚が約束の時間に遅れて右「多賀美」に入って来たので、被告人は、秋山との面談を中断し、隣のテーブルで篠塚と会った。篠塚は、挨拶の後簡単な話をしただけで一五分位で帰ったもので、その際、被告人が負債メモ等を同人に渡したことはない。
 篠塚は、同月二二日ころ電話で、「山崎からシーホースのことを聞きたいと言われているが、学会と被告人との間で何かあったのですか。」などと、また、同月二五日には「シーホースのことをもっと詳しく聞きたいし資料を見たいから明日山崎が来ると言っている。」などと、シーホースの整理に絡んで被告人又はシーホースと学会との関係について聞いてきたが、被告人は篠塚を信頼していなかったので、三億円がシーホースに出たこと、シーホースと学会との関係等一切話していない。
 坂本証人は、四月三日作成のメモの原本を被告人から受領し、そのコピーを四月二三日ころ篠塚に渡した状況について、右被告人の供述に沿う証言をし、秋山証人も、被告人の供述に沿い、「五月末ころの午後二時か三時ころ、『多賀美』で被告人から税務処理の相談を受け、一時間位話をしたが、その間被告人のところに、四、五〇歳位、サラリーマン風でない、がっちりした、背のあまり高くない男の客があり、被告人は自分との話を中断してその客と二、三分簡単な話をした。その際書面のやりとりはなかった。その男が帰ってから被告人は『今の人は債権者代表だ。』と説明した。」旨証言している。
 弁護人は、以上の証拠等に基づき、「篠塚は、被告人を恐喝罪に陥れるための一種のおとりの役をつとめたものであって、その供述は全体として信用できない」旨主張する。
2 しかし、証人篠塚は、ほぼ判示事実に沿う供述をしており、その供述は、きわめて具体的である上、当時の客観的な状況にもよく符合又は照応していて自然であると認められる。たとえば、同証人の供述中、(一)同証人が被告人から同月二二日に「なか田」で「内藤が暴走した。」「池田の身の下のオンパレードだ。」「もう止まらない」などと、また同月二六日の電話で「二日前に内藤記事のゲラを溝口に渡してある。」などと聞いた旨供述する 部分は、被告人が同月二〇日に内藤から池田の女性スキャンダルを含む右記事の原稿を見せられ、同月二四日に溝口に右記事のゲラを示し、これを持ち帰らせた事実(判示罪となるべき事実等第二の一2、4の事実)と符合し、(二)被告人から同月二二日の「なか田」会談及び同月二三日の電話で「自分にも文春が書け書けと言ってきている。」「自分も文春に書く、ペンネームは華悟空ということでやりたい。」などと言われた旨供述する部分は、被告人が六月三日のルモンド会談で桐ヶ谷に対し「本当に僕が戦争するんだっていうんだったらマスコミの力を借りてやるしかないんですよ。」「今だって僕に書け書けってうるさいですよ。一枚五万円で書けって言うんだもん。」などと述べている事実(前同二2の事実)に照応し、(三)被告人から同月二八日に新一ビルの喫茶店で「互いに弾を撃ち合わないという信義の下で矛を収めて来たが、また悪口を言われ始めてきた。抗議すると、誰が言った、すぐ注意すると言うが、それが常套手段だ。」などと言われたと供述する部分は、被告人が同月二〇日ころの電話で溝口に対し男子部の安本が韓国で被告人の悪口を言ったこと等について苦情を述べた事実(前同一6の事実)と符合し、(四)被告人から同日同所で「ポスト、 新潮もやるそうだ。」「自分も文春で連載を五回書く。」などと言われた旨供述する部分は、被告人が内藤に対し週刊新潮及び週刊文春に情報を提供することの了承を求めた事実(前同一5の事実)、同月二八日又は三〇日ころから週刊ポスト、週刊新潮及び週刊文春の記者が学会に来訪するなどして、月刊現代六月号の内藤の記事に関しコメントを求め、取材を始めた事実(前同一9の事実)、被告人が六月三日のルモンド会談及び同月四日の山崎との電話で桐ヶ谷又は山崎に対し週刊新潮又は週刊文春の動きについて詳しい情報を伝えている事 実(前同二2の事実等)に照応し、(五)被告人から五月二六日の電話で「今回は三割出すが七割は出さない。」「和戦両様の構えでいく。」などと言われ、同月二八日に新一ビルで「内部の人達は和戦両様の構えでいけと言っている」と言われた旨供述する部分は、被告人が桐ヶ谷に対し、同年六月二日の電話で「すでにマスコミで明らかにされているのは三で、 まだ残っているのが七だ。」「戦争になったら一〇のものが全部出る。」と述べ、また同月三日にルモンドで「内藤は自分としては和戦両様のつもりでいる」旨を述べた事実(前同二1の事実等)と言葉の上で相通ずるばかりでなく、現に被告人が六月二目以降の桐ヶ谷及び山崎との折衝にあたり、一方で学会に対し強力な攻撃を加えるべき旨を示しつつ、他方で学会からの「懐柔」や「話合い」に応ずる態度をとり続けていた事実(前同二1ないし5参照)と符合し、いずれも自然であると認められる。
