■2008年01月
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■実は消す気などさらさらない「名誉館友」

あけましておめでとうございます。皆さんは新春をどのようにお迎えになられたでしょうか。
実は、ワタクシ、一応学会員でして、聖教新聞も購読しております。
やはり元日の新聞はたとえ聖教新聞といえども紙面の構成を見るだけで新年を迎えたという清々しさを感じます。
さて、お雑煮をつつきつつ先生からの年賀状を見てみますと、池田先生の素晴らしい功績が大きな記事となっております。
そういえば今年は池田先生が80歳を迎えるという記念すべき年でした。
時事ニュースも一切掲載されておらず、このあたり正月くらいは浮き世の憂さを忘れようという先生の暖かい配慮を感じることができます。
間違っても手抜きなどとは思ってはいけません。
さて、元日の聖教新聞は2部構成となっておりまして、このあたりもまた、新年を迎えたことを実感させてくれるものです。
その本日付聖教新聞第2部一面を見ますと、なんとあの「終身名誉館友」が登場しております。しかも、見出しによれば「終身名誉館友に就任」だそうで。この記事、全面を使って取り上げております。
(写真及びそれに付されたキャプションは聖教新聞社サイト内で閲覧できます。こちら

これを見ておりますと、池田センセイの「功績」を探すためにわざわざ古い聖教新聞をめくりに国会図書館くんだりへ出かけて行かずともいいようにという先生の暖かいご配慮を実感させてくれます。

みなさーん、注目ー。新年早々顕彰詐称ですよー(^O^)/

もう一度書いておく。オックスフォード大学ボードリアン図書館名誉館友とは単なる部外者図書館利用証だ。
〔2010.10.16追記〕池田氏が受けたのはれっきとした顕彰でした。お詫びいたします。詳細はこちらをご参照下さい。

いや、本当に雑煮吹いたぞ。どうしてくれるんだ。

前スレ

887 :名無しさん@お腹いっぱい。 :sage :2007/12/08(土) 15:01:38 ID:???
信者を騙した決定的な証拠か。楽しみだ。1月2日の先生への最高のお誕生日祝いだな。

888 :政教分離名無しさん :2007/12/08(土) 15:12:59 ID:vwAN1GYM
聖教新聞で、また、無かったことになる記事が増えるのか?w

このような発言があったが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
Webから消したのはあくまでも外部向けの対策であって、信者にはまだまだ自慢を続ける気が満々のご様子。
無かったことにする気などさらさらない。
国会図書館くんだりへ行かずとも次から次へとボロを出してくれるのだから手間は確かに省けるが。
一旦は消し去ったということで、さすがの創価でも少しは恥という感覚があると思った自分は甘かった。

指摘されていてもまだまだ顕彰扱いで聖教に載せるなんていうのはもう呆れかえるほかない。
しかも新年早々。

この記事は今年も一年間信者を騙し続けるという意思表明だろ

まさしく、一年の計は元旦にあり。

それでも、こんな記事を載せたら脱会者が激増するのではないかと老婆心ながら心配してしまうのだが、学会は信者への情報管理はしっかりしているので問題ないと考えているのだろう。
信者がいかにマインドコントロールされているかもわかるというものだ。
フランス政府がセクトとして指定したのもうなずける。

というわけで、池田センセイのご自慢はまだまだ続きそうだ。
すべては信者が出した財務のおかげなのだが。


ところで、捏造だなどと叫んでいた学会員はこの記事を見たときにどんな反応するだろうか。楽しみだ。
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■ついにWebに復活「名誉館友」

ラベルを貼り替えただけで外部向けの対策も済んだとお考えのご様子で。スレに昨日の記事のWeb版が紹介されていた。
聖教新聞社サイト前のエントリーで紹介した記事の全文が掲載されている。

顕彰を就任に変えたところにやましさが少しはにじみ出てはいるが。
まあ、それくらいで騙されるのは余程のアホなのであってね。

センセイの経歴にも是非とも復活をw
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■未成年の子の入信について

