■2014年08月
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■池田大作の顕彰・2014年4月~6月

 2014年4月~6月の聖教新聞に第一報が掲載された池田大作が受けた顕彰の一覧である。凡例はこちらodbデータベース形式csvファイル形式(いずれもGoogleドキュメントへのリンク)でも公開しているので利用されたい。

聖教掲載年月日 2014.4.1
受賞年月日 2014.3.23
国名 アルゼンチン
授与機関名 ブエノスアイレス市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 文化功労勲章
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.4.4
受賞年月日 2014.3.19
国名 韓国
授与機関名 釜山広域市海雲台区
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 名誉住民
授与顕彰名 名誉区民
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.4.6
受賞年月日 2014.4.3
国名 アメリカ
授与機関名 モアハウス大学キング国際チャペル
授与機関種別 私立大学
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 グローバル大使賞
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.4.8
受賞年月日 2014.4.5
国名 アメリカ
授与機関名 ジョージア州下院
授与機関種別 地方議会
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 決議書
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.4.8
受賞年月日 2014.4.5
国名 アメリカ
授与機関名 フルトン郡行政委員会
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 宣言書
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.4.8
受賞年月日 2014.4.5
国名 アメリカ
授与機関名 アトランタ市議会
授与機関種別 地方議会
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 宣言書
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.4.11
受賞年月日 2014.3.28
国名 パラグアイ
授与機関名 グアランバレ市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 名誉住民
授与顕彰名 名誉市民
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.4.11
受賞年月日 2014.3.28
国名 パラグアイ
授与機関名 グアランバレ市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 感謝状
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.4.16
受賞年月日 2014.3.29
国名 韓国
授与機関名 江陵市議会
授与機関種別 地方議会
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 特別顕彰牌
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.4.25
受賞年月日 2014.4.24
国名 フィリピン
授与機関名 イサベラ大学
授与機関種別 国立大学
授与顕彰 名誉博士
授与顕彰名 名誉人文学博士
聖教掲載面 1面~3面

聖教掲載年月日 2014.4.26
受賞年月日 2014.4.25
国名 日本
授与機関名 東京都書店商業組合
授与機関種別 団体
授与顕彰 感謝状
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.5.2
受賞年月日 2014.4.6
国名 イタリア
授与機関名 ノルチャ市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 ヨーロッパ市民称号
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.5.5
受賞年月日 2014.4.25
国名 ブラジル
授与機関名 ミナスジェイラス州
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 顕彰プレート
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.5.9
受賞年月日 2014.5.3
国名 ブラジル
授与機関名 コチア市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 名誉住民
授与顕彰名 名誉市民
聖教掲載面 1面~2面


聖教掲載年月日 2014.5.11
受賞年月日 2014.4.2
国名 韓国
授与機関名 ソウル市議会
授与機関種別 地方議会
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 特別顕彰牌
聖教掲載面 3面

聖教掲載年月日 2014.5.13
受賞年月日 2014.4.24
国名 ブラジル
授与機関名 カンベー市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 顕彰プレート
聖教掲載面 2面

聖教掲載年月日 2014.5.14
受賞年月日 2014.5.10
国名 オーストラリア
授与機関名 オーストラリア国際非暴力センター
授与機関種別 団体
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 マハトマ・ガンジー国際賞
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.5.17
受賞年月日 2014.4.22
国名 チリ
授与機関名 アントファガスタ州
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 感謝状
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.5.17
受賞年月日 2014.5.16
国名 日本
授与機関名 宮城県書店商業組合
授与機関種別 団体
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 顕彰牌
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.5.17
受賞年月日 2014.5.16
国名 日本
授与機関名 岩見沢市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 感謝状
聖教掲載面 2面

聖教掲載年月日 2014.5.18
受賞年月日 2014.5.16
国名 中国
授与機関名 天津外国語大学
授与機関種別 地方政府立大学
授与顕彰 名誉教授
聖教掲載面 1面~3面

