■2015年08月
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■【メモ】遺族年金・性別による区別は正当か

 地方公務員が亡くなった際に、遺族に支給される遺族補償年金を妻に支給するときは年齢制限がないが夫に支給するときは年齢制限があることを違憲として地方公務員災害補償基金を相手取って起こされていた訴訟の控訴審判決が6月19日、大阪高裁であった。判決は、夫に対する年齢制限は憲法違反ではないとするものだった。この訴訟を受けて日本共産党の高橋千鶴子衆院議員が衆議院で質問をするなど、それなりに波紋があった。この問題に関して私が考えたことをメモ書き形式で書いておく。

1.収入が減った「穴」を埋めるのが年金
 年金とは、何らかのアクシデントで「稼ぐ力」が減った「穴」を埋めるもの。→老齢・障害・死別の三つ。
老齢…年をとって、若いときのように仕事ができなくなったために稼ぐ力が減った「穴」を埋める
障害…障碍によって、仕事をするのにハンディがあるために稼ぐ力が少ない「穴」を埋める
遺族…稼ぎ手が死亡して、稼ぎ手が得ていた所得を失った「穴」を埋める

 基本的に、これらの「穴」は、年金をもらう人がいくら稼いでいたとしても消えることはない。遺族年金で言えば、遺族がいくら働いて稼いでいても、そもそも夫/妻が死ななければ彼/女が稼いでいた分もあわせて収入になっていた。いざと言うとき「穴」を埋める約束で保険料をもらってて、「穴」が残っているので、所得制限にはなじまない。これは老齢も障害も同じ。

〔所得制限がある変り種二種+一種〕
その1 在職老齢年金
 60を過ぎて働いている人は、その給料に応じて年金が減る。ものの見事な所得制限。ただ、これも次のように整理できる。
 働いて給与を得ている→「稼ぐ力」の「穴」が小さいため、それに応じて年金額を減らしている。現に、資産所得など不労所得は問われない(「稼ぐ力」の穴には関係ないから)
・結局「穴」の大きさによって年金額を決めているだけ

その2 20歳前初診日の障害基礎年金
 こちらは本物の所得制限が。ただし、これは保険料を一切納付せずに受けられるものなので、所得制限がある→保険料の対価ではないから

+1 精神障碍による障害年金
 働き始めると年金が止められたりするが、これも働けるようになったら「稼ぐ力」の穴が小さくなったり、なくなったと判断されるため
・これも結局「穴」の大きさで年金を出すか出さないかを決めている

2.妻には遺族年金を出し、夫には遺族年金を出さないことを正当化する理由
・そもそもかつては夫が主な働き手、妻は従たる働き手という観念が
・なので、従たる働き手である妻が死亡しても、埋めるべき「穴」はないと判断された
・妻の稼ぎを頼りにして暮らす男性はまずいないか、妻の稼ぎを頼りにして暮らす男性は好ましくないと判断されたため「【穴】は存在しない!」
・一方、夫の稼ぎを頼りにして暮らす女性はごく一般的と判断
→いずれも、制度制定当時は合理性はあったろうが、夫婦共働きモデルが一般的になった今となってはこれらの論理も古びた感が否めない

3.現代にマッチした遺族年金給付要件は
以上二項を踏まえ
・夫/妻の死亡で所得を得る力に「穴」が開いたかどうかによって判断すべし(これは今も昔も変わらない)
→昔は妻を亡くした夫には開かず、夫を亡くした妻には開くと判断されていたが、これはそぐわない
・具体的には男女問わず生計を一にしていたかどうかで判断すべし
→生計を一にしていた夫/妻が死亡したら、当然所得を得る力に穴が開く。働いていた人間がひとり減るんだから。この穴を埋めるべく年金を出す
・何を持って生計を一にしていたと判断するかは要検討

なお、この際、夫/妻を他の遺族に比べ特別視すべきか
・夫婦間、また両親は未成熟の子に対して「一枚のパンをも分け合うべし」とまで例えられる「生活保持義務関係」が存在
・通常の親子兄弟間の扶養義務よりも格段に強い扶養義務関係
・このような関係が存在するのであるから、遺族年金に関しても夫/妻は特別に扱う合理性はある(夫/妻の稼ぎを頼りにして暮らすのは当然のこと、それが不慮の事故で失われたら、年金で埋めるべき「穴」は開いたと言える。)
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■「未成年は夜は家にいるのが正しいんだ」と熱心に主張していた毒親さんがいましたが

 高槻中1殺人:決定的に足りなかったのは、子どものための安全な居場所(みわよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュースのコメント欄にまあわらわらとわいている「あの時間に少し我慢して家の布団で寝る。ただそれだけでこんなことにはならなかったのではないでしょうか」などというせりふに代表される批判コメントを見てふと思い出したことがある。10年以上前だったか、どこかの自治体が青少年の深夜外出を規制する条例を作ろうとしたときに喧々諤々の議論になったことがあった。そのときたまたま知り合いの毒親さんとこの条例について話をしたことがあって、そのとき件の毒親は「青少年は夜は家にいるべきなんだ、青少年が夜外出するのはいけないことなのだ」みたいなことを話していた。そんなエピソードをふと思い出した。こんな毒親と一緒にいたくないのは当然だよなあと思うくらいの毒親だったが、当人には自覚なし。まあそんなもんだよね。みわよしこ氏の記事に批判コメントをしている人々とその毒親がオーバーラップした。どちらも青少年にとっては家にいることこそが福祉に最もかなうとする「神話」を頑なに信じているに過ぎないことがオーバーラップした原因だ。
 もちろん、神話は神話で、何が何でも合わない親子ってのはどうしてもいるのだよ。それが虐待に当たるかどうかは別にしても。「彼氏彼女の事情」の浅葉親子のようにね。人間なのだからどうしても合わない人ってのはいるのだ。世界中にいるあらゆる人が相手であっても18年間同居できる、そういう人だけが「あの時間に少し我慢して家の布団で寝る。ただそれだけで」等と石の礫を投げたらいい。
 児相が保護するのが本来のあり方だという意見もあったが、虐待被害児童すらその全てを児相で保護するに至ってないのを、合わない親子全てを児相で保護するのは非現実的だと思うのだがね。だからサードプレイスってのは必要なんですな。