 また、篠塚証人は、被告人から右負債メモを学会執行部に届けるよう依頼された際、「それを篠塚さんの手で転記して持って行って下さい。」と言われたので、その指示に従い、自ら転記した上、その自筆のメモと併せて元の負債メモを山崎に渡したと供述するところ、右供述は、その内容が具体的である上、右転記したメモの存在によっても裏付けられている( 篠塚が、弁護人の主張するように、被告人を陥れるためにことさら虚偽を述べているとすれば、被告人の指示により転記したなどと述べて自筆のメモを用意するまでの必要はなく、このような点についてまで虚偽を述べているとは考え難い。)。
3 さらに、篠塚が右負債メモを転記した自筆のメモとともに右負債メモをも山崎に渡し、被告人の言動を伝えた際の状況については、篠塚証言のほか、これと符合する山崎証言があり、これら証言には、篠塚が右各メモを山崎に渡したとき山崎が「君は被告人の窓口として来たのか。」と篠塚を詰問したこと、篠塚の帰り際に山崎が「今日は会わなかったことにしよう。」と言ったこと等、頭の中だけで担造して供述することは困難と思われる事実も含まれており、かつ、山崎が「今日は会わなかったことにしよう。」と言ったという点は、次項で引用する六月四日の被告人と山崎の電話で、山崎が先日篠塚から話を開いた際、(実は話は十分聞いたけれども)「あいっには聞かなかったよって言った。」と述べていることとも符節を合しているので、全体として信用性が高いと認められる。
4 六月四日午前中の被告人と山崎の電話(判示罪となるべき事実等第二の二の4参照) では、山崎が篠塚からシーホースの整理について話を聞いたことが重要な話題となっている。すなわち、右電話において、被告人が山崎に対し、シーホースの整理について学会に相談し、要請したいことがあるのだが、折悪しく月刊現代等による激しい学会批判の動きが起きたため、虚心坦懐の話ができなくなってしまった旨を述べたのに対し、山崎は、「率直に言うけど、シノさんの方からこの前会った時もちょっと話があったので、僕その話を聞いてさ、あいっには聞かなかったよって言ったけど、やっぱり何か応援できることなら考えなくちやいけないなって思ったしね。」と、シーホースの整理に関し篠塚を通じて話を聞いている旨を述べ、被告人も、これに応じて、「どういうふうにしたらいいかということを、僕一人ではどうしようもないから相談に乗ってもらいたいと思っていた。八州(篠塚)にももし親身にやってくれるなら力借りて。だから多少のことを篠塚にも話したわけ。」と言い、ここで山崎から再度篠塚からの話は十分聞いた旨告げられると、「たまたま今度北條さんと会うんだって話聞いたからね。で、どうなってんのと聞くから、いや八州君誰にも言わないでくれよと……。」と切り出し、そのとき篠塚に話した説明に仮託して、シーホース整理の方針、整理に必要な金額等を詳細に説明している。 右電話の内容からみると、山崎が六月四日より前にシーホースの整理に関し、篠塚から話を聞いていることが明らかであり、しかも、山崎が右篠塚の話は被告人の意を受けたものであると理解していたこと、被告人も山崎のそのような理解を是認した上、当時篠塚にした説明に仮託して、シーホースの整理の方針、整理に必要な金額等を山崎に詳しく説明したものであることが推認される。
 けだし、右の電話で山崎が篠塚から話を聞いた件を持ち出したのは、被告人が「虚心坦懐に話ができなくなった」と言ったのに対し、シーホース整理の状況や被告人の意向は篠塚を通じてある程度聞き知っていることを告げ、被告人が話を切り出し易くすることにあったことが明らかであり、仮に山崎が篠塚の話を被告人の意を受けたものと考えていなかったとすれば、右の場合にとっさに篠塚から話を聞いた件を持ち出し、かつ、同人の話を十分聞いた旨を強調することはなかったであろうと思われる。また、被告人としても、仮に被告人が供述するように、当時被告人が篠塚を信用せず、同人にはシーホース整理について本当の話をしていなかったとすれば、右電話において、山崎から「篠塚からも十分話を聞いた」と言われた際、篠塚が山崎にどのように話したのかを心配し、その点を山崎に確かめるなり、篠塚には本当のことを話していない旨を伝えるなりするのが当然であり、前記のように、そのまま山崎の言葉に乗り、篠塚に「多少のこと」を話したとした上、その実同人に対して行った説明に仮託して、シーホース整理の方針、整理に必要な金額等につき詳細な説明を始めることはなかったであろうと考えられる。
5 篠塚証言によると、同人は、五月中旬ないし下旬ころ、被告人から判示のように事情を打明けられて、被告人の企図を支持、応援するような態度を示す一方、北條及び山崎に対しては被告人の言動に関する情報提供を約しており、本件負債メモを学会執行部に届けるについても、いったんは被告人の依頼を承諾し、その指示によって負債メモを転記して自筆のメモまで作りながら、結局は山崎に対し右自筆メモのほか被告人から渡された負債メモをも提出し、被告人の言動を詳細に報告したというのであるから、その行動には明朗を欠くところがあり、それだけに、その証言の信用性については、慎重な検討が必要である。