聖教掲載年月日 2014.5.22
受賞年月日 2014.3.14
国名 韓国
授与機関名 仁川広域市南区
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 特別顕彰牌
聖教掲載面 2面

聖教掲載年月日 2014.5.23
受賞年月日 2014.5.22
国名 ペルー
授与機関名 国立工科大学
授与機関種別 国立大学
授与顕彰 名誉博士
聖教掲載面 1面~3面

聖教掲載年月日 2014.5.23
受賞年月日 2014.5.22
国名 ペルー
授与機関名 国立工科大学
授与機関種別 国立大学
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 ハビッチの松明賞
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.5.22
受賞年月日 2014.3.14
国名 韓国
授与機関名 仁川広域市南区
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 特別顕彰牌
聖教掲載面 2面

聖教掲載年月日 2014.5.29
受賞年月日 2014.4.10
国名 韓国
授与機関名 昌原市馬山合浦区
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 特別顕彰牌
聖教掲載面 2面

聖教掲載年月日 2014.6.2
受賞年月日 2014.5.17
国名 アメリカ
授与機関名 ダラス平和センター
授与機関種別 団体
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 名誉終身功労賞
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.6.2
受賞年月日 2014.5.17
国名 アメリカ
授与機関名 人種差別癒しのセンター
授与機関種別 団体
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 世界市民の模範宣言書
聖教掲載面 1面~2面

聖教掲載年月日 2014.6.5
受賞年月日 2014.5.5
国名 アルゼンチン
授与機関名 アジェン市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 卓越した人物証
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.6.7
受賞年月日 2014.5.21
国名 韓国
授与機関名 忠州市議会
授与機関種別 地方議会
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 特別顕彰牌
聖教掲載面 2面

聖教掲載年月日 2014.6.13
受賞年月日 2014.5.26
国名 ブラジル
授与機関名 マリカー市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 名誉住民
授与顕彰名 名誉市民
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.6.19
受賞年月日 2014.5.26
国名 メキシコ
授与機関名 国立人類学歴史学院
授与機関種別 大学以外の学校
授与顕彰 顕彰状
聖教掲載面 1面
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テーマ:創価学会・公明党 - ジャンル:政治・経済

■池田大作の顕彰・2014年7月~9月

 2014年1月~3月の聖教新聞に第一報が掲載された池田大作が受けた顕彰の一覧である。凡例はこちらodbデータベース形式csvファイル形式(いずれもGoogleドキュメントへのリンク)でも公開しているので利用されたい。

聖教掲載年月日 2014.7.4
受賞年月日 2014.6.20
国名 アルゼンチン
授与機関名 ラ・ファルダ市
授与機関種別 地方政府
授与顕彰 その他の称号
授与顕彰名 卓越した人物証
聖教掲載面 1面

聖教掲載年月日 2014.7.17
受賞年月日 2014.7.16
国名 中国
授与機関名 ハルビン師範大学
授与機関種別 地方政府立大学
授与顕彰 名誉教授
聖教掲載面 1面~3面
備考 2014.6.27付け聖教一面に決定通知あり

■全国学力テストにによればテレビやネットに長時間を費やしても、読書に費やしても、やっぱり学力は落ちるんですよ

 世間一般では都道府県別学力レースにしか使われていない全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)であるが、この調査、一般に言う学力テストだけではなく児童生徒にアンケートをする質問紙調査も行われていることを知る人はあまり多くない。質問紙調査と平均正答率のクロス集計結果も報告書として出されていて、なかなか興味深いデータもある。今回は平成25年調査の結果で興味深いデータを見つけたので紹介しよう。

