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■「有害」「不健全」規制についてごにょごにょつぶやき

今回の記事のまとめ
・性描写の不意打ちは暴力
・「傑作ならいいだろ」「表現の自由がある」などとワンフレーズで切り捨てられるものじゃない
・不意打ちを避け、しかし流通を確実に確保する手段を講ずるべきで、この辺のことを考えるにはインフォームドコンセントという概念が有効

「有害」「不健全」規制、とりわけ性描写についてのそれについてつらつら書いてみる。取り留めのない内容なので今回の記事は箇条書き形式になることをご容赦いただきたい。twitterに書くのも長いのでこっちに書く。

○確かにどぎつい性描写をいきなり見せ付けられるのはある種の暴力だ。そんな描写を見てトラウマになる者もいないと限らない。やや性質は異なるが「日本一醜い親への手紙」という本に初潮を迎えたときに父親がセックスとはどんな行為かというのを露骨に話してきてセックスに嫌悪感を抱いたという手紙が掲載されていた。こういう例を見れば性描写の不意打ちが暴力的だということがわかるだろう。
○しかし、性描写をすることによって青少年が影響されて犯罪が誘発されるともいえない。かなり古いデータになるが、2000年に発表された内山絢子氏が性犯罪の容疑で逮捕された者に調査した結果(警察学論集第53巻6号)によれば調査対象となった少年被疑者118人のうちアダルトビデオを見始めた年齢を答えたのは71人。愛好していると答えたのは52人であるからこの71人というのはおそらくはアダルトビデオを見たことのある人間の数と見ていいだろう。対照群として1999年に日本性教育協会が中学・高校生を対象に行ったアンケート結果を使う。これによれば男子中学生1,095人のうちアダルトビデオを見たと答えたのは34.1%、男子高校生1,081人のうちアダルトビデオを見たと答えたのは79.1%だ。逆算すれば男子中高生2,176人のうち1,229人がアダルトビデオを見たことがある計算になる。アダルトビデオ視聴経験について性犯罪被疑少年と一般中高生男子でオッズ比を出してみれば1.16、95%信頼区間は0.79-1.69である。これではアダルトビデオを見ている者の方が性犯罪に走りやすいとは言えない。もっとも、両者では対象者の年齢構成が違うので一概には比較できないとは思うが、性犯罪被疑少年の方が年齢構成は高め(ほとんどが中卒以上の年齢)なので問題はないだろう。
○内山絢子氏も東京都青少年問題協議会でメディアと性犯罪の関係は一概に言えないと明言している。メディアに触発されて性犯罪が誘発されるというのは間違いといっても過言ではない。とりあえず安心してほしい。
〔2011.1.7追記〕「有害規制監視隊」内ページによればメディアの悪影響を支持する証拠も多いとの事。したがって取り消し線を引かせていただきます。まとまった訂正と追記は後でやる。
○個人的な経験だが、家庭医学書で「初潮」という単語を見つけた幼い頃の私はこの単語の意味を親に尋ねたことがある。返ってきた答えは「まだ早い」。今思えばこれは明らかに隔離の方に行き過ぎである。
○もちろんこれは極端な例にしても、線引きというのは難しい。ましてや全年齢向けか成人向けかの一本線ではなおさらだ。
○猪瀬直樹氏の「出版社は傑作なら喜んで原稿を受け取る。条例なんて、そのつぎの話。まずは傑作を書いてから心配すればよい。」というのはあまりにも表現に対する無理解である。傑作以外は消えろというに等しいからだ。しかも線引きが正しいという保証はない。線引きとて人間がやるんだから「必謬」である。
○一方、「表現の自由」を盾に一方的に押し切るのもやはり表現の影響に対する配慮が足りない。現にどぎつい表現に触れてショックを受けている者はいる。そして、これは青少年に限ったものではない。成人でもショックを受ける者はいる。おそらく「ポルノ・売春問題研究会」のメンバーは暴力的な性描写に触れてショックを受けていることだろう。
○というわけで性描写の出し手から受け手へのインフォームドコンセントが必要だ。そこでレーティングの出番になる。レーティングという形で十分に情報を提供し、それに基づいて受け手の側が読むか読まないか判断すればいい。十分なインフォームドコンセントのためには成人向け・全年齢向けという二段階では不十分だ。多段階にしなければならない。その段階は性描写の過激さによってなされるべきである。弱い性表現であってもを見たくない成人もあろうから、年齢によって区分けするのはやや不十分である。
○ここで参考にしたいのはカレールーの表示だ。カレールーは辛さの段階を目安として表示している。もちろん最高段階の辛さだからといって売り場を分けたりはしていない。ましてや辛味が強いからといって「不健全」「有害」などとラベリングされることもない。
○この考え方に立てば行政のやるべきことは変わってくる。「不健全な図書を青少年に売ることを取り締まる」のではなく「十分な情報も出さずに(インフォームドコンセントも不十分なままに)商品を売ることを取り締まる」のである。日用雑貨や食料品では一定の表示が義務付けられており、これに違反すれば保健所なりから指導を受けたり罰則発動となったりする。これと同じことである。
○なお、この考え方によればインフォームドコンセントを十全に行った以上あとは買い手の責任となる。青少年に売ったからと言って問題になることはない。あくまでもインフォームドコンセントの問題になる。保護者の同意を義務付けるかどうかもインフォームドコンセントの範疇に入る。どこまで保護者の同意を必要とするかについては一概には言えず、私の考えも揺れている。現時点では児童に対してきめ細かに意思確認をすればいいんじゃないかとは考えている。下世話な話になるが性欲でギンギンになった男子中高生をそんなに保護しなくてもいいんじゃないかとも思うのである。「おせっかいな顔見知りの書店員」のような人が「これは大人向けだよ、本当にいいのかい」と問えばそれで十分ではないかと思う。もっともそのような顔見知りの店員がいるという環境でないから行政が出てくるとも言えるのかもしれないが。