前書き

私も出入りするサイト「希望の風」BBS紹介されたブログなのだが、なかなかすげー事が書いてあるのだ。
創価大学法科大学院生が書いているのであるが、まずは記事を見て来て頂きたい。コメント欄までご覧頂けただろうか。
今回はこの記事を批判する。批判する主張の要旨は「親は子を入信させる義務がある。児童の権利に関する条約14条にも親の指示義務があるし。また、子を組織に付かせられなかった親は他人を指導する資格はない。理想を言えば除名すべきだ。えっ、何?親の信仰が嫌?だったら親を捨てれば」というものだ。


まあ、スレではコピペして記事に仕立てれば大した労力もいらないとは言ってくれたのであるが、自分の思うところを書いてみる事とする。
なお、汎用性を持たせたいので、なるべく創価に限定した話にならないようにしたい。

と、その前に、踏まえておいてほしい基本的な文書2つをリンクしておく。

日本国憲法(総務省法令データ提供システム)

児童の権利に関する条約(外務省)

1.憲法と条約の関係について

とりあえず、本題に入る前に基本的なところを押さえる。にっし~は読まなくてよし。憲法学の基本中の基本だから。
そもそも、憲法と条約が矛盾した場合、どちらが優先されるのか。多数説と実務においては憲法が優先されるとしている。
何故かって?条約を優先させたら内閣と国会が憲法をいくらでも骨抜きにできるでしょう。
また、内閣も国会も憲法の範囲内で振る舞うべき(憲法99条)で、憲法に違反した条約の締結はそもそも無効でしょう。

そこで、まずはにっし~の言う条約の解釈が正しいという前提に立ち(これも実はデタラメなのだが)、憲法の規定を論じてみる。

2.憲法上の「信教の自由」
日本国憲法第20条第2項
 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

憲法はこのようにはっきりと言い切っている。別に子を入信させる義務など無い。
また、当然子もこの規定の保護を受ける。たとえ3歳児であっても。
制約できるとしたら「公共の福祉」の原理だが、ある宗教的活動に参加しないことによって害される「公共の福祉」というのが想像できない。
もしあるとするのだったらコメント欄にて具体例を挙げて指摘よろしく。
少なくとも、日本国はにっし~解釈によるところの子の意志に反してまで親が宗教的活動を押し付ける権利義務を尊重する必要は全くない。
尊重したら憲法違反になる。

いや、しかし、教団として子一人説得できない者を信者として不適切と考え、役職に就かせなかったり、除名したりするのは自由ではないか、そのような考えを持つ自由もまた信教の自由ではないかと言う者もあろう。
まずは広田照幸氏の「常に、被教育者の側は、そこから逃げる余地がある。拒否、反発、やり過ごし、形式的同調……というふうに、何かを教えられても学ばない、という余地が常にあるのである。」(「教育不信と教育依存の時代」紀伊國屋書店)という論を踏まえていただきたい。
そう、素質がいくら立派な親が教えても結局子には反発されてしまうという事はあるのだ。子が自ら考えてね。
決して子を指導しきれなかったとしても親の素質が悪かったとは言えない。
なんと言っても親子は別人格。
親の素質に関わらず子が教団に付かない事があり得る。しかし、教団に付かせられなかった親は不適切な素質だと考える。
つまりは強制をもってしても教団に付けられた親こそが立派な素質を持っているという事になる。
そして、このような強制はもはや不法行為と言える。従って、そのような教義を持つ教団は不法行為を推奨する教義を持つ教団と断じるべきである。

え?親の信仰が嫌なら親を捨てればいい?いやはや、「個人の尊厳」というのをどう考えているのであろうか。

なお、信教を学校教育と同列にして論じている点も浅はか。
確かに、教育を受けさせる義務はある。しかし、これは子の学習権を保障するためのものなのであってね。
決して子に信教を押し付ける義務なるものと同一視してはならない。
自由権と社会権を混同している点も浅はかだが。
というわけで、にっし~解釈による児童の権利に関する条約は違憲無効という結論が出たところで児童の権利に関する条約の検討に移る。本当ににっし~解釈のような規定なのか?