1.テレビやインターネットは「まったくしない」と逆に平均正答率が下がる
 ちょっと意外な結果だった。中学3年生に調査をした結果、テレビやDVDをまったく視聴しないと答えた者の国語Aの平均正答率が75.4%、1時間より少ないが視聴すると答えた者の国語Aの平均正答率が80.2%であった。そして1時間以上より視聴時間が長くなればなるほど平均正答率は下がる傾向にあった。他の教科でもこれは同じ傾向である。
 また、インターネットでも同じ傾向が見られた。インターネットをまったくしないと回答した者の国語Aの平均正答率が76.4%、逆に1時間より少ないがインターネットをすると回答した者の平均正答率が79.3%。そこからさらに時間が増えれば増えるほど平均正答率が下がるのはテレビと同様である。教育関係者はテレビやインターネットをやたらと敵視しているがテレビやインターネットもほどほどに接したほうがいいという結果が表われた。

2.読書も長時間やれば平均正答率が下がる
 続いては教育関係者ご推奨の読書である。こちらももちろん読書をまったくしない者の国語Aの平均正答率が最も低いのは変わらないが(73.2%)、驚いたことに長時間を費やせば費やすほど平均正答率も下がる。30分以上1時間未満と回答した者の国語Aの平均正答率が79.8%なのに対し2時間以上と回答した者の平均正答率が77.7%という結果である。この調査では読書については2時間以上はすべて同じ区分になっているので傾向ははっきりしないが、テレビやインターネットなどと同じように3時間以上、4時間以上と問うた結果はおそらく長くなればなるほど平均正答率が下がる傾向にあるものと推測される。

 いかがだろうか。こういう結果を見ているとテレビやインターネットより読書を若齢者に推奨する教育関係者の考えは単に古いものを新しいものよりもよいとみなす根拠不明・意味不明の妄想でしかないと判断できる。何事もほどほどに接するのがよいのである。

〔2014.8.25追記〕
 本日、2014年実施の調査結果が公表された。この調査の結果もこの記事で掲げた2013年調査と同じような傾向が出たので詳細は割愛する。しかし、「携帯電話やスマートフォンを使う時間が長ければ長いほど平均正答率が下がる」と言う傾向は報じる割にまったく使わない者の平均正答率はむしろ下がり、さらに読書でさえも費やす時間が長ければ長いほど平均正答率が下がることは報じないのは一体なんなんだろうなと。

テーマ:全国学力調査テスト - ジャンル:学校・教育

■納税者が生活保護利用者を支えるべき理由を浅学非才のくせに解説してみましたよ

 生活保護のよくある誤解に答えてみました(みわよしこ)Yahoo!ニュースーについてのツイートまとめを見ていてとても寒々しい気持ちになった。「病気で働けないなら餓死すればいいし、シングルマザーが嫌なら離婚しなきゃいい。なんにも苦労してないくせに金をもらってることが許せない」だとか「受給者と縁もゆかりもない他の納税者が受給者を保証しなきゃならない納得のいく理由がほしいです」などと平気で書いている人がいるのを見たからだ。そこで、今回私は浅学非才の身の程もわきまえずエラソーに解説してみようと考えた。有識者からすれば突っ込みどころは多数あるであろうが、突っ込みはコメント欄に寄せてくだされば。それではつらつらと解説してみよう。

