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■生活保護法立案者は扶養義務と生活保護の関係をどう考えていたか

 某芸人さんの親族が生活保護を受けていたことが問題視された件に触発され生活保護法の立案者はいったい生活保護と扶養義務についてどう考えていたのか調べたくなった。生活保護にかかわる専門家の間では甚だ有名な生活保護法の立案者・当時の厚生省社会局保護課長、小山進次郎氏の手による書、「改訂増補 生活保護法の解釈と運用」(中央社会福祉協議会、1951年)に当たった。以下ページ数のみが記されているのは全てこの書籍からの引用である。
 これによると、生活保護法第4条第2項が「民法 (明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする」とした趣旨について次のようだと説明している。

 生活保護法による保護と民法上の扶養との関係については、旧法は、これを保護を受ける資格に関連させて規定したが、新法においては、これを避け、単に民法上の扶養が生活保護に優先して行わるべきだという建前を規定するに止めた。
 一般に公的扶助と私法的扶養との関係については、これを関係づける方法に三つの型がある。第一の型は、私法的扶養によつてカバーされる領域を公的扶助の関与外に置き、前者の履行を刑罰によつて担保しようとするものである。第二の型は、私法的扶養によつて扶養を受け得る筈の条件のある者に公的扶助を受ける資格を与えないものである。第三の型は、公的扶助に優先して私法的扶養が事実上行われることを期待しつゝも、これを成法上の問題とすることなく、単に事実上扶養が行われたときにこれを被扶助者の収入として取り扱うものである。而して、先進国の制度は、概ねこの配列の順序で段階的に発展してきているが、旧法は第二の類型に、新法は第三の類型に属するものと見ることができるであろう。
 なお、単に民法上の扶養といい、英国や米国の例に見られるように生活保持の義務に限定しなかつたのは、我が国情がいまだ其処迄個人主義化されていないからである。
(119-120頁)

 この部分はすでに多数引用があり、実際に目にされた方も多いであろうが興味深いのは最終行である。生活保持義務に限定しなかったのは国情がなお個人主義化されていないからだと言うのである。すでに老人の所得保障制度としては公的年金制度が中核的な役割を担い、実際に親に仕送りしている世帯はたったの2%に過ぎない。すでに個人主義化は進んだのであるから生活保護において優先すべきとするのはもう生活保持義務(つまり、夫婦間、及び夫婦間と未成熟の子に対する義務。「一枚のパンをも分け合う義務」と呼ばれるほど強い義務が存在する)に限定していいのではないだろうか。自民党の世耕さんや片山さんは子が親を扶養するのは当然という「常識」を取り戻さねばとしているがそれは時計の針を戻すようなものに過ぎない。
 それはさておき生活保護法は実際に扶養が行われたときにそれを被保護者の収入としたのみだというのは衝撃的である。もっとも、その後から次のような記述があるのではあるが(129ページ)。

 なお、扶養の程度について当事者間に協議が成り立つた場合でも、その者から受ける扶養だけでは、扶養権利者が生活することが出来ず、これに追加して生活保護を受けなければならない場合には、その程度が前述の原則に従つて夫々の限度に達する程度において定められているかどうかを検討し、若しその限度に達していないことを発見した場合には、その限度に達する迄扶養の程度を高めるよう再協議させなければならない。

 と、単に扶養が行われた場合にそれを差し引くだけということよりはかなり踏み込んだ記述となっている。また、法律上の問題として取り運ぶのはやむを得ない場合に限るようにせよという記述も存在し(130ページ)、これは逆に言えばやむを得ない場合には法律上の問題として取り扱うことも出来るという見解であるから単に実際に扶養が行われた場合にそれを差し引くだけというのでは立案者の意図から外れることにはなる。
 もっとも、ここでも生活保持義務を以外の扶養義務について「自分の生活が損われぬ限度において扶養すればよいのである」(128ページ)としているが、この場合の扶養能力の判定について「扶養義務者の現在の生活及び将来の生活設計に破綻を招来することのないように注意すること」(130ページ)としていることに留意されたい。つまり現在高額の所得があるからと言ってすぐに扶養すべきとはならないのだ。将来の生活設計をも考慮に入れなければならないのだ。
 この点、問題になった芸人さんは芸人という来年の収入すら不明のきわめて不安定な職であるのだからある時期に高所得を得たからといって扶養しろというのは明らかに行き過ぎであると考える。

 最後に、件の芸人さんは生活保護費を返還すると記者会見で表明したが、おそらくこの返還は生活保護法第77条第1項に基づいて行われるとみられる。同項は次のように定めている。

 被保護者に対して民法の規定により扶養の義務を履行しなければならない者があるときは、その義務の範囲内において、保護費を支弁した都道府県又は市町村の長は、その費用の全部又は一部を、その者から徴収することができる。

 と、扶養義務者からの費用の徴収を認めた条文となっている。で、この場合も扶養義務の範囲内という縛りがかかっているのであるが、これについては「扶養義務及び能力の判定は保護を実施したときを中心として判断すべきものであり、徴収を命ずるときではない。従って、(中略)保護を実施した後において扶養義務者に能力が生じても、実施の当時に能力がなければ徴収することもできないことになる」(819ページ)としている。これを件の芸人さんに当てはめれば生活保護法上返還を求められるのは芸人さんが扶養能力を持ったとき以降の保護費のみであるのだ。だからこそ件の芸人さんも収入が増え始めた時期からの分を返還するとしているのだ。これを全額返還しろというのなら低所得だった時期にも扶養する能力があったと認めるしかなく、低所得でも扶養させたという悪しき前例になってしまうのだ。皆さんは年収100万しかなくても扶養を要求されるのがお望みなのだろうか?

このブログでは次のような記事も書いていますから興味のある方はぜひ。
扶養義務ってどのくらいあるの?裁判所の判断は?
芸人さんの親を生活保護不正受給って言ってるけれど、その理屈だと今後は全て裁判所に判断してもらわないといけないね
親子兄弟以外の三親等の親族が扶養義務を負うのはどんなとき?
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テーマ:生活保護 - ジャンル:政治・経済

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