〔追記〕
twitterでこういう意見をいただいた。 
 舌足らずだったようなので補足しておくが、未成年が夜間家にいるのが必ずしも福祉にかなうこととは言えないので、家ではないもうひとつの安全な場所を用意しておきましょうと言いたいだけのことだ。未成年が家にいたくないと思ったときに、危険な路上しか選択肢がないのはまずい、それだけのことである。
 なので、みわよしこ氏が言っているユースホステルクーポン配布案は案外いい線を行っているのではなかろうか。(個人的には何もなくても若いうちに一人旅の一つや二つくらいはしておいたほうがいいと思ったりする人間なので、そういう意味でもお勧めしたいところ。ただよからぬ成年者との接点になっても困るしなあとは思うが)

〔追記2〕
 警察庁「平成24年の犯罪」によれば、親が子を殺したり、子が親を殺したりした件数が251件、面識なしの人間が殺害した件数は103件であった。親子関係がこじれたほうがよほど危険だということがわかる。(なお、この統計は2014年8月1日現在の統計に基づく数値で、今後訂正がある可能性があると警察庁よりアナウンスされている)

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■ある証券会社の話~現状の大学への奨学政策って、アンフェアだよね

 ある国にとある証券会社がありました。この証券会社が扱っているのは、まあごく一般的な証券取引です。この証券会社にはひとつの売りがありました。もともとのお得意様の家系に属する人が取引するときには、取引を始めるときの元手を提供してくれるのです。そして、この証券会社の扱ってる商品は、当初投じた元手以上の損失は生じないものばかりなので、その家系に属する人たちは安心して取引ができました。しかし、そんな家系に属していない人たちは、損失も全て自分でかぶらなければなりません。あるとき、この証券会社はアンフェアだと訴える人が現れました。しかし、その人たちに向けられる意見はとても冷たいものばかりでした。
「自分で勉強して損失を出さない取引をすればいいだけ」
「そもそも取引なんかしなくてもいいだろう、取引をしないでお金を増やす道を探ればいい」
「上を見て平等を訴えててもキリがない。リスクはある。だから躊躇する。だからこそがんばって収益を出せばいい」
「そも人間は平等じゃないんだから、元手を出してもらえるかどうか等言っても仕方ない、家系に属していないのに、自分で存しないような取引もできないなら損失くらい許容しろ」
「誰にでも元手を提供しろって、共産主義にでもしたいつもりか」
「損失が怖くて取引をしないのなら、それは自分の人生を考えて取引をしない選択をしただけの話」
 とまあひどいものばかりでした。日本国では、証券会社が元手の提供などしたら、金融庁が真っ先に飛んできますが、この国ではそんなこともないようでした。かくして、この国では一部の恵まれた家系の人間だけが、ほとんどリスクもなく証券取引をし続けることができ、それ以外の家系の人たちとの差は広がっていくばかりでした。めでたしめでたし。

 …日本の今の大学進学に必要な費用の負担をめぐる現実って、これとほとんど変わらないのよね。

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■要項には明記していないけど、「親に財力があること」が日本中のかなりの大学の入学資格になっていて、それを皆が承知していること

 togetterでまたもや懲りずに煽り合いをした結果、見えてきたものがある。(現場はここ
 どんな人を大学に入れるべきか、の話になったときに、能力の高い者ではなく親に金がある者こそが大学に入るのがふさわしいと考えている者が、この国には相当数いることだ。当該コメント欄にはまあ大学に行かなくても道はあるとか、貧乏人は身の丈にあった行動をしろとか、あれこれ言う者がいたが、とどのつまりは大学には金のある者と低所得者のうち成績トップ層だけが行けばいいと本気で考えている。
 そして、良くも悪しくも現実に高校生たちはそのような信念に従って行動している。特に成績中下位層では、成績ではなく親の所得が大学進学するかどうかを決めている(小林雅之「進学格差」ちくま新書53ページ)。さすがに成績上位層では所得に関わらず進学しているが、成績中下位層では成績による進学率の差はほとんどなく、そこにあるのは親の所得の差による進学率の差だけである。社会全体が送る、「親が財力を有する者だけが大学に行くにふさわしい、能力は関係ない」というメッセージを、現実の高校生たちもしっかり受け止めて行動し、実際に親の財力によって進学するかどうかが決まっている。
 ただここで疑問なのは、あからさまに親の財力で大学進学が決まってもよいと述べているものが、「大卒者でも能力が低いものがいる」ことを嘆いているのだ(http://togetter.com/li/866110#c2123568)。当たり前ではないか。能力など無視して親の財力のみで大学進学者を選んでいるのが今の日本の現状で、それを肯定していたくせに、都合のいいときだけ能力を問うのなど「ないものねだり」でしかない。

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ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

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