 私たちは社会をつくって営んでいる。そして社会を営むに当たってさまざまなお約束をしている。なぜ社会をつくっているかといえば、外敵などから身を守るためには他の人間と協同したほうがより効果的であるからだ。それどころか他の人間と協同しなければ自らの生存すら危うくなる。ここで社会から外れた暮らしというのをイメージしがたい方がいたら無人島での自給自足生活をイメージして欲しい。ちょうどこれこそが社会というものを作らずに行える暮らしである。なるほど、社会というものを作って他の人間と協同することによってより豊かな暮らしを送れることがわかる。それでも自分に力さえあれば社会をつくらずに自由に暮らしたほうが豊かになると考える方もいるかもしれない。なるほど、自分に力さえあれば弱い者からいくらでも奪うことができるのだから豊かな暮らしが実現するように見える。しかし、より強い者が現れ、自らの財産を奪ったとしてもそれは正当なものということになってしまう。結局この考えでは豊かな暮らしは実現できないのだ。そこで私たちは約束をして社会をつくった。この約束によってより強い者におびえることなく自らの豊かな暮らしを得ることができるようになった。
 社会をつくり、共同でさまざまなものを作り出し、維持することによって私たちはより豊かな生活を営むことができる。例えば自然災害が起こったときには我々が共同で維持している中央政府や自治体の諸機関が被災者の救助に当たる。それどころか自然災害が起こる前にあらかじめ災害が起こったときの被害を最小限に抑えるためのさまざまな施設を作っておくこともしている。私たちがまったくの個人で災害に備えるよりもより確実な備えができるわけだ。同じような考えで政府や自治体のさまざまな活動を私たちは共同で支えている。そんな政府や自治体の活動の一つに社会保障がある。

