■2008年02月
ヘッドライン

■スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

■番外編・権威を演出するための涙ぐましい努力

「世界が見た池田大作 200を超えた名誉学術称号」という本がある。
編者は東洋哲学研究所(当然創価学会の関連団体、もちろん創立者は池田大作)、版元は第三文明社(当然創価学会のフロント企業)。2007年8月24日初版第1刷発行、お値段は1143円(税抜き)。
本文の内容は聖教新聞に掲載された名誉学術称号を受けた時に池田大作氏が受けた(という)コメントなどを抜粋していくつかの主題ごとにまとめて章分けしてある。
で、章の主題に沿った創価学会の活動がほんの少しだけ紹介されている。
付録として名誉学術称号、海外の大学や学術機関での講演、識者との対談集及び創立した(という)学術機関の一覧表が付いている。
それにしても、一応は「研究所」なのにこの程度で「分析した」とは。
で、読んだ感想。

この人は自慢するためだけに本まで出版させるのか

しかも、信者向けにいかに名誉学術称号がすごいものなのかの宣伝も抜かりない。以下引用。

「名誉博士」の称号は、その大学で研究して得た博士号とは異なるが、人類社会に多大なる功績をもたらした、優れた人物に対して授与するという意味では、よりグローバルな学問的視点からの評価といえよう。



まあ、私にはマッツァリーノ氏の論考の方がよっぽど説得力があるように思えるのだが。


池田大作氏の自慢大好きぶりには脱帽である。

ところで、なんだってそんな本を手に取ったかって?

もちろん図書館入館証が掲載されているか調べるためである

期待しつつ巻末の名誉学術称号一覧表のページをめくる。そしたら名誉教授と名誉博士しか載せてない。

やっぱり図書館入館証の扱いには相当頭を抱えたな

いや、わかるよ。その気持ち。また突っ込まれかねないしね。そもそも池田大作氏が授章した名誉学術称号一覧表を書籍なんかにすること自体、突っ込まれてしまっても証拠隠滅ができなくなるのでなかなか勇気がいるしね。
なにしろ書籍というのはWebページみたいに簡単に消し去れないし、新聞と比べてもやっぱり残りやすいし。

しかしなあ、その割には議事堂土産をさもありがたいもののように聖教一面で取り上げてみたり、はたまた素性もわからない怪しい大学からの称号を聖教一面にしてみたり、結構脇が甘かったりもする。

必死で権威を演出しようという涙ぐましい努力が大変よくにじみ出ている。
スポンサーサイト

テーマ:創価学会・公明党 - ジャンル:政治・経済

■信仰と親子関係の折り合いについてその2

今回は前々回の続き。
にっし~氏のブログの最新エントリー(はてな版はこちら)にてエホバの証人の輸血拒否事件について触れられている。今回はこのような事件について、私なりの考えを示してみる。さらに、そのエントリーでなされている設問にも解答してみよう。

基本的姿勢
「信仰というのは、教義内容によっては、生死を左右するものである」のではあろうが、大抵の人はだからといって列車にサリンをバラまくようなことははやめてほしいと思っているということを信仰者は肝に銘じるべきである。

輸血拒否事件についてどう考えるか
 子への輸血を親が拒否することをどう考えるか。簡単カンタン、児童虐待ではないか。
にっし~氏のブログでは公式見解も出せずに煮え切らないとしているが、公式見解は既に出ている。
エントリーにて引用されている国会での議論で取り上げられた法律を所管していながら、答弁に出てきていない部署から。
見解は厚生労働省が出している「子ども虐待対応の手引き」というものに示されている。
実は、この手引き、平成11年3月29日厚生省児企発第11号という文書番号がついたれっきとした厚生省児童家庭局企画課長名の通達である。
で、輸血拒否への対応については「第13章 特別な視点が必要な事例への対応」の中の「5.保護者による治療拒否の事例への対応」に示されている。以下引用。

 医師としては、手術など患者に危険をともなう重大な医療行為をする場合には、(意識のない救急患者が運ばれてきたような場合は別として)通常本人の依頼ないし承諾が必要となる。
 患者が未成年の場合、通常は親権者が医師に治療を依頼または医師の治療を承諾している。保護者がこれを拒否して健康が悪化している場合に、医師が職業上の倫理として保護者の承諾を得ずに治療することがあり、その時は社会的な相当行為として許されるが、医師によってはそうした対応を拒否することもある。そのような場合には、児童相談所が児童福祉法に基づく措置をとるしか方法がない。

(アンダーラインは筆者による)