 しかし、前記2ないし4の事実に徴すると、同証人の供述が虚構であるとは、とうてい認められない。また当時、篠塚が被告人から負債メモを転写して学会執行部に届けるよう依頼されていないのに、自らそのような事実を虚構して右負債メモ等を山崎に提出し、かつ、被告人の言動について、これまた全く虚構の情報を伝えるべき理由はないと考えられ、証拠上も同人がそのような行動に出たことを窺わせるような状況は全く認められない。
 また、学会首脳が篠塚を使って被告人が学会に対して金員を要求するように仕向けたと疑うべき状況も存しない。被告人は、六月二目以降、自ら積極的に桐ヶ谷及び山崎に接触し、学会に対する脅迫及び金員の要求を行っており、その過程で、桐ヶ谷又は山崎の側から被告人を挑発又は誘導して脅迫又は金員の要求を行わせたと疑うべき点がないことは、後記四4、六4のとおりである。右の状況からしても、五月二八日の時点で学会が被告人に対し金員を要求するよう仕向けたというのは考え難いことであり、むしろ、被告人が篠塚を使って学会に対しシーホース整理になお巨額の金員を要することを伝え、金員要求の意思を暗示したと認めるのが自然である。
6 篠塚の学会に対する立場、学会首脳及び被告人との関係等からすると、当時被告人が負債メモを学会執行部に届ける役目を篠塚に依頼するのも自然であったと認められる。
 篠塚は、聖教新聞の編集局次長を務めた後、昭和四五年に退社し、その後は学会の待遇等について強い不満を抱いていたが、他方、学会側の配慮により年一回程度北條等学会首脳と会食するなど、なお同人らと接触を保っている状況にあった(篠塚供述)。また、篠塚は、シーホースと継続的な取引のあった東冷商事の代表取締役で、シーホースの倒産に際しては、同社の債権者委員となり、被告人との接触の機会も多く、同年四月二四日には被告人から四〇〇万円を受領して事実上の優先弁済を受け、シーホース整理について被告人に全面的に協力し、また、同年五月一九日ころまでに被告人から合計約四〇〇万円の金員の供与を受けている(篠塚供述、被告人供述)。以上のような事情に徴すると、被告人が篠塚に対し判示のようなことを打明けた上、判示負債メモを学会執行部に届けるよう依頼することも自然であったと考えられる。
7 次に、五月二八日の状況について検討すると、被告人の能率手帳(昭和五五年分)の五月二八日の欄には、午後二時三〇分ころにあたる部分に「しのづか」、同四時にあたる部分に「秋山」との各記載があるところ、篠塚証人の「午後二時ころ被告人の事務所を訪れ、同ビル二階の喫茶店(多賀美の意と認められる。)で被告人と会談し、帰る時に次の客が来ていた。」旨の供述は、右手帳の記載に照らしても信用性が高いと認められる。
 他方、秋山証人は、被告人と会った時刻については、「被告人と会うのは大抵午後二時か三時だから、その日も大体そのころと思う。」と述べるに過ぎず、同人が同日は午後四時に会う約束であったのに、約束の時刻よりも一時間近くも早く被告人方を訪れたことを窺わせるところはなく、また、同人が被告人と面談中に訪れたという客の人相、風体等に関する供述も、どれほど確かな記憶に基づくものか疑問がある。右秋山証言は、前記篠塚証言等と対比すると信用し難い。
8 被告人は、「同年一〇月末ころ、学会が警視庁に提出した告訴状のコピーを入手したが、その中に被告人が五月二九日ころ、篠塚を介して山崎に対し、シーホースの負債三四億円の三分の一位の金員を要求した旨の記載があったので、篠塚が勝手にやったのではないかとの疑惑を抱き、同年一一月一日ころ、篠塚に電話をし、同人に告訴状記載の事実を問い質したところ、同人は右事実を否定した。その際、右電話の会話をテープに録音した。」旨供述し、弁護人から提出された右録音テープには、被告人が篠塚に「僕はあなたに、山崎に告訴状記載のようなことを言ってくれと頼んだことはないでしょう。」と問うたのに対し、篠塚が「ええ、そういうアレは言いませんでした。」と答えるところがある。
 しかし、被告人が右の電話をしたときは、すでに被告人に対する恐喝未遂等の事件について捜査が開始され、篠塚も警察から取調べを受けている状況であったので、篠塚が、被告人の前記質問に本当のことを答えず、被告人の言葉に合わせて虚偽の応答をすることも、ありそうなことと認められ、右電話における篠塚の前記応答は、篠塚の証言の信用性を失わせるものではない。
9 以上の各証拠を総合すれば、同年五月二八日篠塚が被告人からシーホースの負債メモを受けとり、それを篠塚の手で転記して右負債メモと併せて山崎に交付した事実が認められ、それと相反する被告人及び証人坂本の前記各供述は信用できない。