 社会保障とは病気や障碍、さらには貧困や老齢などといった避けられないアクシデントによって暮らしが立ち行かなくなったり、あるいは暮らしが立ち行かなくなる可能性がある人たちを支える仕組みである。これらのアクシデントに個々人で備えると個々人が膨大な貯蓄を必要とする。ほとんど非現実的だ。しかしこれらのアクシデントに遭う個人はそうそういるわけではない。それならば私たちが少しずつお金を出し合ってプールしてアクシデントに遭った人を支える仕組みを作ったほうがはるかに効果的だ。個々人が拠出するお金も比較的に少額で済む。これならば現実的である。個々人単位で考えたらアクシデントに遭ったら致命的なダメージを受けることすらある。そしてアクシデントに遭うか遭わないかのどちらかしかなく、その予測すら不可能で、備えるのも事実上不可能だ。ところが同じリスクを持った人が100万人、1000万人と集まればこのうちどのくらいの人がアクシデントに遭うかは大体予測できるし、その予測に基づいて全体でどのくらいのお金が必要かを計算することもできる。この計算を基にして集まった人々からお金を集めておいてアクシデントに遭った人に支払うこととすれば個々人はわずかな(といっても個々人で備えるのに比べれば、の意味であるが)負担で十分な備えが出来るわけである。数学で言うところの大数の法則の応用である(このようなからくりを相互扶助と表現することもあるが私はここであえて大数の法則で説明することとする)。ここで保障されるアクシデントは病気や障碍にとどまらない。低所得なども含まれる。これらのアクシデントを社会保障事故という。そして提供されるものも金銭を提供するだけではない。医療サービスという現物だったりもする。金銭を提供したりサービスなどの現物を提供することを社会保障給付という。また、社会保障給付を提供するほどではないがしんどい状態にあるという人たちについても社会保障制度として対応すべきものではあるので負担を免じたり減じたりするということもしている。
 日本の社会保障制度で中核的な役割を担っているのは社会保険である。これには年金保険、健康保険などが含まれる。加入者が金銭を出し合い、金銭を出した加入者が病気であったり老齢であったり障碍であったりといったアクシデントに遭ったときにお金だったりサービスを提供する。もっとも、これらのアクシデントに遭ったとしても必ずしも生活が立ち行かなくなるというわけではない人もいるだろうが、そのような人にもお金やサービスは提供される。貧困に陥らなくても給付は受けられるのだ。万が一のアクシデントによって貧困に陥ることを防ぐのがこの社会保険制度の主な目的である。そしてこの制度も先に述べた大数の法則の応用で運営している。ただしこの仕組みは「お金を出した人ほどいざというときにより多くのお金やサービスの提供を受けられる」ものであるから、あまりお金を出せなかった人はそれなりのサービスしか受けられない。さらに極端になると保険料を払う余裕がまったくない人は保障を受けられないことすらある。また、これは特に日本の場合であるが、お金を出しやすい人たちの集まりから先に社会保険制度を作っていったがためにお金を出しやすい人たちほど充実した保障を受けられるがお金を出しにくい人たちはあまり保障が充実していないという弱点がある。
 具体的に述べると健康保険と国民健康保険の格差だ。お金を出しやすいサラリーマンだけで集まった健康保険はいざというときの保障も充実している割に保険料は比較的抑えられている。しかしサラリーマンを除いた人たちだけで集まった国民健康保険はそもそも働けない人たち(老人や障碍者、傷病者など)が構造的に集まってくるのでいざというときの保障は手薄なのに保険料は健康保険に比べて高めである。働けない人たちはそもそも医療サービスをたくさん必要とする人たちが多いのでこの傾向に拍車をかけている。一般に社会保険制度は余裕がある人たちほどより多くの保障を受けられる傾向にあるということが言える。
 このほか社会保障には社会福祉というものもある。これは障碍者福祉や老人福祉などが含まれる。これは社会保険制度を作るのにはなじまないアクシデントに対する備えを提供している。もっとも社会福祉と社会保険の境目は流動的なもので、社会福祉で対応していた老人福祉を介護保険という社会保険に置き換えたという前例はある。
 そして、社会保険や社会福祉で対応し切れなかった場合に初めて出てくるのが公的扶助である。社会保険はそもそも対応できるアクシデントが決まっている上に保険料をあまり払えなかった人は十分な備えを提供できないという弱点があった。また社会福祉にしても対応できるアクシデントは限られている。そこでそれらでカバーしきれなかった人たちに提供されるのが公的扶助である。日本では生活保護として運営されている。やっとここで生活保護の登場だ。公的扶助が備えているアクシデントは「社会保険や社会福祉、さらに自分の収入だけでは健康で文化的な最低限度の生活を営めない」というものである。であるから社会保険や社会福祉とは相互補完的な関係にある。こちらも先に述べた大数の法則を応用して運営されているわけだ。集まった人々から集めるのが税金、提供されるものは医療扶助という名の医療サービスだったり生活扶助という名の金銭だったりだ。この点、社会保険制度とまったく変わらないものである。
 ところがこの生活保護、一部の人にはものすごく評判が悪いのは冒頭に書いたとおりである。財源が保険料でないことも評判が悪い一因であるが、そもそも社会保険制度ではカバーしきれない場合に備えているのだから財源が保険料ではないことは問題視すべき点ではない。もし保険料を財源とした社会保険制度以外の社会保障を認めないとするのなら保険料を払う余裕がある人だけがいざというときの備えを得られればそれでよいということになる。それでは十分な備えができない。
 ここで「受給者と縁もゆかりもない他の納税者が受給者を保証しなきゃならない納得のいく理由がほしいです」という問いについて回答しておこう。私たちはいつ貧困になるかわからない。もしかして貧困になるかもしれないしならないかもしれない。それは予測できないことだ。そこで皆でお金を出し、プールしていざというときに備えるという道を選んだ。これが社会保障制度の基本的な仕組みである。それは生活保護もまったく同じなのである。もしかしたら自分も貧困になるかもしれない、そのようなリスクがあるのだから皆で共同して備えるほうが合理的なのである。あるいは自分は貧困に陥ることは絶対にない、そういう立場の人もいるだろう。しかしそんな人にも等しく貧困になるリスクはあったのである。先にも述べたように社会保障はリスクがある人(それはすべての市民である)が寄り集まってお金をプールしていざというときに備える、大数の法則の応用だと述べた。しかし貧困に陥ることがないという自分の人生の帰結が見えた人が脱退して行ってはこの大数の法則の応用である社会保障制度は崩壊する。たまたまリスクが実際のものとならなかった人が皆脱退したり返金を受けたりしたら結局最後に残るのはリスクが現実のものになった人たちだけで、それでは個人個人で備えているのと何ら変わらないことになってしまう。いわば定期生命保険で保険期間中に死亡しなかったから返金しろと言っているようなものである。そのような求めが通用しない、そのような求めに応じたら生命保険は成り立たないのは多くを説明しなくてもお分かりになられるだろう。
 あるいは別の疑問、「生活保護利用者はいわば自業自得、自業自得にまで面倒を見ていたらいくらあっても足りない」と言う疑問もあるだろう。たしかにこれは字面だけを見ればもっともであるが、しかし何が自業自得かは結局わからないのだ。荒んだ生活を送っていた人たちも実際は社会環境の影響で荒んだ生活を送った可能性も捨てきれない。そのような人を切り捨ててるべきだと考えるだろうか?