○大急ぎで言っておくが、これは表現の受け手になるかならないかという問題に限った話である。別の場面で児童相手にインフォームドコンセントが常に成立するとは言わないので念のため。児童買春をした連中が「児童の同意は得た」なんて自己弁護を図ってみたとしても「そんなの言い訳に過ぎねえよ氏ねよロリコン」というのが私の答えである。日本の法律でものを考える場合、児童の保護と自律のどっちをどれくらい重視するかは場面ごとにいちいち検討されなければならないのである。表現の受け手になるという場面で児童の同意が有効だとしても他の場面で同じように有効だとは言えないのだ。

以上、非常に拙いながら論を展開してみた。

〔2011.1.7追記~「見ない権利」「見る自由」の両立を〕
以下、追記。落ち穂拾いもある。単純な規制反対にも単純な規制賛成にも与しない。
○性描写(特に暴力的な性描写)が青少年に暴力を誘発するという結果が出ていてもやはり基本的なスタンスは変わらない。
○性描写だからといってわいせつに当たらない限り「発禁」とするのは許されない(私のスタンスはわいせつ規制は廃止してレーティングに全面的に置き換えるべきというものではあるがそれはさておき)。青少年を性描写から単に隔離しておく「だけ」というのは無責任である。このような態度は彼/女らが青少年でなくなったときに無秩序な世界に単に放り出すだけだというのを意味するからだ。
○だから青少年には選ぶ権利(自由ではない)を保障することが必要になる。選ぶ自由/権利を使いこなす能力も身に付けさせるのが重要だ。この能力を平たく言えばメディアを見る目、メディアを取捨選択する能力である。
○このためにはガイダンス/教育が重要になる。メディアの描写を割り引いて見る目やメディアが自分にもたらしうる影響などについてだ。
○性描写をただ遮断しているだけでは当然教育にはならない。よい情報を豊富に提示するということを行わなければならない。「完全自殺マニュアル」を高校生に貸し出すに当たっては同時に「ぼくたちの「完全自殺マニュアル」」を同時に貸し出すとした公立図書館があったが、この点からすれば評価できる(付記するとこの館では中学生に貸し出すときには保護者の同意を取った。中学生に何もしなかったわけではないので念のため)。有害情報からいかに守るかという「守り」の姿勢からメディアとどう付き合うかを積極的に発信する「攻め」の姿勢への転換である。
○青少年が「性描写を見るかどうか」のインフォームドコンセントもこのガイダンスの一環として臨むのがよい。このプロセス自体が非常に教育的である。少なくとも軽々に取扱えるようなものではないぞとのシグナルを送ることはできる。猪瀬直樹氏が言うところの「ハードル」と同程度の機能は持つだろう。
○もっとも、青少年が意思表示をしたからといってそれが本当に真の意思なのか疑問をはさむ余地はある。保護者の同意を取るかは結論は出せない。現行の都条例でも書店など以外には努力義務しか課せられていないのであるから親が見せようと思えば見せられるのである。
○ただ、保護者では近すぎる気もしないでもない。青少年が性描写を見ようとするときにいちいち親の許可を取る姿は不健全な気もする。親から離れていくのが性の目覚めというものなのに逆に親に接近することを求めるようなものだからだ。「近すぎず、遠すぎず」の顔見知りの書店員の誠実な判断で代替できよう。よく見知った関係ならそれほどズレた判断にはならない。もっとも、このような顔見知りの関係は今では得がたいものになっているからなかなか難しいかもしれない。