三 同年六月二目の桐ヶ谷への電話について
1 被告人は、同年五月終りころから同年六月初めころまでの状況及び同月二日の桐ヶ谷への電話について、おおむね次のように供述する。
 学会は、同年五月終りころから、前記内藤記事に被告人が関与しているとの誤解に基づき、シーホースの債権者に告訴や破産申立を勧めるなど被告人に対し報復的攻撃を加え、被告人の担当していたシーホースの負債整理の妨害を始めた。特に同月二六日ころには、日原造園の社員が学会建設局職員に対し、同社がシーホースのためにイチビルに保証した債務の支払いに充てるため、墓苑工事代金の前払い等で面倒を見てほしい旨依頼したところ、右職員が「日原は被告人に脅されて勝手に二〇億円出したもので学会は知らない。被告人から取れ。」などと言って右依頼を拒絶したため、日原造園はイチビルに対する支払いができず、イチビルがシーホース整理に協力してくれなくなり、シーホース整理がデッドロックに乗り上 げたと感じた。
 そこで被告人は、同年六月二日から同月四日までの間、桐ヶ谷及び山崎と接触し、(1)内藤をはじめとするマスコミの動きは被告人の意図によるものではないことを説明し、(2)右のようなマスコミの動きは、むしろ学会の対応の不手際にあるため、有効な対応をする必要があることを忠告し、(3)学会によるシーホースの整理の妨害を直ちに中止するよう求め、(4)右妨害によって窮状に陥ったシーホースの整理状況を説明して学会の協力を求めようとした。
 六月二日の桐ヶ谷との電話では、被告人が学会のシーホース整理に対する学会側からの右のような攻撃、妨害をやめてほしい旨申し出たのに対し、桐ヶ谷が月刊現代の内藤記事の内容がひどいと感想を述べた後、マスコミの動きについて教えてほしいと言ってきたので、翌日午後会って話す約束をしたのみであり、桐ヶ谷の供述するような内容の話はしていない。
2 しかし、桐ヶ谷証言によると、同人は、右電話をしながら、被告人の話の要点をメモ用紙にメモしていたと認められるところ、右メモの記載は、電話の内容に関する同証人の証言を裏付けるものである上、同証言等により認められる電話の内容は、翌三日のルモンドにおける被告人と桐ヶ谷の会談の内容(録音テープ)に照らしても自然であり、信用できる。 また、内藤記事に対する被告人の立場については、前記一参照。
 なお、仮に弁護人の主張するように、桐ヶ谷が被告人を罪に陥れようとしているとすれば、録音テープまで存在する六月三日の「ルモンド」会談とほぼ同内容のことを、六月二日にも電話で話されたなどと虚偽を述べ、これに沿ったメモを偽造するような必要はないと考えられる。
3 被告人は、右の電話の要点は学会がシーホース整理の妨害をやめるように申入れるところにあった旨供述するが、この点は、同月三日のルモンド会談及び同月四日午前一〇時ころの被告人と山崎の電話の内容等に徴しても信じ難い。
 ルモンド会談において、被告人は、桐ヶ谷に対し、学会からシーホース整理について種々の妨害があったことを相当詳細に話しているが、いずれも過去の事実として、学会の不当を非難するにとどまり、現在の問題として、その中止を求め、又は配慮を願うような態度は示していない。また、被告人が学会の妨害行為中とくに重要だと強調する日原造園と学会建設局職員の折衝に関する話は全く出ていない(被告人は、別の個所で話しており、その部分は録音から削除されていると主張するが、それにしても、学会の妨害行為をしきりに非難している前記の個所に、最も肝心な話が出てこないのは不自然であり、なお、録音の削除に関する被告人の主張が信用できないことは後記四3のとおりである。)。
 また、被告人は、同月四日午前一〇時ころの山崎に対する電話では、いっそう詳細かつ執拗に、学会からシーホース整理について妨害があったことを話しているが、ここでもそれらの妨害はすべて過去の事実として語られ、そのような妨害によりシーホースの整理が予定どおりに順調に進まなくなったので、再度学会において資金援助をしてはしいという要求に結び付けられていることが明らかであって、現在の問題として、その中止を求めるような態度は全く示していない。また、日原造園と学会建設局との折衝に関する件は、被告人が「僕が日原を脅して二〇億円、墓苑のあれの中から金を出させたみたいなことを債権者に告げ口するのがいて。」と言い、山崎が「誰が言うのかな。そういうくだらんことは誰が言うのかしらね。」と尋ね、被告人が「本部職員ですよ。」と答えた会話の中に、僅かに頭をのぞかせているが、それに続いて山崎が「本部職員。言わねえって。」と応ずると、被告人は、「そうじゃないですよ。いつでも出しますよ。ほんとに。いるんだから。」と言うのみで、それ以上具体的な事情を説明しようとしていない。