 以上、つらつらと説明してきた。忌憚のないご批判とご教示を期待する。

テーマ:社会保障 - ジャンル:政治・経済

■「外国人は納税できるうちは日本にいていいが保護が必要なら母国に帰れ」という主張は不公正であり、実際に運営したら持続不可能

 外国人の社会保障についてよく「保護責任は国籍国にあるのだから国籍国に帰って保護してもらえ、日本は保護する必要がない」という意見が見られる。ちょっと考えてみるとわかるんだが、この主張というのは要は日本で働く外国籍の者から税金を取るときはしっかり取るがいざサービスが必要になったら国籍国に送り返すべきというものである。サービスも提供しなくていいのに税金だけはもらえるのだから確かに日本にとっては非常にありがたい話である。だが、これを逆の立場にしてみると恐ろしく割の合わない話になる。税収だけを他国に取られ、サービスだけを提供しなければならないのだから。日本でいえば税金だけは他国に納めるがサービスは日本から受けるということになる。これを正当化するツイートを以下に紹介する。


 義務は果たすべきだから税収がなくても保護はすべきだという考え方だ。なるほどご立派な考えである。そして実際に運営してみたら到底持続不可能な考え方である。前回の記事で私は社会保障制度は大数の法則の応用だと記した。アクシデントに遭うか遭わないかわからない人々が寄り集まってアクシデントに遭った人に給付をする。個人単位で見たらアクシデントに遭うか遭わないかはわからないが100万人、1000万人と集まれば全体でどれくらいの割合でアクシデントに遭う人が出てくるかがわかる、そうしたら必要な金額もわかる、そうしたら一人ひとりが拠出するべき金額もわかり、はるかに確実な備えができる。先ほどの外国人の保護は母国でというのは税を拠出できる人だけを集団に残し、給付が必要になった人は他の集団に移してそこで給付を受けろというものである。これを逆の立場から見たら給付が必要な人ばかりが集団に集まってくるというものだ。これでは大数の法則は成り立たず、社会保障制度は崩壊する。拠出できる人だけを集めて集団を作り、アクシデントに遭った人を他所の集団に移すのは明らかに不公平でもある。保険の世界で言うところの「逆選択」である。言わば定期生命保険の保険期間中に死亡しなかった人が保険加入時にさかのぼって保険加入を取り消すようなものである。こうたとえるとご理解いただけるだろう。
 余談だが、このような現象は日本国内でも市町村国保とその他の公的医療保険制度の関係で見られる。健康で働いていて収入が十分にある病気のリスクが低い人たちは健康保険などの被用者保険に、あるいは自営業者が業界で作る国民健康保険組合に加入し、そうではなく働いていない、働けない、病気のリスクが高い人たち(老人も含まれる)は市町村国保に加入する。結果として市町村国保の運営は限界をとっくに超えていて、一般会計からの繰入金で何とかしのいでいる現状である。

 結局のところ外国人が社会保障給付を必要とするようになったら母国に帰れ、母国が社会保障給付をするのは義務なんだ、しかし税金だけはしっかり徴収するというのは不公正そのものでしかないのだ。

