■2016年05月
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■今の学校は「居場所」の機能を果たさざるを得なくなっていると思うのですが、しかし後期中等教育段階に至ると選別によって居場所すら失う青少年がいるわけでして

 自分で今の10代が「学園文化」への圧力を強く受ける問題の現状認識と原因分析 - Togetterまとめをまとめてからあれこれ考えていたのだが、なんだかんだと今の学校は伝統社会で言うところの「若者組」の機能を果たしていて、しかもこれは結構重要な役目だったりするわけで、だからこそ「学園文化」への圧力を強く受けることになるのだなと気づいた。

 つらつらと取りとめもなく説明していく。少年少女の成長には、少年少女同士での交友、また友人との「遊び」が必要だったりするわけだ。成人との関係では得られない対等な関係を取り結ぶことが成長の糧になるわけだな。そのような場を提供していたのは伝統社会なら若者組(若衆宿・娘宿)だったりした。このような場で少年少女は社会性を身につけ、さらには交際相手とも出会い、成熟していったわけだな。あまりにも荒い説明なのは認めるが、とりあえず伝統的な社会ではとりあえずそのようになっていた。
 ひるがえって、現代である。現代でも少年少女が同世代の仲間に出会う場の必要性はちっとも減っていない。ではその機能をどこが果たしているかと言えば、学校である。学校は単に教科学力を身につけさせる場だけではなく、特別活動や日々の生活を通じてさまざまな交友を深めていく場にもなっている。このことは、なんと学習指導要領の総則にも記述がある。「日ごろから学級経営の充実を図り,教師と児童の信頼関係及び児童相互の好ましい人間関係を育てるとともに児童理解を深め,生徒指導の充実を図ること」(小学校)、「教師と生徒の信頼関係及び生徒相互の好ましい人間関係を育てるとともに生徒理解を深め,生徒が自主的に判断,行動し積極的に自己を生かしていくことができるよう,生徒指導の充実を図ること」(中学校)、「教師と生徒の信頼関係及び生徒相互の好ましい人間関係を育てるとともに生徒理解を深め,生徒が主体的に判断,行動し積極的に自己を生かしていくことができるよう,生徒指導の充実を図ること」(高等学校)と、まさに学校が人間関係をはぐくむ場として機能せよと文科省は言っているわけだ。そして、学校は修学旅行や文化祭、体育祭などの特別活動を催し、また、部活動も提供してレクリエーションの場をも担っている。
 ここで重要なのは、今の社会では、少年少女に同世代の交友や「遊び」を提供する場は、学校がほぼ独占していることなのである。であるから、何らかの理由で学校から排除されれば同世代の交友や「遊び」からも排除されることになる。学校の重要な機能であるとされている教科学力など、ある程度のお金を払えば学校外で(本人の能力にもよるが)きちんと教授してもらうことができるであるから、学校の機能としてはさほど重要ではなかろうといったら言い過ぎであろうか。ひとつ例を挙げよう。15歳の少年が野球を本格的にやりたいと考えたら、おそらく野球部のある全日制高校への進学がもっとも近道になろう。
 このことをさらに極端な事例から浮き彫りにしていく。文科省が2014年に公表した「「不登校に関する実態調査」 ~平成18年度不登校生徒に関する追跡調査報告書~」には、中学校3年のときに不登校だった生徒へ聞き取り調査を行った結果が取りまとめられている。第4部・ケース分析という部である。その中で取り上げられている「否定的な語り」は<勉強・学力><友人関係><進路><思い出>という四つの観点に集約されている。「友人関係」「思い出」こそ私がここで言っている「交友」「遊び」のことを指すのである。学校に行かなかったことで「友人関係」「思い出」が欠落したと訴える語りが少なからずある、このことこそが学校が「交友」「遊び」を提供するきわめて重要な場になっている証左である。勉強・学力・進路は予備校という代替物がちゃんと存在しているので、本当に純粋に学力だけ欲しいなら予備校なり塾に通えばいいのであるが、友人関係や思い出を提供する代替物はほとんどといっていいほど見つからない。
 ここまでは今の10代が「学園文化」に呪縛されていることの背景の考察である。

 もっとも、このことは後期中等教育の段階では全日制高校に限って当てはまることである。夜間定時制高校に関しては、仕事の傍らに副業として通うのが建前の学校であり、学校にいる時間が全日制よりも短いことからも特別活動等も全日制よりは活発ではなく、これがために「居場所」の機能は全日制高校よりも弱いと考えられる。通信制高校に至っては、通信の方法により教育をする関係上、学校にいる時間がさらに短いことを勘案すれば、「居場所」の機能は全日制高校にくらべてきわめて弱いと考えられる。。さらにさらに、ついに高等学校やそれと同等の学校に進学することを断念し就職した、あるいは進学も就職もしなかった生徒は中学校卒業者の1%くらいはいるのである。彼らは青少年に必要な「居場所」から排除された状態と言えよう(なお、昼間定時制高校に関しては筆者が実態をよく知らないので考察の対象から外す)。
 ここで出てくるのが「サポート校」である。昼間通学する場を用意し、通信制高校の学習の面倒も見るという塾である。学費は高い割に、全日制高校に求められる施設基準を満たしているところはきわめて少ない。たいていは雑居ビルのワンフロアである。近年では私立通信制高校が自ら昼間通学させて学習の面倒を見る「学習センター」を設置、「全日型通信制高校」などと私からすれば語義矛盾もはなはだしいものを名乗るケースも少なくない。もちろん、この「学習センター」も全日制高校に求められる施設基準を満たさないもののほうが多いくらいである。何だってこのような施設が存在するかといえば、全日制高校は入学へのハードルが高い、だからそのハードルを越えられないものたちは定時制や通信制に追いやられる、しかしさりとて「居場所」は必要、昼間通うところが欲しいというニーズがあるからである。私は、このニーズを「きわめてゆがんだニーズ」と考えるがいかがだろう?通信制教育の本来のターゲットは何らかの理由で毎日通学できない生徒であるはずで、であるから毎日通学するなんて発想は本来なら出てこないはずなのである。そのような通信制を安易に「セーフティネット」と位置づけ、本来なら毎日通学したい生徒まで引き受けさせている。これが事実だろう。であるからこそ私は「きわめてゆがんだニーズ」と位置づけるわけである。
 細かい事情説明はこれくらいにするが、要するに、後期中等教育段階では、与えられる「居場所」の質さえも能力や事情によって変わってしまうのである。能力が低いとひどいときには「居場所」がまったく与えられないことになる。果たしてこれが望ましいことであろうか?と考えると、私は疑問符をつけざるを得ないと考える。そもそも、学力の話に限っても、学力が低い生徒の引き受け先が定時制や通信制であること自体、あるべき姿なのだろうかという疑問があるわけだ。自学自習に難があると考えられる低学力の生徒を自学自習が求められる通信制に送り込む今のシステムは、どうも間違っているようにしか見えないのである。そりゃあ、通信制高校は財政支出が少ないから行政コストが安上がりなのはわかりますがね、でも財政コストの話だけでしょと。そんなもので「居場所」の質が左右されていいのかなあと。
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テーマ:教育問題 - ジャンル:政治・経済

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