 仮に被告人が主張するように、当時、右の問題がシーホース整理をデッドロックに乗り上げさせるほど重要な意味をもっていたとすれば、被告人としては、右の機会に山崎に対し、具体的に事情を説明して格別の配慮を求めるのが自然であり、右の事情を全く知らない様子で応答する山崎に対し、「そうじゃないですよ。いっでも出しますよ。ほんとに。いるんだから。」と言うだけで話を打ち切ってしまったというのは理解し難いところである。
 なお、日原造園と学会建設局職員の折衝の件は、被告人の検面調書及び上申書にも現われていない。
 したがって、前記桐ヶ谷証言等と対比すると、右被告人の供述は、信用することができない。
四 同月三日のルモンドでの会談について
1(一) 弁護人は、右の点について、
(1)右会談における被告人の発言は、内藤をはじめとするマスコミに対する学会の対応の仕方について忠告するとともに、シーホース整理についてそれを取り巻く情勢の厳しさを説明して学会側の協力を求めたもので、学会を脅迫する意図はなく、
(2)右会談における被告人の発言を録取したとされる録音テープは、録取した被告人の発言を部分的に削除するなどして編集したものであり、
(3)右会談において桐ヶ谷は、ことさら被告人から脅迫ないし恐喝に結びつく言葉を引き出そうと誘導していた
 と主張し、
(二) 被告人も右(一)(2)について、
(1)学会側の対応が悪く内藤を怒らせ学会批判記事を執筆させるに至った経緯を説明した部分及び
(2)学会建設局職員が、日原造園の担当者に対し、シーホース整理を妨げるような発言をしたこと(前記三1参照)を説明した部分
 が右録音テープから部分的に削除されていると供述する。
2 しかし、桐ヶ谷証言及び録音テープによると、ルモンドにおける会談の模様については、判示の事実が認められ、その際の被告人の言辞は、学会に対する重大な脅迫を含むことが明らかである。
 すなわち、被告人は、右会談において、
(一) 学会をめぐるマスコミの動きについて、「内藤さんが火つけ役よ。」「ここで大いにやってもらおう。」と言った上、「内藤さんもう一発書くよ。」「新潮はあれでも生ぬるいって言って騒いでいたね。もっとどぎつく書きまくるって言っているよ。」「告訴されたらどうするんだと言ったら、証人が出るんだって言っている。一つや二つは明らかに証言できるって。」「法廷に池田さんに出てもらうんだって。新潮もそう言っている。内藤もそう言っている。」などと、被告人自身、内藤記者や週刊新潮の学会批判の動きにその内部で深くかかわり、これに影響力を及ぼすべき立場にあることを言外に示しつつ、そのようなマスコミの学会批判がさらに厳しくなるであろうことを強調し、
(二) また、「本当に僕が戦争するというんだったら、マスコミの力を借りてやるしかないんですよ。」と言い、次いで被告人自身も雑誌社から好条件で執筆を勧められていることを強調した上、「名誉穀損で告訴されたら、本当だという証人になってくれる人がいくらでもいる。」「袴田のものより僕のものの方が迫力がある。」などと述べ、自ら週刊誌等に学会又は宗門の機密に属する事項に関し、学会を批判攻撃する記事を執筆発表することもある旨を示し、
(三) 学会の体制に反対する学会内外の動きについて、まず、学会員一万人位による全国的な「集団告発」の動きがあることを話題とし、自らその運動にかかわり、又はその内情を知悉してこれを支持する立場にあることを言外に示しながら、運動の狙いや効果を詳細に説明し、
(四) 「月刊ペン事件」について「裁判をやり直し」「事件のネジを掛け戻そう」とする動きがある旨を述べ、その際、桐ヶ谷から被告人自身がそれをやっているのではないかなどと反論されるや、事実を否定せず、かえって、「学会にも金載圭が必要なのかも知れないよ。」などと言い放ち、
(五) 学会組織の中にも「学会はこの際うみを全部出してきれいにしてからやった方がいいのじゃないか。」という意見が強く、その「うみ出し作業」を被告人にやってもらってもいいという人もあるなどと述べた上、状況によっては被告人自身その作業にあたることも辞さない意向を示しつつ、「金載圭でいいよ、俺は。」と揚言し、
(六) さらに、「僕はもうミサイルしか持っていない。」「我慢できないところまできたら撃ちますよ、と北條さんに言ってある。」「僕はまだ撃っていない。」「昔の不発弾が今ごろバカバカやっているだけだ。僕が撃ったらあんなものじゃない。」「四七年以降の学会の構造てえのは壊れますよ、僕が本気で動き出したら。」などと述べ、状況によっては、強烈な学会攻撃を行うべき旨を示し、
(七) なお、被告人が学会及び宗門の秘密を握っており、「前の祝下から委任状とか手紙とか、そんなものも頂いている」旨をも強調した上、