テーマ:社会保障 - ジャンル:政治・経済

■痴漢冤罪を心配する人のほとんどはゼロリスク症候群患者かミソジニーのような気がするねぃ

 昨日まで女性専用車両の外は痴漢天国? - Togetterまとめのコメント欄でまあ泥仕合をしていた。痴漢の話をしているところだとどうして痴漢冤罪の話になるのかねと疑問を投げかけたところから始まった泥仕合、それでもやってるうちに争点は見えてきて少しは見通しもはっきりするというものだ。というわけでいくつか書いておく。

1.ゼロリスクはありえない
 痴漢の話をしているところでだけ痴漢冤罪の話を始める理由の第一として痴漢冤罪を問題視する側が挙げてきたのは「ひとたび痴漢冤罪に巻き込まれれば人生が破壊される重大な被害になるからだ」というものである。そして、痴漢冤罪の確率が低いと説明しても一回遭ったら重大な被害を受けるのだから確率が低いなんてのは何の意味もないといったようなことを主張してきた。また、痴漢によって破壊される見ず知らずの女性の人生と痴漢冤罪によって破壊される自分の人生を考えたら後者の方を重視する、と述べている。それも私が痴漢冤罪の確率が低いんだと言っても考えは変わらないようである。さて、これは妥当だろうか?
 ここで重要なのは「ゼロリスクはありえない」ことである。実際、きわめて重大な結果に至る可能性があってもその確率が低ければ(いや、結構高くても)ベネフィットの方を優先するというのは割合あるのだ。一つ例を挙げると乗用車が挙げられる。乗用車を使用することで得られるメリットは単に公共交通機関の駅なり停留所まで歩いて便を待つ時間を省ける程度の利便性である(特に都市部では)。一方、乗用車がもたらすリスクはもちろん交通事故死である。平成24年の人口動態統計によれば乗用車との衝突による死者数は3,277人。わずかな利便性と引き換えにこれだけの人の人生を奪ったのである。もちろん重大な結果だ。しかし乗用車はもちろん日々走り続けている。痴漢冤罪を主張する人たちは「「社会全体の損益では痴漢被害の方が問題である(から発生確率の低い冤罪を問題視すべきでない)」という主張は、「その低い確率が当たった人間は社会のために諦めて死ね」というのと同じことです」と言っているがそれは私たちが日々言っていることである。
 さらに続ける。私は電車に乗れば新宿まで乗り換え無しで1時間かからない地域に住んでいるものだから乗用車など利用しない。したがって私は乗用車の便益を受けていないがしかし乗用車によるリスクだけを引き受けている。痴漢冤罪を訴える人たちは見ず知らずの人の便益より自分の重大な被害を優先するのが当然だ、だから見ず知らずの人の痴漢被害より自分の重大な被害を優先するのが当然だ、だから痴漢冤罪について騒ぎ立てる、痴漢冤罪がなくならなければ痴漢取り締まりに協力する気すらないとまでと主張するものであるが、それならば私など乗用車の便益はまったく受けずリスクだけを引き受けているのだから乗用車を廃絶させるように運動をしてもかまわないというものになる。乗用車の廃絶運動など賛同をしてもらって廃絶しようというものに過ぎないのだから痴漢被害者の賛同も得られないのに取締りに非協力を貫くことに比べれば温和に過ぎるのだが。
 さて、皆さんはここまで読んできて乗用車を廃絶しようという気になっただろうか?「現に」3,277人が死亡しているのであるからそのリスクは重大である。と論じてくれば「いかに確率が低かろうと重大な不利益があればそちらも重視すべき」などというのは間違いであるということがわかる。結局のところ、痴漢冤罪をあそこまで重視する人はリスクとベネフィットの比較をしないゼロリスク症候群となる。しかしこれはまだ弁護の余地がある。過剰なまでにフレームアップされたリスクばかりに目が向いた、いわばパニック状態とも言えるからだ。