3.児童の権利に関する条約による「信教の自由」と「親の指示義務」

児童の権利に関する条約第14条第2項
 締約国は、児童が1の権利を行使するに当たり、父母及び法定保護者が児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利及び義務を尊重する。

この項は、国連において条約案を審議する過程で相当議論されたのだが、結論として、アンダーラインを引いた部分で父母の権利義務が大幅に限定された。
自由権規約では自己の信念に従って教育を確保する自由が認められていたが、この条約では条文の通り大幅に制限された。(参考文献:波多野里望「逐条解説 児童の権利条約〔改訂版〕」有斐閣)
これは、未熟な児童が将来成熟した時に、自分でちゃんと自分の道を選べるように一時権利を棚上げにするためのものであると言うべきである(参考文献:日本弁護士連合会「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」)
従って、やはり子の意志に反してまで親の信仰を押し付ける義務があると解釈してはならないと言うべきである。
それでも、なお、親の権利と子の権利が別物と考えられている点は重要である。
まあ、実のところ、にっし~解釈でもどうでもいいやと思っているんだけどね。

児童の権利に関する条約第41条
 この条約のいかなる規定も、次のものに含まれる規定であって児童の権利の実現に一層貢献するものに影響を及ぼすものではない。
(a)締約国の法律
(b)締約国について効力を有する国際法

日本国憲法はまさしく「児童の権利の実現に一層貢献するもの」といえる。
はい、これでにっし~解釈のデタラメぶりが判明したわけですね。

最後に一言。

宗教がらみで親といざこざを起こすのがどれだけ辛いか少しは想像してくれよバカにっし~

というわけで、トラックバック打ってみます。

※なお、日弁連の意見書「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」はこちらから閲覧できます。

■お詫びと訂正

1.お詫び

昨日、にっし~氏のブログにTBを行った際、私のミスにより3重にTBを打ってしまいました。にっし~氏は自らのブログにてFC2ブログとのTB送受信が上手くできないとおっしゃっておりましたが、昨日の3重TBは完全に私のミスでした。
にっし~氏にご不安な思いをさせたこと、及び余分なお手数をおかけいたしましたことをここにお詫びさせていただきます。
なお、どのようなミスであったかは「続きを読む」をクリックしていただければお読みいただけます。
しかし、「うまくいかないことが多い」とおっしゃっておられることが気になりますので、この記事のTB以外は当面はてな版の方にさせていただきます。

2.修正
昨日の記事に一部舌足らずな部分がありました。
この点で勘違いされてしまった方もいらっしゃいましたので、追補いたしました。
以下、新旧対照となっております。

追補前の記述
この項は、条約を審議する過程で相当議論されたのだが、結論として、アンダーラインを引いた部分で父母の権利義務が大幅に限定された。

追補後の記述
この項は、国連において条約を審議する過程で相当議論されたのだが、結論として、アンダーラインを引いた部分で父母の権利義務が大幅に限定された。

アンダーラインを引いた部分が追補した部分でございます。
舌足らずのためT.Rさんに余分なお手数をおかけいたしましたことをここにお詫びさせていただきます。
続きを読む >>

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■信仰と親子関係の折り合いについて

今回も前々回の記事で取り上げたテーマについて述べる。

さてさて、にっし~のブログではこんなことを。

 それにしても、「強制していい」なんて一言も述べてないんだけどなぁw

「子を組織に付けられなかった親は義務を果たせなかったのだから幹部にすべきではない」だの「そんな親は除名でもいい」だの勇ましい事を言っておきながら、そんな言い訳通用するわけがない。

もう一度かいつまんで。
1.親がいかに立派な素質で自らの信仰を継承させようとしても子が反発して組織に付かない可能性は常にある。
2.そして、反発した子をなお組織に付けようとすれば強制するほかない。
3.にもかかわらず、子を組織に付けられなかった親は教団の教義を実践できていないという態度をとるならば、それは強制を推奨する教義を持っているものと断じるべきである。

これくらいの論理にはついてきていただきたい。

さらに、「親を捨てるか信心をするか」の二者択一を迫ってもいるが、そんなことをいうのはまさしく「全てを要求している」と言うべきである。

最高裁大法廷昭和63年6月1日判決

信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。


強制を受けた被害者がいうならばともかく、信仰を迫る側が「信仰か絶縁か」の二者択一を迫るのは絶対にしてはならない。

なお、この記事は、どのような信仰もそれを信仰しない者とも折り合わなければならないということを述べているのである。
したがって、信仰者の立場から「信心とはそんな甘いものではないんだ」などと言われてもこの記事に対する反論にはなりえないことを申し添える。

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ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

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