■宗教と人権
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■未成年の子の入信について

前書き

私も出入りするサイト「希望の風」BBS紹介されたブログなのだが、なかなかすげー事が書いてあるのだ。
創価大学法科大学院生が書いているのであるが、まずは記事を見て来て頂きたい。コメント欄までご覧頂けただろうか。
今回はこの記事を批判する。批判する主張の要旨は「親は子を入信させる義務がある。児童の権利に関する条約14条にも親の指示義務があるし。また、子を組織に付かせられなかった親は他人を指導する資格はない。理想を言えば除名すべきだ。えっ、何?親の信仰が嫌?だったら親を捨てれば」というものだ。


まあ、スレではコピペして記事に仕立てれば大した労力もいらないとは言ってくれたのであるが、自分の思うところを書いてみる事とする。
なお、汎用性を持たせたいので、なるべく創価に限定した話にならないようにしたい。

と、その前に、踏まえておいてほしい基本的な文書2つをリンクしておく。

日本国憲法(総務省法令データ提供システム)

児童の権利に関する条約(外務省)

1.憲法と条約の関係について

とりあえず、本題に入る前に基本的なところを押さえる。にっし~は読まなくてよし。憲法学の基本中の基本だから。
そもそも、憲法と条約が矛盾した場合、どちらが優先されるのか。多数説と実務においては憲法が優先されるとしている。
何故かって?条約を優先させたら内閣と国会が憲法をいくらでも骨抜きにできるでしょう。
また、内閣も国会も憲法の範囲内で振る舞うべき(憲法99条)で、憲法に違反した条約の締結はそもそも無効でしょう。

そこで、まずはにっし~の言う条約の解釈が正しいという前提に立ち(これも実はデタラメなのだが)、憲法の規定を論じてみる。

2.憲法上の「信教の自由」
日本国憲法第20条第2項
 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

憲法はこのようにはっきりと言い切っている。別に子を入信させる義務など無い。
また、当然子もこの規定の保護を受ける。たとえ3歳児であっても。
制約できるとしたら「公共の福祉」の原理だが、ある宗教的活動に参加しないことによって害される「公共の福祉」というのが想像できない。
もしあるとするのだったらコメント欄にて具体例を挙げて指摘よろしく。
少なくとも、日本国はにっし~解釈によるところの子の意志に反してまで親が宗教的活動を押し付ける権利義務を尊重する必要は全くない。
尊重したら憲法違反になる。

いや、しかし、教団として子一人説得できない者を信者として不適切と考え、役職に就かせなかったり、除名したりするのは自由ではないか、そのような考えを持つ自由もまた信教の自由ではないかと言う者もあろう。
まずは広田照幸氏の「常に、被教育者の側は、そこから逃げる余地がある。拒否、反発、やり過ごし、形式的同調……というふうに、何かを教えられても学ばない、という余地が常にあるのである。」(「教育不信と教育依存の時代」紀伊國屋書店)という論を踏まえていただきたい。
そう、素質がいくら立派な親が教えても結局子には反発されてしまうという事はあるのだ。子が自ら考えてね。
決して子を指導しきれなかったとしても親の素質が悪かったとは言えない。
なんと言っても親子は別人格。
親の素質に関わらず子が教団に付かない事があり得る。しかし、教団に付かせられなかった親は不適切な素質だと考える。
つまりは強制をもってしても教団に付けられた親こそが立派な素質を持っているという事になる。
そして、このような強制はもはや不法行為と言える。従って、そのような教義を持つ教団は不法行為を推奨する教義を持つ教団と断じるべきである。

え?親の信仰が嫌なら親を捨てればいい?いやはや、「個人の尊厳」というのをどう考えているのであろうか。

なお、信教を学校教育と同列にして論じている点も浅はか。
確かに、教育を受けさせる義務はある。しかし、これは子の学習権を保障するためのものなのであってね。
決して子に信教を押し付ける義務なるものと同一視してはならない。
自由権と社会権を混同している点も浅はかだが。
というわけで、にっし~解釈による児童の権利に関する条約は違憲無効という結論が出たところで児童の権利に関する条約の検討に移る。本当ににっし~解釈のような規定なのか?