2.痴漢冤罪パニックはなぜ起きる
 これは私の単なる与太話になるのだが、痴漢冤罪パニックが発生しているのはおそらくメディアに過剰なまでに煽られているという理由が大きいのではないか。実際に身近な人間が痴漢冤罪に遭ったという人は少ない。メディアによって痴漢冤罪を知り、メディアによって煽られ痴漢冤罪を恐れているとしか考えられない。じゃあメディアがなぜ痴漢冤罪を煽るかといえば単純にそこにマーケットがあるからだ。痴漢冤罪を取り上げれば購買力のある中高年男性の関心を引くことができる。スポンサーとしてもそんな記事に広告を出稿すれば購買力の高い層にアピールをすることができるのだから喜んで出稿する。商業メディアとしては当然広告収入を考えなければならないのであるからスポンサーがつく記事を出す。そんなわけで中高年男性が喜ぶ痴漢冤罪の記事を出して煽っているのではないか。
 10年以上前の少年犯罪パニックのときも実際は当時の殺人は少年よりも中高年によるものの法が多かったがそのことはほとんど報じられなかった。これも同じメカニズムであろう。つーかメディアに踊らされて情弱だね

3.ミソジニーもやっぱりいる
 さて、前者は単純に見る目が歪んでいただけに過ぎないとも言えるのでまだ弁護の余地はあるのだが、次のようなコメントをする者がいた。
 氏は「痴漢冤罪による被害は人生が破壊されるものだ、従って痴漢冤罪を重視すべき、いくら確率が低くても同じだ」と述べていたのである。ところが痴漢冤罪以外の罪種の冤罪の可能性になるととたんにこのように頬かむり。どのような罪であろうと警察の被疑者発表は単に警察の一方的な見方に過ぎないのだ。警察は人を疑うという視点で物を見ているのでどうしても人を見ればドロボーと思え式のバイアスがかかる。これはどこの国の警察でもまったく同様である。警察が警察である限りもはや不可避なのだ。従って、どのような罪であろうとどのような被疑者であろうと警察の発表とは違って冤罪である可能性は常にあって、層である以上冤罪被害を重視するというのなら常に冤罪被害の可能性を考えなければならない。ところが痴漢冤罪のみフォーカスを当てる。痴漢冤罪に限って冤罪を重視しているに過ぎない。従って、「痴漢如き女の被害なんかよりオレ様の冤罪被害の方が重要だ」と述べているに過ぎない単なるミソジニーであるという結論になる。

4.資料屋の反省
 以上、縷々述べてきたことを考えたら冒頭で述べた泥仕合、戦略を誤ったと言わざるを得ない。単なる痴漢冤罪パニックに取り付かれている人間をも一緒くたにしてミソジニーとして取り扱ったからだ。あるべき戦略はミソジニーは徹底的に批判しつつ痴漢冤罪パニックについては事実を示して不安を解消していくというものであった。

付記.私自身の個人的な体験から来る限界
 togetterにも書いたのだが、私はほぼノーガードで日ごろ電車やバスに乗車する。それでも痴漢冤罪に出くわしたことはまったくなかった。一方、痴漢被害。私はかつて高校生女子10人ほどと日常的に接していた時期があったが、そのころ痴漢の話をよく聞いたこと。半月に一回は聞いた。そんなこともあって現実的な体験から痴漢冤罪より痴漢被害の方が実感を持てるという事情がある。そんなところからバイアスがかかっている可能性はある。

注意.件のまとめに出入りしていた中核メンバーへ
 私の書きたいことはすべて説明したので私の言ってることに同意するまで読み直すこと。また、あんた方の主張をこっちにまで持ってこないこと。あんた方が私の意見に反対した場合検閲とみなし、コメント投稿を削除する。場合によって該当IPを投稿禁止設定する。以上、あんた方が言ったことをそのままお返ししますよと大人気ないことを言ってみた(でも実際に削除する気にはならないと思うけどね)。

テーマ:冤罪 - ジャンル:政治・経済

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