(八) 「僕を懐柔する気はあるんですか。」「僕を懐柔する気はあるんですか、学会さんの方では。」「はっきりさせて下さいよ、早く。」と厳しく学会の対応を問うており、判示のとおり、被告人がかつて日達に親近し、活動家僧侶等と結んでその激しい学会攻撃を支援していたこと、被告人が内藤と親しく、週刊誌の関係者等とも接触があると見られていたこと、当時は内藤がいわゆる宮本邸盗聴事件や池田の女性スキャンダルを含む学会批判の記事を月刊現代に執筆し、週刊新潮や週刊文春も同様のことについて取材を開始しており、被告人が内藤等に右情報を提供し、学会攻撃を始めたのではないかと当然疑われる情況にあったこと等を考慮し、被告人の前記言辞を全体としてみると、被告人が、学会において被告人の要求を容れ、被告人を「懐柔」する策に出なければ、今後さらに内藤その他のマスコミ関係者に学会若しくは宗門内部の秘密の情報を提供し、又はそれらに関し自ら雑誌等に記事を執筆するなどして、マスコミの学会批判をいっそう盛んにし、かつ、活動家僧侶、「檀徒」又は学会内の反体制勢力と結んで学会攻撃を行うべき旨を示して、学会を脅迫していることは明らかであるといわなければならない。
 被告人においても、前記の状況を十分認識しながら、あえて前記の言辞を述べたものと推認されるから、脅迫の意思があったと認められる(右脅迫の意思の点は、同月四日の被告人の桐ヶ谷に対する電話によって、いっそう明らかに示されることとなる。)。
 なお、右被告人の要求が何であるかは、ルモンド会談では明示されていないが、被告人が同年五月二八日に篠塚を介してシーホースの負債メモを山崎の許に届けていること、ルモンド会談でも被告人がシーホースの整理の件を繰り返し話題とし、学会からの妨害によりその整理がうまくいかなくなった旨を強調したこと等から、桐ヶ谷からルモンド会談の模様について報告を受けた北條その他の学会首脳は、被告人がシーホース整理の授助名下に巨額の金員を要求してくるであろうと考えたこと(北條の検面調書、八尋供述)、現に当時、北條等がそのように推測すべき客観的な状況が存在したことが認められる。
3 次に、録音テープの削除、編集の有無について検討すると、
(一) 桐ヶ谷証言によれば、右録音テープには、録音に使ったマイクロカセットテープレコーダーのテープ速度の操作を誤ったため、テープ片面に九〇分間録音するつもりが、実際には四五分間しか録音されておらず、したがって、被告人との約三時間に及ぶ会談のうち、最初の約四五分間がテープ片面に、会談開始後約九〇分を経過したときからの約四五分間が他の片面に録音されたものと認められるところ、テープ片面に録音された会話等の長さはいずれも約四五分間(四五分四〇秒ないし五〇秒)である上、その間に関する限り、喫茶店ルモンド店内にバックグラウンドミュージックとして流れる音楽等が切れ目なく会話とともに録音されており、また会話の内容、流れからみても特段の中断を窺わせるところは認められない。
(二) また、被告人が録音から削除されたと主張する内容についてみても、日原造園と学会建設局職員の折衝の件については、当時被告人が学会に対しその点に関し配慮を求めていたと認められないことは前記三3のとおりであるから、被告人がルモンド会談でこの点を話題にしたという被告人の供述は信用し難い。また、内藤記事及びこれをめぐるマスコミの動きについても、被告人の「内藤さんが火つけ役よ。」「ここで大いにやってもらおう。」という言葉に始まる会話はそれ自体きわめて自然で完結しており、これ以外に録音から削除された部分があることを窺わせるところはない。
(三) 証人桐ヶ谷は、右テープの内容はルモンドの会談の模様をそのまま録音したものである旨証言しており、前記の検討の結果に照らしても、右証言は信用できると認められる。
4 次に桐ヶ谷による誘導の有無について判断する。
右ルモンドにおける会談のうち、テープに録音された部分の会話の内容をみると、判示のとおり、被告人がほとんどの話題を提供して会話を主導し、桐ヶ谷は主として聞き役にまわり、ときどき反論したり、宥めたりしながら、被告人に応対していたもので、桐ヶ谷の方から持ちかけた話題は、(ア)内藤記事のゲラが出まわっていること、(イ)社長会記録の持出しに関すること、(ウ)「俺達としてみればもうあれ(同年四、五月の三億円供与の意。)で解決ついたと思ったよ。」と述べたこと等、ごく僅かな事項に限られることが明らかである。
 そして、前記認定にかかる脅迫の過程を仔細に検討しても、桐ヶ谷がことさら被告人の脅迫を誘導し、又は挑発したと疑うべきところは全く認められない。
五 同月四日の桐ヶ谷への電話について
1 被告人は、右電話の内容について「学会において内藤に対し適切な対応策をとった方がよいこと、学会が内藤との対応をきちんとやるならば被告人として協力できることは協力すること、シーホースの整理が決定的に破綻しないよう学会で何とか手当をしてほしいことを桐ヶ谷に伝えたのみであり、桐ヶ谷の供述するような内容の話はしていない。」と供述する。