○書店というのは大変重要な責務を負っている。表現者の一角を占めているのだ。その表現に触れるかどうかのインフォームドコンセントを司るのが書店になる。そして表現を確実に届ける役割を担っているのも書店だ。単に行政などの判断に追随するのでなく「自分の言葉」で判断するのが理想である。その判断を見せることもまた青少年へのガイダンスの一環になる。判断は横並びでなくてよい。自らが下した判断でありさえすればいい。判断の食い違いから学べることもある。
○ここまでの私の意見をまとめれば青少年に対してはガイダンスの充実、及びその一環としてのインフォームドコンセントの確実な実施に収斂される。
○インフォームドコンセントさえきちんとされていればいいのだから、性描写がどぎついものであっても流通は一般の書籍とほとんど同じでよい。書店の判断で自店では取り扱わないというのがあってもいいが、極力取り扱うのが望ましい。読者に確実に届けるというのが使命の一つでもあるからだ。成人に対して売るだけならレーティングを示して勝手に選んでもらえばいいだけである。酒なんかはコンビニでも別に気負わず取り扱っている。これと同じような感じで取り扱ってもらえばいい。
○なお、このような効力が緩い規制に移行すれば規制の対象となるものは大幅に広げるべきである。現在はその強烈な効果ゆえに対象を極力絞って運用しているが、「見ない自由」の保護に特化した規制であるから対象は拡大しなければならない。対象を拡大したところで単に選ぶ材料を増やしただけなので見る自由の侵害はほとんどない。
○とつらつら書きながらはてなブックマークを見ていたらコメントに「嫌ポ権」という言葉を見つけた。この言葉を解説したブログ記事も一緒にリンクされている。「agehaメモ」というブログの「嫌ポ権:知にはたらけば角が立つ、情に棹さしゃ流される。住みにくかったらリフォームするのはどうだろう。」という記事がそれだ。まさしく言いたかったことがここに収斂されている。ただし「嫌ポルノ権」という言葉は前から提案されていたのであるが。とにもかくにもこの概念に賛同するのである。
○ここまでは理想である。以下、すぐにできそうな現実的な案をいくつか提案してみる。
○まずは「有害」「不健全」指定した理由を青少年に向けて説明することである。これはガイダンスとして有効である。ただ単に結論だけ述べても教育にはならない。青少年が納得するまでやれとは言わないが。そこから学ぶものもあるはずである。学べるものが何もないような答申しか書けないってのも問題である。
○「有害」「不健全」指定されたからといって過剰な反応をするのは止めるべきである。ななみ静氏が「真摯に受け止め~」云々と書いていたが単に辛味の強いカレーだっただけである。そんなにしょげる必要はない。
○また、メディアを割り引いて見る力を付けさせるための教育もすぐにできそうだ。
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テーマ:青少年健全育成条例改正案 - ジャンル:政治・経済

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