3.児童の権利に関する条約による「信教の自由」と「親の指示義務」

児童の権利に関する条約第14条第2項
 締約国は、児童が1の権利を行使するに当たり、父母及び法定保護者が児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利及び義務を尊重する。

この項は、国連において条約案を審議する過程で相当議論されたのだが、結論として、アンダーラインを引いた部分で父母の権利義務が大幅に限定された。
自由権規約では自己の信念に従って教育を確保する自由が認められていたが、この条約では条文の通り大幅に制限された。(参考文献:波多野里望「逐条解説 児童の権利条約〔改訂版〕」有斐閣)
これは、未熟な児童が将来成熟した時に、自分でちゃんと自分の道を選べるように一時権利を棚上げにするためのものであると言うべきである(参考文献:日本弁護士連合会「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」)
従って、やはり子の意志に反してまで親の信仰を押し付ける義務があると解釈してはならないと言うべきである。
それでも、なお、親の権利と子の権利が別物と考えられている点は重要である。
まあ、実のところ、にっし~解釈でもどうでもいいやと思っているんだけどね。

児童の権利に関する条約第41条
 この条約のいかなる規定も、次のものに含まれる規定であって児童の権利の実現に一層貢献するものに影響を及ぼすものではない。
(a)締約国の法律
(b)締約国について効力を有する国際法

日本国憲法はまさしく「児童の権利の実現に一層貢献するもの」といえる。
はい、これでにっし~解釈のデタラメぶりが判明したわけですね。

最後に一言。

宗教がらみで親といざこざを起こすのがどれだけ辛いか少しは想像してくれよバカにっし~

というわけで、トラックバック打ってみます。

※なお、日弁連の意見書「反社会的な宗教的活動にかかわる消費者被害等の救済の指針」はこちらから閲覧できます。
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■信仰と親子関係の折り合いについて

今回も前々回の記事で取り上げたテーマについて述べる。

さてさて、にっし~のブログではこんなことを。

 それにしても、「強制していい」なんて一言も述べてないんだけどなぁw

「子を組織に付けられなかった親は義務を果たせなかったのだから幹部にすべきではない」だの「そんな親は除名でもいい」だの勇ましい事を言っておきながら、そんな言い訳通用するわけがない。

もう一度かいつまんで。
1.親がいかに立派な素質で自らの信仰を継承させようとしても子が反発して組織に付かない可能性は常にある。
2.そして、反発した子をなお組織に付けようとすれば強制するほかない。
3.にもかかわらず、子を組織に付けられなかった親は教団の教義を実践できていないという態度をとるならば、それは強制を推奨する教義を持っているものと断じるべきである。

これくらいの論理にはついてきていただきたい。

さらに、「親を捨てるか信心をするか」の二者択一を迫ってもいるが、そんなことをいうのはまさしく「全てを要求している」と言うべきである。

最高裁大法廷昭和63年6月1日判決

信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。


強制を受けた被害者がいうならばともかく、信仰を迫る側が「信仰か絶縁か」の二者択一を迫るのは絶対にしてはならない。

なお、この記事は、どのような信仰もそれを信仰しない者とも折り合わなければならないということを述べているのである。
したがって、信仰者の立場から「信心とはそんな甘いものではないんだ」などと言われてもこの記事に対する反論にはなりえないことを申し添える。

■信仰と親子関係の折り合いについてその2

今回は前々回の続き。
にっし~氏のブログの最新エントリー(はてな版はこちら)にてエホバの証人の輸血拒否事件について触れられている。今回はこのような事件について、私なりの考えを示してみる。さらに、そのエントリーでなされている設問にも解答してみよう。

基本的姿勢
「信仰というのは、教義内容によっては、生死を左右するものである」のではあろうが、大抵の人はだからといって列車にサリンをバラまくようなことははやめてほしいと思っているということを信仰者は肝に銘じるべきである。

輸血拒否事件についてどう考えるか
 子への輸血を親が拒否することをどう考えるか。簡単カンタン、児童虐待ではないか。
にっし~氏のブログでは公式見解も出せずに煮え切らないとしているが、公式見解は既に出ている。
エントリーにて引用されている国会での議論で取り上げられた法律を所管していながら、答弁に出てきていない部署から。
見解は厚生労働省が出している「子ども虐待対応の手引き」というものに示されている。
実は、この手引き、平成11年3月29日厚生省児企発第11号という文書番号がついたれっきとした厚生省児童家庭局企画課長名の通達である。
で、輸血拒否への対応については「第13章 特別な視点が必要な事例への対応」の中の「5.保護者による治療拒否の事例への対応」に示されている。以下引用。

 医師としては、手術など患者に危険をともなう重大な医療行為をする場合には、(意識のない救急患者が運ばれてきたような場合は別として)通常本人の依頼ないし承諾が必要となる。
 患者が未成年の場合、通常は親権者が医師に治療を依頼または医師の治療を承諾している。保護者がこれを拒否して健康が悪化している場合に、医師が職業上の倫理として保護者の承諾を得ずに治療することがあり、その時は社会的な相当行為として許されるが、医師によってはそうした対応を拒否することもある。そのような場合には、児童相談所が児童福祉法に基づく措置をとるしか方法がない。