2 しかし、桐ヶ谷証言によると、同人は右電話をしながら、被告人の話の要点を銀行のメモ用紙にメモしていたと認められるところ、右メモの記載は、電話の内容に関する同証人の証言を裏付けるものである。
 また、同証言等により認められる電話の内容は、前記ルモンド会談における会話の内容と照応し、自然であるばかりでなく、その重要な部分が同日午前一〇時ころの被告人と山崎の電話の内容(録音テープ)によっても裏付けられている。すなわち、桐ヶ谷証言等によると、被告人は、桐ヶ谷との電話で「俺と喧嘩をするのかしないのか、早く決めてもらいたい。 」「三か月位戦争をやるか。」「話し合ったらどうか。それからでも戦争は遅くない。」「今日中に右か左かはっきりしたい。」などと述べ、厳しく学会の対応を問うたということであるが、前記被告人と山崎の電話では、まさに右の事実に照応するように、山崎が「さっき桐ヶ谷に聞いたら戦争をするかどうかって話なんだけど、僕達戦争をする……。」と言いかけ、被告人が「これはもう無理やり引張り込まれてしまうから。」などと答えたのに対し、 再度、「こっちとしては戦争なんかをする気は毛頭ない。」と強調しているのである(判示 罪となるべき事実等第二の二の4(-)(二)参照)。
 なお、被告人は、右被告人と山崎の電話でいう「戦争」は学会と被告人の戦争ではなく、学会とマスコミ等の戦争を意味すると主張するようでもあるが、前に引用した山崎の言葉及びこれに対する被告人の応答を聞けば、山崎が学会と被告人の戦争について話し、被告人も山崎の言葉をそのように理解して答えていることが明らかである。
3 右の電話が前記ルモンド会談における被告人の言辞と相まって学会に対する脅迫にあたることは明らかである。
六 同日の山崎への二回の電話について1 弁護人は、
(-) 右各電話における被告人の発言は、内藤をはじめとするマスコミによる学会批判が被告人の意図によるとの学会側の誤解に対し、それが被告人の意図とは無関係である旨弁明するとともに、右誤解に基づく学会からの被告人攻撃及びシーホース整理に対する妨害行為を中止し、右妨害により窮状に陥ったシーホース整理について授助又は協力をしてくれるよう学会側に訴えたものであり、学会を脅迫する意図は全くなかった。
(二) 右会話において山崎は、ことさら被告人から脅迫ないし恐喝に相当する言質を取る目的で挑発的、誘導的応対をした旨主張する。
2 右各電話については、その内容をすべて明瞭に録音したテープが存在し、これによって、それぞれ判示の事実が認められる。
 第一回の電話においては、山崎が学会としては被告人と戦争する気はない旨を強調したのに対し、被告人は、同月二日以降の判示脅迫により、北條等学会首脳が畏怖しているであろうことに乗じ、学会に対し、学会からの妨害によりシーホースの整理がうまくいかなくなったと主張し、右整理の援助名下に五億ないし一〇億円程度の金員を要求すべく、右金員の要求があらわにならないように注意しながら、遠まわしの間接的な話法(後記3参照)を用いて、山崎に右金員要求の意思を伝え、山崎も遂に右被告人の意思を推察したものと認められる。
 また、右電話の最後の部分については、山崎が「分かりました。」と言って電話を切りかけたのに対し、被告人が「そのあとの問題ね、あの僕も」「やるだけやりますよ。」という言い方で、学会がシーホース整理のための授助名下に金員を供与してくれるなら、被告人においてもマスコミの学会批判を鎮静させる対策等について学会のためにできるだけ努力する用意がある旨を伝え、しかし、そのような条件で学会から金員の供与を受けた場合、恐喝の疑いを受けることを避けられないところから、直ちに「ただ会社のその問題と今の流れの問題は別に考えてもらわないと困る。」と付言したものと認められる。
 なお、被告人が学会からの妨害によりシーホースの整理がうまくいかなくなったことを強調するにあたり、暴力団員が学会や公明党に押しかける状勢にあるなどと繰り返し述べている点は、判示のとおり脅迫にあたると認められる。
3 第二回の電話においては、被告人が「それでどうします。」「会って話します?」などと、早速にも山崎と交渉に入りたい姿勢を示しつつ、山崎の対応を問うたのに対し、山崎が「あの一遍相談したいと思ったんだけどね。どうしますかね。和戦と戦いということになった場合どうしたらいいかということよね。」などと、被告人の要求の内容について打診し、被告人は、当初話をマスコミの動向や韓国の情勢の方にそらして、答えを避けていたが、山崎から再三問われるに及び、遂に「会社の方は、僕としても非常にきつい立場になっちやったから、その分少しまた応援してもらえるのかどうか。」「もらえるとすれば、どういう形でどの辺で、どういう時期までにしていただけるのか。」などと述べ、山崎から「大体どの位ですか。」と尋ねられると、「だから僕の見通しとしてはね、やっぱり五億前後位までで一切押さえちやいたいと思ってんですよ。」と答え、結局、シーホースの整理のための援助名下に五億円を要求し、なお、最後に、「ろくなことないですよ。喧嘩したら。」「うちは弱い。負けるに決まっているんだ。」「旗印かかえているんだから、一発でもそこへ弾飛んできたら負けなんだもん。」と申し向けて脅迫したことが認められる。