そう、医師が倫理に従って治療を行っても許されるのだ。
そして、医師がそれをためらうようならば児童相談所が措置すればいい。児童相談所には「一時保護」を行う権限がある。
この権限、保護者の意思に反しても行使できるのはもちろんだが、子の意思に反している場合ですら行使できる強大な権限なのだ。
だから、この権限を行使して一時保護として児童相談所が治療を依頼してしまえば万事解決。
しかも、治療拒否はネグレクトという児童虐待の一種なので、当然児童相談所への通告義務がある(児童虐待の防止等に関する法律第6条)。
まとめれば、親が子の輸血を拒否しても必要ならば医師は強行すればいいし、ためらうのならば児童相談所に通告して児童相談所の措置に委ねればいいのだ。

信仰と親子関係についての設問への解答
設問は次の通り。
親が生後間もない子供を、自身が信仰する宗教団体へ入会させることの法的問題を、未成年者の人権主体性を考慮しつつ論ぜよ。

解答
当然子にも信教の自由は存在する。
確かに、未成年者は親権により自由は制約されるが、そもそも親権というのは子が健全に育つように、また、子の利益を守るためのものと捉えるべきである。間違っても親の願望を実現するための権利と捉えてはならない。
本人に判断能力が付くまで教団への入会を遅らせる事による不利益というのは想定できない以上、親権をもって勝手に子の「入会しない自由」を制約する行為はできないものと言うべきである。

■お詫び

本日、私の操作ミスにより、多重投稿をしてしまいました。
お見苦しいところをお見せする事になりました読者の皆様、また、多重トラックバックの処理に当たられるにっし~氏には心よりお詫び申し上げます。
今後はこのようなことが発生しないように注意を払う所存でございます。
本当に申し訳ありませんでした。
なお、最新記事の本来のURLはhttp://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/blog-entry-19.htmlでございます。

テーマ:お知らせ - ジャンル:ブログ

■未成年の子の入信について-その2

今回も前々回の続き。
にっし~氏が出題され、私も前々回の記事で論じてみた設問について最新エントリー(はてな版はこちら。携帯からの方ははてな版の方が読みやすいです。)にて解説している。
そこで、私も彼の記事に反論する。

児童の権利に関する条約(リンク先は外務省)はなかなかカゲキな条約である。3歳児にも成人並みの市民的自由を与えるべしと定めているのだから。
ただし、保護者が発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利と義務は定めている。確かに、未成熟な子の利益を保護する必要はある。それが保護者の指示権という形で条文となっているわけだ。

ところで、わが国の国内法においても未成年者に対してさまざまな制約を掛けている。もちろん、未成熟な子を保護するためだ。一般に親権もまた子の利益を保護するために与えられたものと解されている。断じて親のための権利ではない。

さて、未成年者の権利の制約、あるいは保護的な措置はそもそも未成年者の利益を保護するためのものだ。当然、その目的を外れた制約は不当であると言うべきである。

親がある教団に子を無断で入信させることによって一体子のどんな権利を保護しようというのか。
また、ある教団に関わらないという権利は保護する必要はないのだろうか。
確かに、子がある教団に入会するという判断が本人にとって有害であるという場合もある。こういう場合に子の判断を認めないということは当然である。
だが、子がある教団に入会しないということは果たして有害なのか。私は有害ではないと考える。
従って、本人に十分な判断能力が付いてから入会するかどうかを選択させるべきである。
判断能力が付いてから入会しても決して遅くはないのだから。

■●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part24」 過去ログ 1/3

2ch創価・公明板の「●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part24」 」スレのログである。
元スレは
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1203217091/
みみずん検索のログは
http://mimizun.com/log/2ch/koumei/1203217091/

2/3はこちら
3/3はこちら

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。
続きを読む >>

テーマ:創価学会・公明党 - ジャンル:政治・経済

■●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part24」 過去ログ 2/3

2ch創価・公明板の「●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part24」 」スレのログである。
元スレは
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1203217091/
みみずん検索のログは
http://mimizun.com/log/2ch/koumei/1203217091/

1/3はこちら
3/3はこちら

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。
続きを読む >>

テーマ:創価学会・公明党 - ジャンル:政治・経済

■●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part24」 過去ログ 3/3

2ch創価・公明板の「●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part24」 」スレのログである。
元スレは
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1203217091/
みみずん検索のログは
http://mimizun.com/log/2ch/koumei/1203217091/

1/3はこちら
2/3はこちら

「続きを読む」をクリックしてご覧ください。
続きを読む >>

テーマ:創価学会・公明党 - ジャンル:政治・経済

■子どもの入信について その3

またもや前回の続き。
にっし~氏が、彼の設問に対する私の解答について論じている(はてな版はこちら)のでそれに対して反論する。さらに、私の条文見落としについても白状しておく。