(アンダーラインは筆者による)

そう、医師が倫理に従って治療を行っても許されるのだ。
そして、医師がそれをためらうようならば児童相談所が措置すればいい。児童相談所には「一時保護」を行う権限がある。
この権限、保護者の意思に反しても行使できるのはもちろんだが、子の意思に反している場合ですら行使できる強大な権限なのだ。
だから、この権限を行使して一時保護として児童相談所が治療を依頼してしまえば万事解決。
しかも、治療拒否はネグレクトという児童虐待の一種なので、当然児童相談所への通告義務がある(児童虐待の防止等に関する法律第6条)。
まとめれば、親が子の輸血を拒否しても必要ならば医師は強行すればいいし、ためらうのならば児童相談所に通告して児童相談所の措置に委ねればいいのだ。

信仰と親子関係についての設問への解答
設問は次の通り。
親が生後間もない子供を、自身が信仰する宗教団体へ入会させることの法的問題を、未成年者の人権主体性を考慮しつつ論ぜよ。

解答
当然子にも信教の自由は存在する。
確かに、未成年者は親権により自由は制約されるが、そもそも親権というのは子が健全に育つように、また、子の利益を守るためのものと捉えるべきである。間違っても親の願望を実現するための権利と捉えてはならない。
本人に判断能力が付くまで教団への入会を遅らせる事による不利益というのは想定できない以上、親権をもって勝手に子の「入会しない自由」を制約する行為はできないものと言うべきである。

■未成年の子の入信について-その2

今回も前々回の続き。
にっし~氏が出題され、私も前々回の記事で論じてみた設問について最新エントリー(はてな版はこちら。携帯からの方ははてな版の方が読みやすいです。)にて解説している。
そこで、私も彼の記事に反論する。

児童の権利に関する条約(リンク先は外務省)はなかなかカゲキな条約である。3歳児にも成人並みの市民的自由を与えるべしと定めているのだから。
ただし、保護者が発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利と義務は定めている。確かに、未成熟な子の利益を保護する必要はある。それが保護者の指示権という形で条文となっているわけだ。

ところで、わが国の国内法においても未成年者に対してさまざまな制約を掛けている。もちろん、未成熟な子を保護するためだ。一般に親権もまた子の利益を保護するために与えられたものと解されている。断じて親のための権利ではない。

さて、未成年者の権利の制約、あるいは保護的な措置はそもそも未成年者の利益を保護するためのものだ。当然、その目的を外れた制約は不当であると言うべきである。

親がある教団に子を無断で入信させることによって一体子のどんな権利を保護しようというのか。
また、ある教団に関わらないという権利は保護する必要はないのだろうか。
確かに、子がある教団に入会するという判断が本人にとって有害であるという場合もある。こういう場合に子の判断を認めないということは当然である。
だが、子がある教団に入会しないということは果たして有害なのか。私は有害ではないと考える。
従って、本人に十分な判断能力が付いてから入会するかどうかを選択させるべきである。
判断能力が付いてから入会しても決して遅くはないのだから。

■子どもの入信について その3

またもや前回の続き。
にっし~氏が、彼の設問に対する私の解答について論じている(はてな版はこちら)のでそれに対して反論する。さらに、私の条文見落としについても白状しておく。

そもそも、親権というのは子の利益を保護するためのもので、親の願望を実現するためのものではないことは再三述べているし、解答にも記した。
親権をもって子を入会させることで親の信教の自由を保護しようなどというのは完全に親権という制度の趣旨を無視したものである。
実際、子が有する権利や自由を侵すような行為についでまで親の信教の自由が保護されるとは言えないとした裁判例はある(大阪地裁昭和60年3月18日判決)。

では、どうやって親による入会を止めるか。

私はすっかり忘れていたが、民法が親権者の「代理権」、つまりは子に代わって法律行為をする権限を与えているのは財産に関わる法律行為のみなのだ(民法第824条)。
従って、財産に関わらない法律行為については子に代わってすることはできない。できるのは同意のみ。
そして、宗教団体への入会という行為は法律行為としては珍しく財産に関わらない法律行為。よって、親権者には代理権は存在しないと言うべきである。
さて、代理権が存在しない者による行為は本人に効果は生じない。よって、親が勝手に子を宗教団体へ入会させても無効という結論になる。

参考文献
日本弁護士連合会子の権利委員会「子の虐待防止・法的実務マニュアル」明石書店

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ブログ名変えた(2011.4.24)。落ち着かないなあ。

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