4 弁護人は、右二回の電話において、山崎が被告人から脅迫ないし恐喝に相当する言質をとる目的で挑発的、誘導的な応対をしたと主張するが、録音を仔細に検討しても、同人がことさら右の目的をもって挑発、誘導等を行った事実は認められない。以下、金員の要求についての折衝を中心に判断を示す。
 第一回の電話においては、
(一) 山崎が再び「こちらの気持としては戦争なんかする気は毛頭ない。」と述べたのに対し、被告人が「僕の立場というのはね、非常に困っているわけ。」と前置きした上、進んでシーホースの整理のことを話題にし、学会からの種々の妨害によりシーホースの整理がうまくいかなくなった旨を強調した上、
(二) 「そういうことで、僕が当初考えていたような形できちっと着地をすることができなくなってしまった。」「どうしたらいいんだろう、困ったなあって相談を溝口なんかにしていた。」「その最中に、こういうものが横っちょからバーツと出てきたでしょう。それが一緒になると、僕としても虚心、坦懐の話ができなくなっちやったわけよ。」「こういうわけで、こうなったんですけど、ひとつもうちょっとこういうふうにしてくれませんかとか、この点何とかならんでしょうかとか、そういう話ができなくなっちゃったわけよ。」と述べ、あたかもシーホースの整理について学会に相談し、要請したいことがあるのだが、月刊現代、週刊新潮等による激しい学会批判が始まった状況下では、被告人の方からはそれを切り出し難いかのように言い倣し、
(三) ここで山崎から「いや、だからね、率直に言うけどね、シノさんの方から、この前会ったときもちょっと話があったので、僕その話も聞いてさ、やっぱり何か応援できることなら考えなくちやいけないなと思ったしね。」などと言われると、再び学会からの妨害によりシーホースの整理がうまくいかなくなったことを強調した上、「それで僕一人ではどうしようもないから、相談に乗ってもらいたいなと思っていた。」「だから多少のことを篠60塚にも話したわけ」などと述べ、ここで再び山崎から、篠塚の話は十分聞き、そんなこともあるんだろうなあと心の中では感じていた旨告げられるや、
(四) 「たまたま今度北條さんと会うんだって話聞いたからね。で、どうなってんのと聞くから、いや八州君誰にも言わんでくれよと……。」と切り出し、以下、篠塚に対して行った説明に仮託して、シーホース整理の方針、右整理に必要な金額等について詳細に説明し、
(五) その途中で山崎が被告人の意図を察知し、「なるほどね。分かりました。まあじゃあ。」と言って電話を切りかけ、続いて前記2後段のような会話があったことが認められる。
 右(一)(二)(四)及び(五)の各過程で山崎から挑発、誘導等がなかったことは明らかである。また、(三)の過程における山崎の各発言は、これに続く被告人の話を誘い出すきっかけとなったものと認められるが、山崎が右のような言葉を述べたのは、被告人が学会に相談し、要請したいことがあるのだが、自分からは切り出しにくい状況になった旨を述べたのに応じ、被告人がそれを切り出すきっかけを作ろうとするものであったと認められ、右山崎の発言により、被告人がそれまで意図していなかったことを話し出したというような状況は全く認められない。
 以上の経過によれば、被告人が当初から山崎に対し金員要求を伝える意図をもち、これを遠まわしに間接的な話法で伝えたことが明らかであって、被告人の金員の要求が山崎の誘導等によるものであるとは認められない。
5 第二回の電話においては、山崎が、第一回の電話で被告人から出された金員の要求につき、その具体的内容を被告人から聴き取ろうとして、繰り返し被告人に打診し、当初答えを避けようとしていた被告人から、遂に具体的な要求を聞き出したことが認められる。
 しかし、前記のとおり、被告人はすでに第一回の電話で金員の要求を山崎に伝えており、第二回の電話はそのことを前提とするものである上、第二回の電話の会話等からしても、右電話で被告人が山崎の質問に答えて述べた具体的な要求の内容は、あらかじめ被告人が学会に要求しようと考えていたものであると認められるから、山崎が右電話において挑発、誘導等により被告人から金員の要求を引き出したとは認められない。
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