そもそも、親権というのは子の利益を保護するためのもので、親の願望を実現するためのものではないことは再三述べているし、解答にも記した。
親権をもって子を入会させることで親の信教の自由を保護しようなどというのは完全に親権という制度の趣旨を無視したものである。
実際、子が有する権利や自由を侵すような行為についでまで親の信教の自由が保護されるとは言えないとした裁判例はある(大阪地裁昭和60年3月18日判決)。

では、どうやって親による入会を止めるか。

私はすっかり忘れていたが、民法が親権者の「代理権」、つまりは子に代わって法律行為をする権限を与えているのは財産に関わる法律行為のみなのだ(民法第824条)。
従って、財産に関わらない法律行為については子に代わってすることはできない。できるのは同意のみ。
そして、宗教団体への入会という行為は法律行為としては珍しく財産に関わらない法律行為。よって、親権者には代理権は存在しないと言うべきである。
さて、代理権が存在しない者による行為は本人に効果は生じない。よって、親が勝手に子を宗教団体へ入会させても無効という結論になる。

参考文献
日本弁護士連合会子の権利委員会「子の虐待防止・法的実務マニュアル」明石書店

■子の入信について-その4

前回の記事に対してにっし~氏が反論(はてな版はこちら)している。そこで私も再反論を行う。

何人も信教の自由を有する。当然、子も有する。ただし、子の場合、判断能力が未熟であるために一定の保護―一面では制約―を受ける。
そして、この保護を実現するために設けられたのが親権である。
子の保護のために設けられている制度である。親の保護のためにあるわけではない。
そして、憲法上の自由を制約することになるのであるから、その制約は必要最低限でなければならないのは当然である。

にっし~氏の論の致命的な欠陥は、本来は子本人の利益を保護する事を目的とした制度を(実質的には)親の専横を容認するための制度にすり替えて論じていることである。
それが端的に現れているのは以下の文である。

原則的に、親の信教の自由に基づく行為に対しては、原則として他者が介入することは許されない。

しかし、その親権行使が濫用といえる例外的な場合については、子どもの信教の自由を優先させるべきだということになる。

確かに、親自身のみについてのことならば、当然親の意思に介入する事は許されない。しかし、子についての事柄に対してまで親の広範な信教の自由を認めるというのはもはや単なる親の専横の容認に過ぎないとのそしりは免れない。
よって、かかる見解は誤りと断じる。
一言でまとめれば、子の自由を制限できるのは子の保護の為であって、親の自由を確保する為ではない。

さて、前回の記事では条文の重箱の隅をつついて親が無断で子を宗教団体に入会させても無効と結論づけた。これに対しても「親の信教の自由を侵害する」という反論がなされているが、これもまた親権の趣旨をはき違えており、失当と言わねばならない。
さて、身上監護権を根拠に財産上の行為以外にも代理権が及ぶという見解には一応の説得力はある。
そこで、代理権が及ぶという前提に立ち検討する。
最高裁は、親の代理権について次のように判示している。

親権者が右権限〔引用者注:財産上の代理権のこと〕を濫用して法律行為をした場合において、その行為の相手方が右濫用の事実を知り又は知り得べかりしときは、民法九三条ただし書の規定を類推適用して、その行為の効果は子には及ばないと解するのが相当である

(平成4年12月10日判決)
なお、この判決の全文は裁判所のサイトにも載せられている。こちら

確かに、上に挙げた判決は代理権の濫用が成立すると言うためには厳しい要件を課してはいる。
しかし、宗教の選択には個人の尊厳も関わってくる。これをモノやサービスの取引と同一の基準で処理してしまうのは到底許されないと言わねばならない(民法第2条参照)。
医療行為については親権者の取り消し権は認められないという見解すらある。
さて、宗教の選択というのは本人の深い納得が必要である事は論を待たない。このような選択が法定代理になじむのかという問題がある。
親子といえども所詮別人格、親が納得しても子が納得しないのは当然想定できる。宗教の選択という場面においてこれを無視してしまっていいのかという事だ。
また、宗教の選択には先に挙げた危険を冒してまで本人の判断能力がつかないうちにしてしまわねばならないという必要性もない。
もちろん、子の権利の制約は例外であるべきだということにも留意せねばならない。

以上の事を勘案すれば、宗教の選択を親に委ねるということは法の趣旨に著しく反するのではないか。従って、無効であるという結論になる。

補論
各宗教団体にあっては、この線に沿った自主的な対応を望みたいところではあるが、そのような良識を求めても(特にカルト宗教と言われる連中には)無駄だというのは悲しいところである。

参考文献
日本弁護士連合会子の権利委員会編「子の虐待防止・法的実務マニュアル」明石書店
久貴忠彦・米倉明・水野紀子編「家族法判例百選[第六版]」有斐閣
森田明「未成年者保護法と現代社会―保護と自律のあいだ―」有斐閣
続きを読む >>

プロフィール

資料屋

Author:資料屋
ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。